熱い手のひら
”DBだって完璧じゃないよ。必ず注文通りに生まれてくるとは限らない。リスクコントロールは極力抑えてても、確率は0じゃない”
春休みの児相騒動の際に言っていた、日野の意味深な台詞はこれにつながっていたのだと気づいた。
命を作りだす罪悪感が消えれば、失敗を消すのはセット。
虐待死は重い刑罰が科せられるようになったので件数は減ったけど、施設におくられてくるDBには日野のような子供もいる。
失敗作。
平坦な声で放たれた、自己否定の言葉に思考が凍りついていく。
「え、どこが」
聞き返した自身の声はぱりぱりに乾いていて、人間あまりの衝撃を受けると感情が吹っ飛んで無になるんだなと実感する。
春のぬくもりと雑炊の食欲をそそる匂いに包まれた寝室も、今は何も感じない。
色彩が失われて、虚無の空間の中に放り込まれた錯覚に陥っていく。
「そうだなあ。当時の情勢とかもいろいろ関係しているから、そこからの説明になるけど……」
ただ、不気味なほどに穏やかな日野の声だけがはっきりと耳に届く。
リソースを聴覚だけに注いでいる状態なのかもしれない。
経緯はDBの歴史から遡る。
日野が誕生するちょっと前、第一次DB世代が成長して社会に飛び立ち始めた頃。
ゲノム編集を強化しようとの声が、技術者から上がった。
当時はまだ、VBとDBの違いは五体満足・定型発達で産まれてくる保証のみ。
だが、成長過程とともに『VBを見下す』選民思想を持つDBが増えていると教育機関から指摘の声が出た。
そりゃそうか。
金かけて選ばれた人間だって分かりゃ、遺伝子マウントを取る子供だって出てくる。
人種とか地域とか性別でマウント取る勢もなくならないからな。
「それで、私の世代は精神面に問題を抱えないように遺伝子情報を書き換えたんだって」
「…………」
性格の穏やかな遺伝子なんて聞いたことないし、ようは洗脳じゃないの?
と言いたくなったけど飲み込んだ。
で。日野の言う通り、第二次DB世代はいじめ撲滅も兼ねた”いい子”をコンセプトに実用化された。
心がきれいなら身体もそうであるべき。
そんな国民の要望を反映して、この世代からは容姿も設定可能となった。
終わりなき人体実験の始まりである。
しかし科学のあこがれは止められないのだ。
容姿が設定できると発表されてからは、DBのニュースもネガキャン記事からポジティブ記事に移り変わり始めていた。
整形や化粧では、決して天然美形には勝てない。
容姿の悪さに苦しむ子も大勢いる。
そのリスクが取り払われるのであれば、とDBに踏み切る層も増えてきたのだ。
日野の親も、そのひとりであった。
「どうやらお母さんたちは、私を芸能人にしたかったみたいだね。同世代でデビューしてる子、テレビで結構見かける。みんな考えることは同じだったのかなぁ」
そこから先はだいたい予想通りだった。
日野は、親の望み通りには産まれてこなかった。
肥満児で、胴長で、釣り上がった目と膨れた顔。
体型は痩せればなんとかなりそうでも、身長と顔だちはどうにもならない。
芸能界への道は閉ざされてしまった。
それが、失敗作の理由だという。
あれだけ金を掛けたのに、裏切られた。
アイドルとしての利用価値がない子は、そのぶんヤングケアラーとして役立ってもらおう。いい子としては産まれてきたから。
そんなところらしい。
あほくさ、と心のなかでわたしは悪態をつく。
「その時点で子ガチャ失敗とか嘆くの早すぎない? 成長して顔のバランスが崩れる元美形なんてわんさかいるし。わたしだって、1年同じ学校にいたのに気づかなかったんだから。こんな美人が身内だったってこと」
「あはは、褒めてくれてありがとう」
産まれてたった数年でわが子の何がわかるというのか。
そのたった数年で愛想を尽かされたわたしが言えることではないが。
さっきの演説で政治家は『DBでなければスタートラインに立てない構造こそが問題』と言ってたけど、軽視されてるのはVBだけではないと思う。
金さえ積めば子供をカスタムできる。
それによって、わが子を私物化する親を生み出していることを。
この世界のどこかで、親の奴隷として産まれたDBがいるかもしれないことにぞっとする。
「ねえ、今は大丈夫なの」
気になってわたしは尋ねる。
教師辞めて今からでも芸能界目指せと強要されていないか、はたまた公務員だから搾取子にされていないか心配になる。
「大丈夫だよ。もう連絡はできないから」
絶縁したってこと?
それなら吹っ切れたように日野が語っているのも納得だし、ひとまず安心か。
「そっか」
顔に出てませんようにと祈って、わたしは明るめの会話に切り替えた。
「じゃあきっと、今日は身体が10年ぶりにお休みをくれたんじゃないの。頑張り屋さんの日野先生に」
「君を迎え入れた直後に清算しなくたっていいのに」
「体調不良は突然くるものでしょ。わたしももう、高校生なんだから頼っていいんだよ」
子供たちをまとめる良きお姉さんだった日野。
小さなお母さんのごとく頼りになって、かっこいいと思っていた。
いくらDBだとしても、彼らだって幼さは持ち合わせている。
この落ち着きっぷりはどこから来ているんだろう。いつも不思議に思っていた。
普段からこれが、日野にとっては当たり前の日常だったんだ。
「こないだ、子供は掃き溜めにしないって言ったばかりなのに。なんかまた重い話になっちゃったね」
「や、今回もわたしが気になって踏み込んだ話題だからいいんだよ。いろいろ聞かせてくれてありがとう」
それに、病人を起こして話に付き合わせてしまった。それが問題だ。
この時間じゃお腹も空いてきただろうし、わたしがいてはマスクも外せない。
貴重な療養の時間を邪魔していることに気づき、わたしはあわてて会話を打ち切る。
「じゃ、ご飯食べて、ゆっくり寝てね。鍋は回収しに後でいくから置いといて」
正座の姿勢から立ち上がろうとすると。
ふいに、日野があぁ、と何かに納得したような含みのある声を上げた。
「彰子はときどき、私よりも大人に見えるね。だから話しやすいのかな」
幼少期に熱を出しても、こんなふうに付きっきりで看病してもらったことはないと日野はこぼした。
仕事に穴を空けるからという理由で、親からは面倒そうな目を向けられる。
子供の心配より、仕事の心配かよ。
「自分らは伝染すリスクを無視して娘をこき使ってたくせに?」
「なかなか休めない仕事だったのもあるだろうけどね」
確かに子供の熱で休むワーママの肩身が狭い風潮はあるけど。
でも、弱ってる人に厳しい奴ほど自分が弱ってるときは大げさに騒ぐよなあ。
せめて家では悩みを受け止め、ささやかでも背中を押せる人間になりたい。
バイト先で食事をした際に芽生えた”頼られたい”という気持ちは、『大人』と口にされたことによって膨らんでいくのを覚えていた。
「じゃあ、他になにかしてほしいことはある?」
「んー……」
少し考えるように首を傾げると、日野は意外な要求を申し出た。
「寝るまで、手を握っててほしい。とか」
「おや」
そんなんでいいのか。
それはまた、切ない少女時代を彷彿とさせる注文だ。
「あ、いや、うつしちゃうよねそれだと。ごめん、」
やっぱいいよと撤回する日野の横にしゃがみこんで、わたしは手を取った。
「え、あ」
「こっちもマスクしてんだから遠慮すんな」
テンパって腕を引こうとする日野に構わず、両手で細い指を包み込む。
大人になると甘えたくてもなかなかできないんだから、ささやかな願いくらい叶えてやらなくてどうする。
「もっかい聞くけど、ほんとにこれだけでいいんだね?」
「う、うん……」
「べつに笑ったりしないよ。わかるもの。弱ってるときって心細くなるから、ひとりで寝るのは寂しいって気持ち」
寒気をこらえて布団にもぐって、無機質な天井を見上げて。
鼻が詰まって苦しい呼吸のなか、ただ意識が途切れるのを待つ。
そんなときに優しくしてもらった記憶は、ずっと心に残るのだ。
逆もしかりで、つらいときに冷たくされたことはいつまでも子供は覚えている。
だからこそ、日野はぽろっと本音を漏らしたんじゃないだろうか。
子守唄でも歌ってやろうか、とからかうと日野は頭まで毛布を被ってしまった。
こんもりふくれた布団からにゅっと突き出た手首だけが、今のわたしたちをつないでいる。
「やっぱ手、熱いねえ」
「彰子の手もあったかいから、そこまで熱はないと思うけど……」
もごもごと聞こえてくる声をきっかけに、そういえばどことなく暑さを覚えていることに気づく。
ぬくい室温の影響だけではないだろう。
「…………」
会話が途切れて。
起きてるか寝てるかわからない、穏やかな呼吸音が流れてくるようになって。
それでもまだ、手はぎゅっと握りしめられている。
離れないでと言っているかのように。
熱と柔らかさによって接続された、わたしの右手。
だんだん、暑さからじわじわとこそばゆさが広がっていくのを覚えていた。
情緒をかき回されているのに、決して不快ではない衝動が湧き上がっていく。
胸元は汗がにじんで、知らず知らずのうちに息を止めていたことに気づく。
やっぱり、こうなる。
日野と手をつないでいると、いつも。
なにかに塗り替えられていくような、ぎりぎりのところでせき止められているような。
かたちにできないもやもやが思考を埋め尽くしていく。
「…………」
おそらく日野は、もう寝入っているだろう。
腕を引けば簡単にほどけるだろうに、まるで手汗で張り付いてしまったように右手を動かすことができない。
眠っている今だったら、つかめない正体にたどり着けるかもしれないと。
相手の要求に応えていた行動が、自分の好奇心を満たす行為へと移り変わっている。
熱い。
湯に浸かっているかのような心地よさと、これ以上内なる変化に委ねてはならないと急かす警鐘がせめぎあって胸を打っている。
どくん、どくんと。鼓動が大きくなっていく。
正しく呼吸はできているはずなのに、首周りが締め上げられるような窮屈さを覚える。
なにこれ?
わたしの深層心理はいったい、何を伝えようとしている?
でも、理解が追いつく前に糸口は断ち切られてしまった。
「…………」
ずるりと。ぬくもりが抜けて、日野の手が毛布へとすべり落ちる。
あとに残されたのは、虚空を掴む汗ばんだ右手。断続的に届く、日野の寝息。
それが合図となって、急速に思考がクリアになっていく。
それから堰を切ったように、ぼっと羞恥が湧いてきた。
勢いよく立ち上がって、逃げるように日野の寝室を後にする。
壁に寄りかかって、熱のこもる右手を握りしめて。
思いっきり額を打ち据えた。
「……あほか」
なに考えてたんだ、わたしは。
謎の罪悪感にうなだれて、自室に戻ったわたしは唐突に勉強を始めた。
集中して、何もかもを忘れるために。
夕方。
ふたたび日野の部屋に鍋を回収しに訪れると、備え付けのメモに書き置きがあるのを見つけた。
『好きなだけよそってどうぞ』
その、わたしが書いた文字の横に。
『おいしかったよ、ありがとう』
女子らしい丸っこい文字で、ネコみたいなアニメキャラクターが顔文字代わりに描かれている。
「…………」
ほわーっと、胸の奥から温かさが広がっていく。
ああ、家族っていいなあ。なんて月並みの感想を抱いて、もういちどメモに目を通して。
ぎゅっと、胸が締め付けられるのを感じた。
……いや、なんでだよ?
尋ねても、答えは未だ見つけることができない。
自分自身すら、わたしはほとんど解かっちゃいないのだから。
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