温かい指先

『こんなに育てづらい子だとは思わなかった』

 母から聞いた最後の言葉は、捨てるに値するには十分な理由だった。

 それに気づくまで、わたしは何人友達を無くしてきたんだろうか。


 中途半端に残ったカレー皿の上にスプーンを置いて、日野が興味深げにわたしに視線をよこす。


 食べながら話そうとするわたしとは真逆の姿勢だ。

 だってピザ冷めちゃうし。

 身の上話つっても、なんとなく気が向いたから口を開いただけ。


「日野ってさ、昔のわたしのことどれくらい憶えてる?」


 わたしが施設に来たのは、小学校低学年の頃。

 日野との記憶は幼稚園時代で止まっているが、年齢差的にあっちは高学年くらいだったはず。

 まったく覚えていないってことはないだろう。


「いつも大人しく本を読んでいた、という印象があるかな」

「ぎゃーぎゃー騒いだりはしなかった?」

「いや、むしろほとんど喋らない子だったと思うけど」


 じゃあ、相手を選んでたってことか。悪知恵だけは働くな。


「さっきの小学生よりもやべー奴だったから、わたしは施設送りになったんだと」


 曖昧な言い方なのは、人づてで自分の人となりを知ったから。

 人ってもんはだいたい、加害者だったときの記憶は無自覚か都合よく忘れているものなのだ。


 言葉が遅い。多動傾向。癇癪持ち。

 自然派の母の希望通り産まれたわたしの幼少期は、手におえないほどの問題児だった。


 なぜあんなに当時は短気だったのか、振り返ってみてもわからない。

 順序通りに事が運ばなかったとか、ご飯が冷めたとか。

 そういった些細なことが爆発の引き金になっていた。


 世界は自分の都合で動いているわけではないのだから、かんしゃく玉の火種は毎日どこかしらに転がっていた。


 そのたびにわたしは親へと当たり散らし、ひっくり返って泣き叫んだ。

 物を投げつけた。

 ご飯を床に叩き落とした。


 なのにいくら注意を受けても、反発心のほうが膨れ上がるばかりで反省という二文字がよぎることはなかったのだ。


「ちょっと奮発すればおりこうさんができるんだもの。そりゃあの人も後悔するわ」

 すべてのVBがクソガキではないのに、わたしはよりにもよって悪い見本で産まれてしまった。


 スパイスの効いたサラミを噛み締めつつ、近くの席をチラ見する。

 二組の親子が目に入った。

 子供はまだ2、3歳ほどにしか見えないのに、大人しく座ってジュースを飲んでいる。


 お水を持ってこようと席を立った頃からこうだった。

 ぺちゃくちゃ話している大人と、訓練の行き届いた犬のようにじっと黙っている子供。

 一昔前までなら異様な光景だったけど、今はこれが当たり前なのだ。


 最初から完成されている子供が、いい子の基準なのだから。

 厳しくしつけずとも、いい子が科学的に作れてしまう時代なのだから。


「でも、光岡は自分を客観的に分析できるくらい成長したじゃないか」

「自分のことなんて、たぶんまだ10分の1も知れてない。たったそれだけの解像度が上がるまでに、失ったものは多すぎたの」

「子供なんて未完成で当たり前だよ。いろんな経験をして大人になっていくんだから。私だってまだ、人間的には未熟なのだし」

「日野は教員になれただけあるねぇ」

「そう見えるだけだよ。成人すればわかるさ。みんな大人を演じてるだけなんだってことが」


 正論ではあるけど、”いい子”として作られたDBに言われても説得力が薄いのはわたしがひねくれすぎているからだろうか。


 衣食足りて礼節を知る。

 なんだけどSNSで他人の幸福が可視化できるようになった結果、どの国も幸福度は下がる一方となった。

 勝手に比べて、勝手に傷ついて、勝手に物差しで測ろうとする。

 わたしだってそうだ。


 DBの普及は、そうした修復不可なレベルにまでギスった人類の価値観をリセットする目的もあるらしい。


 美しく温厚な新人類であふれさせ、争いのない世の中へ。

 脳みそいじって負の感情を抑え込んで弱者を切り捨てる、強制された平和だけど。



 お皿にあるものはだいたいわたしと日野の胃におさめられて、残ったお冷を飲み干した日野が口を開いた。


「光岡は、本当に私でいいんだね?」

 確認の言葉には、日野の不安が読み取れる。

 顔見知りと、同じ釜の飯を食う生活は苦痛ではないかと。


 日野は今年から教科担任を受け持つから、つい最近知ったみたい。

 一年前からいたのに、変わりすぎててぜんっぜん気づかなかったしな。


「退所後も面倒見てもらえるってすごく助かるし。断る理由はないよ」

「おおおお、よかったぁぁ」

「そんな大げさに安心すること?」


 組んだ両手を天に突き出し、オーマイゴッドと言いそうな崇めポーズになった日野にツッコミを入れる。


「身内が里親って気まずいだろうし、不登校になったらどうしようかと」

「身内の目があるなら、なおさらバッドニュースはくれてやらんわ」


 日野は他言しないとは言ったけど、どこかで親戚の耳に入る可能性は否定できない。

 田舎の暇人どもの早耳と口のゆるさは、よーく知ってるから。


「逆にこっちが聞きたい。日野はなんで里親になったの?」

 わたしは疑問をぶつけた。

 日野の年齢なら、まず結婚が先にくるはず。


 子供だけ欲しいなら、矯正の効く幼児を希望すればいいし。

 中高生の教育なんて仕事でうんざりするほどやらされるのだし。

 どう考えても、わたしを引き取るメリットに行き着かなかった。


「実情を知ったから、かな」

「実情?」

「うん。いまはどこのクラスにも施設出身の子がいるよね。卒業後の進路が不安定なことも。どんなにつらくても、条件の良い仕事がすぐに見つかるとは限らない。だから劣悪な労働環境でも耐えるしかない。我慢し続けた末路が、路上生活になってしまうことも聞いた」

「確かに、若者のホームレスの割合は施設出身者が高いね」


 義務教育が終わってからは国も支えてはくれない。

 大人としてみなされ、食べるために働かざるを得なくなる。

 しかしソーシャルスキルが不十分の状態で世に送り出され、厄介者として扱われて離職するケースは後を絶たない。


 身寄りのない若者たちが、18歳で社会的に完全に自立するのはどれほど難しいことか。

 社会に出れば、個人の生い立ちなど知ったことではない。

 すべては自己責任なのだから。


「教員ができるのはあくまで進路指導だけで、その後の卒業生の生活には寄り添えない。大学も、就職も。帰る家がないのでは選択肢は狭められる。それでは、教育者として足り得ない。そう思ったんだ」


 アフターケア事業を行う支援団体はあるが、数や充実度は地域差がある。

 知名度も低い。


 里親を呼びかけようにも、中高生の引き取り手は非常に少ないのだ。

 研修の際も、ほとんどの里親候補者は新生児か幼児を希望していたと聞く。


「だから、手を差し伸べたいと思った。そんなところだよ」

「教員らしい回答だ」


 お人好しだ、日野は。

 社会に出て数年なのに、他人の命を預かる責任が持てるなんて。


 たとえ遺伝子に組み込まれた人格であっても、わたしが今必要としているのは親代わりの愛を注いでくれる人間なのだ。

 そもそも、そんな都合のいい人など現れるわけがないと思っていた。


 でも、その善意に甘えるだけでは駄目だ。

 愛に満たされて、欠点も長所も受け入れて、最後に己を肯定するのは自分なのだから。


「改めまして、これからよろしくお願い致します」

「こちらこそ。良き高校生活をおくれるよう、精一杯尽力いたします」


 揃ってお辞儀をして、面談はここで終了。

 デザート注文するかと日野は聞いてきたが、胃はもうぱんぱんだ。

 苺フェアのベリーババロアが気になったけど、それはまたこの次。


「光岡、そろそろお勘定にしようか?」

「…………」


 丸まった伝票を持って、会ってからずっと気になっていた違和感を口にする。


「名前でいいよ」

「ん?」

「もし学校で自爆しても、従姉って言えば問題ないし。家では名前でいい」


 棄てた家の姓ではなるべく呼ばれたくないだけだ。

 日野の呆気にとられた表情が、やがてにんまりと緩んで口角を釣り上げる。


「うん。ならそう呼ぶね、彰子」


 差し出された日野の掌へ、そっと手を重ねた。


「…………」


 日野のしなやかな指が触れて、湯たんぽみたいな温かさが沁みていく。

 誰かの手を握るなんて、何年ぶりだろう。

 親とすら、物心ついたときにはハーネスで繋がれてたのに。


「……?」

「な、なんでもない」

 固く握っていた指を離す。長い握手になっていたらしい。

 日野がどうしたーと目の前で手を振ったところで、我に返った。


「君、意外と力があるんだね」

「え、ごめん、痛かった?」

「んーん、成長したなあってしみじみしてた」


 もう一度手を取って、日野が手相でも確かめるように掌に視線が向く。


 急に血流が上昇して、『ちょちょっちょ』と上ずった声が出てしまった。

 たかが手を見られているだけで、くすぐられているわけじゃないのに。


「悪い悪い、昔の感覚で」

 もうしないよ、と詫びを入れられたことに安堵と名残惜しさを覚える。


 ……なんだ名残惜しさってマザコンかわたしは。

 熱い頬を覆い隠すように、暖房が十分な店内だというのにマフラーを首に巻いた。

 

 きっと母親像を日野に重ねて照れてただけなんだ絶対そうだ。

 名前呼ばれたし、手を繋いだし。

 いや、どうなんだそれも? 相手は自分と同世代の外見だぞ。


 すっかり汗ばんでしまった掌を握りしめて、会計を済ませる日野の隣に少しだけ距離を開けて立った。

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