【彰子・皐月視点】まんざらでもない扱い

 これは夢の中らしい。

 親戚一同が集ったときに、だだっ広い和室でひとり絵本を読んでいた、かつての記憶をわたしは覗いている。


 宴会場となる祖父母の家は増改築したばかりで、いつも綺麗に片付いていた。

 畳から漂う静謐な匂いと、静寂に包まれた和の雰囲気が好きだった。


 だけど大人の言葉が分からない頃から、なんとなく自分は歓迎されてない人間なのだと感じ取っていた。


 理由はシンプル。

 DBが当たり前となった世代に、VBが誕生したからだ。


 わざわざVBなんか産むなんて。

 下手すると穀潰しか犯罪者予備軍になりかねないのに。信じられない。


 嫌味を言われ、うつむく母親の背中だけは今でも思い出すことができる。


 家ではわがままな娘に手を焼かされ、外ではVBを産んだことを責められて。

 居場所がない母親は、それでも愛想笑いを浮かべて親戚の群れに交じる。


 旦那にしがみついて、座る場所を空けてもらって、適当に相槌を打って、慣れない酒をちびちびと飲んで。


 それ以上に育児から解放されたかったんだなって、今ならわかる。

 だって思い出そうとしても親の顔はおぼろげで、代わりによみがえるのは世話を押し付けられた丸っこいお姉さんだったから。


『彰子ー。どこだー。ごはんですよー』

 ふすまの向こうから、わたしを探すお姉さんの声と足音が近づいてくる。


 まだ小学生だったのにしっかり者だからって、小さな母親役を任されていた人。

 今は本当に母親代わりとなった、二重の意味での保護者。


 みーつけた、とお姉さんがふくよかな腕を大きく振り回す。

 ちいさいわたしは絵本から顔を上げて、さつき、と呼んだ。



「…………」

 スマホの耳障りなアラーム音に意識を揺り動かされ、目の奥に光が差す。


 ルームメイトのいない部屋を見回して、そういえば昨日から里子になったんだっけと己の立場を認識する。


 バルコニーに続く南向きの窓からは朝日が射し込んで、フローリングを鈍く照らしている。

 温く、日当たりがいい部屋だ。

 3LDKって広いね。


 己が一番乗りということに、そこはかとない優越感を覚える。


「おはよう」


 扉が開いて、金太郎みたいだったフォルムの面影など皆無の日野が顔を出した。


「いい夢でも見た?」

 頬が緩んでいたことを指摘されて、『べつに』ととっさに素っ気ない声で返してしまう。

 そんなに顔に出てたのか?


「そろそろご飯にしようと思うんだけど、お腹空いてる?」

「まあまあ」

「まあまあね。じゃあ、軽めにパンにしようか」

「あ、じゃあ、お皿出す」


 つい昨日の夕食も日野任せだったことを思い出して、慌てて手伝いを申し出た。



「それじゃあ、いただきます」


 テーブルに向かい合って、手を合わせる。

 今日の朝食はトースト、茹でたキャベツとプチトマト、ベーコンエッグ、コーンポタージュの軽めなメニュー。

 あと健康にいいからと、コップ一杯の牛乳を添えて。


「彰子、卵焼くのうまいね。半熟だとたまに崩しちゃうからさ」

「レンチンしたやつ乗っけただけよ」

「時短にもなるしそっちのが便利だね」


 ブラックペッパーを効かせたカリカリベーコンをかじり、さっくり焼いたトーストとの食感を味わう。


「結婚生活ってこんな感じなのかなあ」

 目を細めた日野がいきなりそんなこと言ってきたもんだから、ぶふっとコーンスープを吹き出しそうになる。


「朝ごはんを誰かと作って食べるって、実家にいたとき以来だから」

「ああ、そういうこと」


 最近は時間がなくて朝ごはんを食べる習慣がない人も増えてるし、一緒に食卓を囲まない家庭も珍しくないけどね。


 でも、その光景を現代の家族のかたちと捉えるのは寂しいなと思う。


 朝食を済ませて、わたしは食器を洗っていた。

 カゴに入れた食器は日野が水気を拭き取り、棚に収めていく。

 水はまだ氷のように冷たいので、お湯を出して。


 結婚生活。

 共同作業をしているからか、さっきの日野の台詞を思い返してしまった。


 ……いやいや。

 娘と母でも置き換えられるだろ。なんでそっちに想像が飛躍した。

 ごまかすように、親子らしい話題を咳払いとともに切り出す。


「教員って朝早いよね? いつも何時くらいに出るの」

「遅くても7時半かなあ。基本は6時起きだね。ご飯は7時までに食べ終わる感じで」


 部活を持っている先生はもっと早いスケジュールらしいが、わたしの高校は顧問は外部委託だ。

 教員の人手不足が深刻化しており、働き方改革で負担を軽減する方針にしたらしい。


「じゃあ、それくらいの時間に起きられるようにする」


 眠いからって、作ってもらった朝食をラップがけさせることはしたくない。

 なにより、わたし自身にあこがれがあったのだ。


 家族と一緒に朝ごはんを食べたいという、温かい家庭への。


「は、早起きが習慣づいたら遅刻防止にもなるし」

「うん。いい心がけだ」


 子供じみた願望を知られたくなくて、つい目線を逸らしつつ言い訳気味に早口になってしまう。


 これも、相手を親代わりだと意識し始めているがゆえの恥ずかしさなのだろうか。

 これが反抗期ってやつ?



 食器を洗い終わって、近隣のスーパーに買い物に行くからと日野は玄関に向かった。


 わたしはお留守番でいいと言われたけど、住む以上はある程度地理を知っておいたほうがいいかなと思ったので日野に続く。


 ついでに、押し花キットを買いたいと思ったのだ。

 昨日偶然キャッチした桜の花びらのね。

 あのままであれば当然枯れるだろうし、こういう少女趣味はガラじゃないんだけどさ。


 そういや、桜ってなんかおまじないあったよな。

 キャッチできたらいいことあるよって。

 気になったのでスマホでググってみる。


 えーっと……3枚キャッチすると願い事が叶う?

 左手で掴むと幸せになれる? 

 指二本でつまんで取れると金運アップ?

 そのまま食べると1年間幸運が持続する?


 後半になるにつれてうさんくさいの増えてきたなー。

 まあジンクスってそういうもんだけど。


 だんだん呆れてきたわたしはスクロールしていた指を止めて、ブラウザバックしようとする。

 と、気になる一文が目に飛び込んできたので指を離した。


 ”キャッチした花びらの枚数は、1年のうちに出逢う恋愛対象になる人の数になる”


 ほうほう。

 願い事の最低ラインが3枚と聞いてがっくりしてたけど、恋愛運で考えれば1枚でもプラスに捉えられるのか。

 ほんとにこの1年で逢えたら信じてやってもいいけど。



・皐月Side


 買い物が終わって、私たちは最上階のゲーセンに向かった。

 ゲーセンは春休みということもあり、多くの子供達で賑わっていた。


 某太鼓ゲームでは、若い男性がギャラリーに取り囲まれていた。

 華麗なバチさばきで、複雑な譜面を難なくこなしていく。

 やる側も見る側も楽しいゲームはいいものだね。


 子供たちはスマホを構えることなく、大人しくノーミスを見守っている。

 こういった光景から、DB世代が増えてきたんだなと実感する。


 ……あまりこういうことでDBを肯定したくはないけど、DBの普及と保育士・教員の人手不足改善は直結している。

 大人しくいい子が増えて、現場での負担が減ったからって。


 子供が子供らしく生きることを許さない社会って、なんなんだろうなあ。



 彰子と金魚すくいのメダルゲームでしばし楽しんだのち、背後から人の視線を感じたので振り向く。


「…………」

 4、5歳くらいの女の子がじっと私たちを見ていた。

 肩に掛けたポシェットは大人用で、地べたすれすれの大きさだ。


「あ、ごめん。やりたいよね」

 いけないいけない。白熱して、つい長時間占領してしまっていた。


 譲るようにその場から少し距離を置くと、女の子は無言でゲーム台の前へと歩いてきた。


 どうやら本当に順番を待っていたようで、そのままボタンを押して遊んでいる。

 大人として情けない。もっと早く気づくべきだったよ。


「ねぇねぇおねーさん。このカメがほしいの?」

「えっ」

 急に女の子が口を開いたものだから、びっくりして一瞬固まってしまう。


「そうだけど、難しいよね。なかなか取れなくて」

「おねーさん、ポイ入れるのがはやすぎるんだよ。これはぎりぎりまで待って入れるの。みてて」


 い、意外と気さくだなー、この子。

 女の子は私に向かってぺらぺらまくし立てながら、器用にひょいひょいと獲物を掬っている。


 店の設定が変わったのかと疑うほどには、入れ食い状態だ。普段からやりこんでいるのだろうか。


「へぇぇ、君はプロの腕前だね」


 素直に褒めると、女の子は気を良くしたのかゲーム画面から手を離した。

 そのまま袖を引っ張り、『あっちのゲームもとくいだからみてて』と連れて行こうとする。


 ……気さくにしても、ちょっと大人に対する警戒心がなさすぎやしないか?


「待てや、お嬢ちゃん」


 それまで黙っていた、彰子が立ちふさがった。

 メダルケースを私に預けると、彰子は女の子の前にしゃがみこんだ。


「知らない大人についていっちゃだめでしょ。パパとママはどうしてるの?」

「となりのパチンコ台にいる」


 女の子が指を差した先には、小太りの女性の背中が見えた。

 普通は子供と遊ぶよなあ。

 ちょっと注意しよう。


「すみません」

 女性は聞こえていないのか、黙々と手を動かしている。

 こんな爆音の中よく遊んでいられるものだと思う。


「あそこの子供に話しかけられまして。ママは? と聞いたところあなたを指したのでお伺いいたしました。不用心なので、あまりお子様から目を離さないでいただきたいのですが」


 女性は相変わらず微動だにしない。

 振り向きもせず、黙々と視線は流れるパチンコ玉に向けられている。


 ここまで徹底的に無視するのもどうなんだ。

 聞こえていないのなら、もう少し声を張り上げるか。


「あの、」

「しつこいんだけど。子供がうろついてるって、ほかにもがきんちょはいるでしょう」


 他の子供たちは保護者がついているか複数で行動しているよ。

 幼児が単独で徘徊しているのはあまりにも危険すぎる。


「だから目を、」

「なに? なにかやらかしたの? 話しかけただけでしょう? それ罪になる? 気が散るからもう出てって」


 取り付く島もなかった。

 しっしっと手で追い払われ、私はすごすごとその場から退散する。


 子供の放置っぷりからうすうす察せたが、あれは話が通じないタイプだ。

 ああいう人が三者面談の親連中にいないことを祈る。


 彰子の傍に戻ると、まだお説教タイムは続いていた。


「きみ、べつのゲームで遊ぼうとしてたみたいだけど。そのメダルは他の人のだよね。さっき席を立った人の台からメダル取ったとこ見かけたよ。嘘だって言うなら店員さんに防犯カメラ確認してもらうけど」


 彰子、その頃から見ていたのか。

 どうりで警戒した顔をしていたわけだ。


 私と遊んでいる最中に持ち分がなくなったら、きっとこっちのメダルケースから捕るのだと思ったのだろう。


「本当に、お金を出して買ったの?」


 彰子がゆっくりと問うと、女の子はうつむきながら『1000円もらったもん』とつぶやいた。


「きみはいつから、いつまでここにいるの?」

「10時から、6時まで……」


 開店と同時にパチンコ台を占領して、子供は放ったらかしなの?

 その事実に、私と彰子は同時に眉をひそめる。


「ああ、6時になると18歳未満は締め出されるからか。ご飯は食べた?」

「……買えって言われてる」


 それじゃあ足りるわけねえだろ、と彰子は呆れたように息を吐いた。


「ゲームやりたいなら、ママにお金をもらってきなさい。向こうだって今パチンコでお金使ってるんでしょう」


「え、えっ」


「ひとのメダルを勝手に持っていくのはいけないことなの。メダルの譲渡も禁止されてる。聞かないなら店員さんに注意するわよ? そうしたらいろんな大人に叱られる。きみはここに来れなくなる。それは嫌だよね?」


 こんなに小さい子が相手でも、彰子は遠慮も容赦もない。

 他人の私たちが介入できるのは、せいぜい店員に注意を促すことくらいだ。


 女の子は彰子の言葉にすっかり怯えて、私の後ろに隠れてしまった。

 私の指先をぎゅっと掴んで、耐えるように背中を丸めている。


「ほら、行って来なよ。わたしは遠くから見てるから」

「…………」


 女の子はそれでも、かぶりを振って私から離れようとしない。

 まるで守ってくれることを求めているかのように。


 そこでやっと、私たちは女の子がゲームをやりにここに来ているのではないことに気づいた。

 険しい顔つきから一転した彰子が、柔らかい口調になって話しかける。


「今まで、何度かお金ちょうだいって言ったことはあるの?」

「……うん」

「くれなかったんだ?」

「……うん」

「なるほど、ね」


 パチンコに丸一日金をつぎ込むような大人が、子供に追加料金をやる余裕などあるわけがないか。


 おそらく、”渡した金でやりくりできないお前が悪い”と言われたのだろう。

 あのつっけんどんな態度からは容易に想像がつく。


「そっか。きついこと言ってごめんね」


 女の子の肩にぽんと両手を置いて、彰子が立ち上がる。

 お腹空いてる? と尋ねると女の子は控えめに頭を縦に振った。


 本当は見ず知らずの子供に施しをしたら、付きまとわれる要因になるからいけないのだけれど。

 長時間放置されているとなれば別だ。


「お代はいらんよ」

 彰子は軽食用に買ったらしい菓子パンを渡すと、カウンターに向かっていった。

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