4月編

新学期初日

 いよいよ今日から新学期となった。


 眠気覚ましに、カーテンを開ける。

 外は一面の曇り空だった。それも今にも降り出しそうなねずみ色だ。

 初日からこれかよと行く気がごっそり削がれていく。お天道様まで闇落ちしてんじゃないよ。


「はい」

 食後、コーヒーをすすっていると取手の付いたポーチみたいなものを渡された。

 重く、触るとまだ温かい。


「大きめの弁当箱にしてみたけど、これで足りるかな」

「……あ、ありがとう」

「あ、もしかして外食か買い食いの予定だった?」

「作っていただいたご飯は、ありがたくいただきます」


 ついでに、弁当も明日からは自分で作るからと言っておく。これは言うのを忘れていたわたしに非があるけど。

 これ以上日野の時間外労働を増やすわけにはいかない。


「手間がかかることを気にしてるのだとしたら大丈夫だよ。一人分も二人分も変わらない」

「じゃあ、娘兼生徒が自立したがってるんだと思って。気遣ってるとかじゃなくて、なんでもひとりでできるようになりたいだけ」


 弁当くらい、白米と出来合いのおかずを詰めれば十分だ。

 最近は冷食と馬鹿にできないほど美味しいものも増えているし、食費もバイト代でまかなえる。


「そう言うのであれば、保護者として成長を見守るべきだね」


 そういえば、と。

 日野は声を明るめに張り上げると、話題を変えた。


「かっこいいね、その制服。うちの高校は可愛い寄りだと思っていたけど」

「あっても着る人滅多にいないからなぁ」


 わたしが身にまとっている制服は、ブレザータイプで下がスラックス。

 アレンジは自由なゆるめの校風なので、中にパーカーを着ている。


 でも、スラックスJKはクラスに一人か二人見つかれば多いほうだ。

 9割はスカートで、やっぱりみんな学生のうちに履いておきたいんだなと実感する。

 わたしがパンツスタイルなのは、単に動きやすくて好きだからだ。


「写真を撮ってもいいかな」

「パリコレモデルに加工してくれるなら」

「あはは、それだと背景が異次元になってしまうよ」


 軽いジョークを打ち返せるようになった日野がスマホを構える。

 日野視点ではそこかしこにシャッターチャンスが転がっているらしく、暮らして数日でどれだけポーズを取ったかもう忘れてしまった。


「彰子は細身だし、上背があるから似合うね」

 私は童顔で胴長だからなぁ、と撮影を終えた日野が自虐的に笑う。


 わたしの160ちょっとは高身長とは言わないんだけど、”娘”のほうが高いのは気になるのか。


「わたしなんか撮ってて楽しいか?」

「もちろん。制服に着替えると二割増しで魅力的だね」

「日野は褒めて伸ばすのが上手いね。さすが教育者だわ」

「お、お世辞じゃないぞー」


 ジャガイモのような我が子も、愛があればマッシュポテトくらい垢抜けて見えるのかもしれないけどさ。


 時間も押しているため、ここらでさっさと会話を切り上げた。


 外に出ても、相変わらずの眠気を誘う空模様は変わらない。

 濁った天候とは対照的に、植え込みにはいくつものツツジが赤紫色の花弁を広げていた。


 生け垣もきれいに剪定されており、雑草は見当たらない。

 道路脇からもっさり生えてる奴らを取り除くだけで、印象ってがらっと変わるよね。


 花壇は植え替え直後なのかパンジー、チューリップ、芝桜といった色鮮やかな草花が春を彩ってくれる。造園業者の涙ぐましい努力を感じた。


「彰子、彰子、撮ろう」

 季節折々の景観に日野が目を輝かせて、スマホを取り出し手招きする。


 きっちりした格好でいるから、ついでに記念撮影したかったらしい。

 わたしはともかく、日野は時間大丈夫なの?


「じゃ、いくよー」

 見頃となったツツジをバックに、二人並んで立つ。

 駅の一件のあと、すぐに買った自撮り棒を構えて。


「ひぇっ」

 シャッターを切る直前、わたしは日野の背後に腕を回した。


 そのまま首元を引き寄せて、画面におさめる。

 こめかみ同士がぶつかって、素っ頓狂な悲鳴が日野から漏れた。


「キメ顔ばかりじゃ家族の日常感薄いでしょ」

 屁理屈をこねて、切り取った一枚を日野の眼前でぶらつかせる。


 目を丸くして動揺する一瞬がばっちり撮れていて、日野は『消してー』と手をぶんぶん振り始めた。


「どうしても嫌なら消すけど、こっちも日野らしくて好きだけどな」

「なんでそういうときだけ素直に褒めてくるのさ」

「反抗期ですから」

「なんで私が撮ってるときは仏頂面で、今撮ったやつはこんなにいい顔するんだよぉ」

「天邪鬼ですので」


 日野はときどき自分よりも幼く見える瞬間があって、大人ぶった顔を崩すのが楽しい。

 我ながらかわいくねえ娘だ。


「あんまり先生をからかうんじゃない」

「あたぁ」


 デコピンを食らい、さほど痛くないのに大げさに額を押さえる。


 日野は写りに納得がいかない写真をしばらく眺めて、しぶしぶ保存した。

 わたしが笑っているからという理由で。


 日野を見送り、軽やかな足取りで部屋へと戻る。

 ぶすったれた空色とは裏腹に、どこか清々しい気分でわたしは準備に取り掛かった。



「そんなわけで、今年も1年よろしくお願いしまーす」


 引き続き担任となる、西園寺さいおんじ先生の舌っ足らずな声によるLHRが流れていく。

 去年とまったく顔ぶれが変わらないのは、うちが専門高校だから。


 近年高卒での採用枠が増えるにつれ、即戦力として使えるように専門教育を中心とした高校は急速に増えていった。


 ここ、『県立明和めいわ福祉高等学校』は総合学科と短期就職を目的とした福祉科に分かれており、わたしは総合学科に在籍している。


「勉強も大事だけど、遊んでおくことも大事だよ。大学生や社会人になればイベントがどっと減っちゃうからね。将来の人脈や結婚にも響いてくるから、悔いのない青春を満喫しようねー」


 べつに勉強も娯楽も恋愛も何歳からでもできるし、若いうちにやってこなかったから取り返しがつかないってことはない。

 が、青春コンプレックスはある意味不治の病だ。


 学生時代でしか味わえないものがあるから、今のうちあれこれ経験しとけって大人は言いたくなるんだろうか。


「ではでは、先生からのお話は以上でーす。学級委員さん、号令をお願いしまーす」

「はい」


 滔々と放たれた、透明感のある声の主へと視線が向く。

 真っ黒い後頭部が目に入った。クラス委員長を務めている山葉やまはさんだ。

 日野とのツーショットを見られて以降、ちょっと気になっている相手でもある。


「起立、礼」

「ありがとうございましたー」


 今日はこれで解散ということで、教室内にはざわついた生活音が満ち始めた。


 校門を出て駅に向かう途中、遠くにクラスメイトを見つけた。

 これだけ離れていても、上から下まで真っ黒の姿はすぐにわかってしまう。


 山葉さん。

 いつも物静かで、クラス委員の役職を淡々とこなす姿しかわたしは知らない。

 彼女との接点なんぞ、クラスメイトであることと日野といとこ同士であることを知っているくらいだ。


「…………」

 いつの間にか、わたしの足はアスファルトを蹴っていた。

 談笑する生徒を横切って、ただ一人を目指し突き進んでいく。

 山裾から運ばれてきた一陣の風が、深層心理でささやく声が、足を止めるなと背中を押す。


 わたしは交友関係を築くのが下手だ。

 幼少期の手痛い経験から、なるべく人とは最低限の関わりだけで生きたほうが恥をかかないと知った。


 今のクラスはいい子ばかりだから、浮いたぼっちがいようが排他も干渉もしてこない生ぬるい環境はありがたかった。


 西園寺先生には孤立気味なところを心配されたけど、いじめられてるとかじゃなく輪に入りづらいだけと返した。


 和を乱すことを恐れて避けておきながら、結局は寂しかったくせに。


「山葉さん」

 2メートルくらいまで距離を詰めたところで声をかける。


 律儀にも山葉さんは、その場で足を止めて振り返った。

 濡羽色の短い髪が揺れて、大きな瞳がわたしを捉える。


「いかがなさいましたか」

「一緒に、帰ってもいい」

「構いませんが」


 そんなに息を切らして言うことですか、と抑揚のない声で山葉さんはふたたび歩き出す。

 足取りは緩慢で、すぐに追いつけた理由に気づいた。

 気を抜くと追い抜かしてしまいそうなので、踏み出す一歩に気をつけて歩幅を合わせる。


 とりあえず一緒の下校は許可されたので、距離を縮めるべくガールズトークへとしゃれこもう。


「山葉さんはどのあたりに住んでるの?」

「XX駅近辺です」

 最寄り駅からひとつ先か。前にわたしがいたとこだ。

 あの日はどうしてあそこにいたんだろう。


「図書館の隣に、農産物の直売所がございますよね。その周辺でバザーが開かれておりましたので、向かう途中でした」

「バザーなんてやってたんだ」


 ご存知ないのですか? と山葉さんが不思議そうに顔を覗き込んでくる。

 吸い込まれそうなベンタブラックの瞳からは、まるで感情が読み取れない。


「来て日が浅いもんで」

「そうなのですか」


 で、会話終了。

 言葉通り帰路を共にしているだけのふたりの間には、空虚な静寂が通り過ぎていく。


 アスファルトを叩く革靴の音が、やけに大きく聞こえる。

 いっそ大雨で沈黙をかき消してくれたらいいのに。灰色の空はまだ静観状態だ。


 山葉さんは話題を出せば打ち返してくれるものの、常に無表情で感情が読み取れない。


 これまで出会ってきたDBの中ではかなり異質なタイプだ。

 ここまで感情表現が希薄な人へのコミュニケーションはどうしたらいいのだろう。

 ぼっちのわたしが言えたことじゃないけど。


「ご用件は何でしょうか」

「え」


 巻き戻したテープのように、山葉さんは同じ台詞をもう一度口にする。

 いや、女子高生の行動原理なんて単純なもんだけど。


 1年前から同じクラスだったくせに何のアクションもなかった女が話しかけてきたから、その非合理性に戸惑っているんだろう。


「友達になりたいと思って」

「ご自由に認定いただいて結構ですが、推奨はいたしません」

「なんでさ」

「山葉は光岡さんに、なんのメリットももたらしませんよ」


 つまり。友人関係は拒まないが、自分といてもつまらない時間を過ごすだけだと予防線を張っている。


 今さら友達を作ろうと決心したのは、高2にもなって幼少期のトラウマを引きずってるからぼっちでーすってのもどうなのと思ったからだ。

 1年のときから行動しろって話だけど。


「あるよ。わたしが寂しくなくなる」


 日野が模範的教師なら、わたしは立派な反面教師だ。

 もう、あの頃のわたしとは違う。今度こそ良い関係を築いていくんだ。

 震えそうになる喉に力をこめて、はっきりと口にする。


「登下校とか、お昼とか。ふらっとご一緒できたらいいなって。それだけでいいんだ」


 ご納得いただけましたか、と聞くと無言でも苦にならないならと返ってきた。


 その言葉通り、それ以降は会話もなく駅に着いた。

 改札を抜けて、一緒の電車に乗って。

 隣同士、無言でつり革を掴みつつ電車に揺られる。


「ところで光岡さん」

 山葉さんから、お昼の誘いを受けた。


 お時間のほどが大丈夫でしたらご案内しましょうか、と。

 今日は雨が予報にあるからバザーは開いてないけど、付近にあるお蕎麦屋さんがなかなか美味しいからと。


「あー」

 お誘いは嬉しいが、あいにくお昼は先約が入っている。


「ごめんね、また今度誘って。絶対行くから」

「かしこまりました」


 また、明日。

 そう口にしただけで、心に充足感が沁み渡っていく。

 わたしは独りじゃないんだ。

 強がりでも綺麗事でもなく受け入れることができるって、いいものだ。


 最寄り駅についた頃にはすっかり雨雲が活性化して、大粒の雨が降り注いでいた。

 人のぬくもりが消えた、薄暗いマンションの一室へと戻る。


 お腹空いたな。

 制服をかけて着替えて、テーブルに置いておいた黒いポーチのチャックを開けた。

 それなりの大きさのランチジャーを取り出して、席に着く。


 ご飯と汁物の容器は保温性で、レンチンせずとも十分な温かさを保っていた。

 おかずは常温で、菌の繁殖を防ぐためか保冷剤が敷かれている。こっちは温めるか。


「いただきます」


 雨の降りしきるなか、寒々しい室内でひとり手を合わせる。


 明日からは自分で作るから、これが最初で最後の日野お手製弁当になるのか。

 ほのかな侘しさとともに箸を進めて、自分のために作ってくれた食事を噛みしめる。


 だし巻き卵も、いんげんのベーコン巻きも、きんぴらごぼうも、子供が喜んでぱくつきそうなチキンナゲットも。

 お弁当は温かくて、どこか懐かしさを覚えた。



 その日の夕方。

 今日はどうだった? と日野に聞かれて、『友達ができた』と小学生の絵日記みたいな報告をした。


「そーかそーか。頑張ったね、彰子」

 日野は大げさに拍手を送ると、次の日の朝にお赤飯を炊いて出してくれた。

 ……そこまで?

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