5月編

どうしてそんなに頑張るの

 高校生活は早いもので、もう5月。

 そして今日からは、待ちに待ったGW。


 ちなみにわたしのやるべきことは変わらない。

 休日は基本、バイトと勉強漬けだ。

 なので今日も朝から、机と向き合い参考書を親の仇のようにガンつけていた。


「彰子ー、コーヒー淹れたよ」

「ありがと」


 目の醒める芳しい香りとともに、日野が入室してきた。

 木製のお盆には、湯気の立つマグカップとビスケットが乗せてある。


「すぐ飲む?」

「んー、後にする。そっちのテーブルに置いといて」


 素っ気なく返して、わたしは振り返ろうともせずペンを走らせる。

 避けているわけじゃない。

 ただ、距離感を測りかねているだけだ。


 家族としてもっと仲良くなりたいという気持ちと、大人として自立せねばというプライドがせめぎ合っていまのわたしを生み出している。


 わたしは家族の愛に飢えている。

 ゆえに、歯止めが効かなくなりそうで恐いのだ。


 だからこないだ手を握ったときも、甘えたいわたしの残存幼児性がにじんできたから理性が警鐘を鳴らしたに違いない。


 日野はあくまで預かり先の保護者。

 いくら優しくされても、そこを勘違いしてはいけないのだから。


 無償の愛は無限ではない。

 わたしは実の親にさえ、なんでも受け止めてくれる存在だと思って甘えた結果捨てられたのだから。


「せっかくのGWだよ。行きたいところはないのかい」

「どこも激混みだし」


 勉強に意欲的なわたしの姿勢を褒めつつ、日野は保護者の顔で接することも忘れない。


 自分が教員だから内申点稼ぎにいい顔をしようと気を張ってないか、心配しているのだろう。


「中間テストはまだ先なのに。頑張ってるね。なかなか自宅学習の継続ってできないよ」

「頭悪いので。普段からやってないとついてけなくなるから、自分でやるしかないだけ」

「それが自覚できて勉強の実行に移せる子は、悪いわけがないよ」


 私も教材研究やるかなー、とやる気を感化されたらしい日野が部屋を出た。


 足音が遠くなって。

 わたしはノートの下に忍ばせていた、クリアファイルから1枚の紙を手に取った。


 小さなその紙は、連休前に返されてきた英語の小テストだ。

 点数は50点。悪くはないが良くもない。


 謙遜ではなく、わたしは本当に頭が悪いのだ。

 理数系となるともっとひどくて、数学は基本赤点ギリギリ。

 必死に数式を頭に叩き込んでも、脳が理解を拒む。


 高校入学自体も前期でも後期でも落ちて、なんとか二次試験で今の高校にすべりこんだほどだ。


 進学校で勉強についていけず落ちこぼれる話はよく聞くけど、偏差値は中の下の公立高校でこれって。

 普段から勉強してこれって。やばいでしょ。

 笑えないよ。笑われる側だよ。


 努力不足なのは点数が証明している。

 結局は必死に勉強して覚えるしかないのだから。



 お昼のあとも、わたしはずっと机に向かっていた。


 VBだからという言い訳は通用しない。

 わたしの世代は学力差は無いため、DBより成績がいいVBはいくらでもいるからだ。


「…………」

 赤ペンを投げやりに置いた。

 ころころとペンはワークブックの上を転がっていく。

 正答率6割もいかない自己採点したページを見て、屈辱感に奥歯を噛みしめる。


 なんでだろう。

 なんでこんなに成果が出ないんだろう。

 なんで勉強していないクラスメイトにも抜かれていくんだろう。


 進歩どころか、退化しているようにも思ってしまう。


 最近は記憶力もなくなってきたのか、5分も集中できないときがある。

 文章が頭から抜けて、自分がどんな問題を解いているか分からなくなる。

 あれほど繰り返し要点を解いてきたのに、解き方を忘れてしまっている。


 成功のためには、血のにじむような努力を重ねることしかないことは分かっている。

 いるの、だけど。


「あーきこー、入るよー」


 弾んだ声とともに、日野が入ってきた。

 未だ机に向かっているわたしを見て、うおっと驚いた声があがる。


 慌てて、悔しさににじみかけていたまなじりをぬぐった。


「なんか用?」

「少し休んだらどうかなって」


 ゲームもDVDもまあまあ揃ってるよと、日野は休憩をうながしてきた。

 今とてもそんな気分じゃないけど……

 ああ、でもGWだもんね。


 もしかしたらしたいことがあるのに、わたしがずっと自室にこもってるから我慢させちゃったかな。


「日野がやりたいゲームか、観たい作品か、行きたい場所があるなら付き合うけど」

「私よりも、彰子はしたいことないの? 勉強ばかりでしんどくない? 息抜きも大事だよ」

「ごめん、そんな暇ない」

「暇? 連休中なのに?」

「勉強量が足りないから。もっと勉強時間に割かないと忘れちゃうから」


 こうしてる間にも、さっきの内容が記憶から剥がれ落ちかけている。

 焦りから少し語調が強くなっていた。


「勉強は時間じゃなくて質だよー。闇雲に時間ばかりかけすぎると、やった気になりがちで身につきづらくなるよー」

「わかってるよそんなこと」


 跳ね除けるように声を張り上げる。

 日野に当たったってどうしようもないことは分かっているのに、思い通りにならない苛立ちは感情の波となって理性を上回っていく。


「頭悪いやつは、うんと時間かけて暗記するしかないんだよ」


 勉強と作業を履き違えている、落とし穴のパターンにはまらないよう模索したつもりだった。


 単語帳も作りまくって、写経のごとくノートが真っ黒になるほど書きまくった。

 大嫌いな数学も公式を覚えないと話にならないから、ひたすら叩き込んでいるところだ。


 でも。

 一向に成長が見られない努力は、時間の無駄遣いにしかすぎないのだろうか。


 福祉の高校を選んだのは、受験に失敗した際に就活で潰しが効く経歴を持っておこうという保険もある。


 現役教師の日野からすれば、わたしはさぞ努力がから回ってるように見えるだろう。


「やっぱり、無理なのかな」


 これ以上どうすればいいんだ、なんて余裕のなさから。

 わたしの口からは弱気がこぼれていく。


「どうしたんだい、元気ないぞ」

 情緒不安定なわたしの様子に、日野は心配そうにわたしの目の前にしゃがみこんだ。


「頭が悪い子は、いくら頑張っても無駄なのかな」

「そんなこと、」

「無いって言いたいんでしょ。でも、事実だよね。施設出身の子は大学進学率が20%もないってこと」


 この数字は、大卒当たり前社会だった頃から変わっていない。

 確かに施設の子は不利だ。

 金銭面の問題で塾にはなかなか通えないため、自主勉強で成績を伸ばしていくしかない。


 けど、親がいないという不安定な環境は子供の学習意欲の低下につながるし、問題児で預けられたパターンも多い。


 後者の場合、学習障害の割合も低くはないのだ。

 そこまではいかなくても、どうしたって生まれ持った知能の差はある。

 もしかしたらわたしもそうなのかも、と言いようのない不安が自信を砕いていく。


「頭が悪い、とは一概に決めつけられないよ。数年前から学習内容が見直されて、全体的に授業が難しくなっているから」


「良い変化じゃん。世界に対抗するためには学力の底上げは必要だし、だからFラン大学が淘汰されて幼児教育も導入されたわけでしょ」

「そうだけど……授業についていけない不登校児の割合も増えてしまったんだ」


 日野は落ちこぼれを出す教育方針に不満げだが、国の発展のためには冷たくも仕方がないのだと思う。


 弱者援助はもちろん必要だけど、それを基準とした社会は生産性が低下していく一方だ。

 わたしは生き残れる道に食らいついていく他ないのだ。


「そっか、彰子は大学に行きたいんだね」

「……うん」


 無理そうな気がしてきたけど。

 という喉まで這い出してきた弱音を押し留める。


「どうして?」


 その『どうして』はどういう意味で言ったのだろう。

 専門高校に通っているのに進学希望なこと?

 施設の子は学費と生活費を負担しなきゃならず、中退率も高いことを分かっているのかという問い?


 愚問だ。


「夢があるから」

 さんざん問いた基礎問を間違いまくっても、それだけは迷わず答えられる。


 児童福祉司になることが、わたしの目指す道だ。


 この世に産み落とされて、未熟な段階で親元を離されて。

 十分な環境を与えられず、巣立つ前に巣から強制退去を命じられる。


 なのに社会のスタートラインは普通の子と一緒で、正しく生きろできなきゃ死ねと足並み揃えることを求められる。


 そんな子を増やしたくなかった。

 だから、22歳まで面倒を見てくれる施設を作ってあげたいと思った。


 進学を希望する子供の選択肢を狭めないために。

 未来ある若者をホームレスにさせないために。


 そんな夢物語を、日野に語る。


「立派な夢じゃないか」


 親や他の教師であれば、君の学力じゃ無理だから就職になさいって言われてただろう。

 だけど日野は無謀な挑戦だと笑わず、頭に手を置いた。

 里親を希望する自分の先を行く提案だね、と褒め言葉を添えて。


「でも、実現性はまだ低いよ。成人年齢は18歳に引き下げられちゃったし、措置延長を認めない施設もいっぱいあるし。施設がいっぱいになって次の子が入らないとかで」


「成人年齢と自立年齢は直結しないよ。私は彰子の夢、現実になるように全面的に応援したいな」


 それから日野は、微妙な配点で広げられていたワークブックを手に取った。

 ふむふむとうなずきながら、ページをぱらぱらめくっていく。


「もし、余計なおせっかいじゃなかったら。現役教師として手助けをさせてもらってもいいかな」

「い、いいよ。教員って忙しいんだから仕事増やせないよ」

「君は大学に行きたい。私は彰子を大学に行かせてあげたい。目的は一致しているよね」

「…………」


 ただでさえ、教員と里親の二足のわらじなのに。

 個人指導も追加となっては明らかなオーバーワークだ。


 だけど誰の手も借りず、このまま自己流の勉強を続けていても成績は上がらないとは予想できた。


「ここまで将来のビジョンを見据えて頑張れる子が、頭が悪いはずがない。原因はきっと、勉強のやり方が合ってないだけ。そこを解析改善して、君がやれば出来る子だってことを証明してあげたい。それでは駄目かな?」


 日野の目はいつだってまぶしくて迷いがない。

 自分の可能性を信じてくれる人がいることが、どれほど心強いことか。


 弱気をふっ飛ばして前を向かせてくれる力強い言葉に、わたしはうなずいていた。

 何より、この人の期待を裏切りたくないと思ったのだ。


「決まりだね」


 日野と拳を合わせて、わたしは決意を新たにする。


 もう少しだけ、諦めずに頑張ってみよう。

 わたしはまだ、すべてを出し切ってやりきってはいないのだから。


 失いかけていた活力が、応援してくれる人がいるだけでみなぎってきたことに『人』の漢字の意味を実感する。


 それからちょうど、スマホがLINEを知らせる音が鳴った。


『明日、お時間がございましたらお蕎麦でもいかがでしょうか』


 山葉さんからのお昼のお誘いだった。

 そいや行ってなかったね、お蕎麦屋さん。


「日野、たった今できた用事。明日お昼は友人と出かけて、そのあとバイトに行くから」

「おっけー。楽しんでおいで。どのみち私も、明日はお昼から出かける用事だったからね」


 ああ、女子会ね。女教師一同で飲み食い歌うって言ってたな。

 だから今日、家族サービスしてくれようとしてたんかな。


 というわけで、残りの時間は息抜きと家族の時間も兼ねてだらだらと映画を眺めて過ごした。


「でもなんでチョイスがクレ○ん? 確かに面白いけど、ジャンルまで子供向けに合わせなくていいんだよ」

「え、私毎年観に行ってるよ。ドラ○もんもかかさず」


 まじかよ。

 なおその後、歴代最高傑作はどれか論争になってめちゃくちゃ揉めた。

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