【皐月視点】里子が従妹で教え子だった

 教員の春休みは短い。

 授業は無くとも雑務は山ほどある。

 一学期ぶんの授業準備、帳票の準備、遠足の下見、学校全体の時間割作成など。

 平日は朝から18時頃まで働き詰めだ。


「…………」

 出席簿を作成していた手を止めて、ひとつのフォルダをクリックした。


 名標のエクセルデータを開くと、生徒の座席表がずらっと表示される。

 来月から教科担任になるクラスの子たちだ。


「(光岡、彰子……)」


 その中に。

 里子になる予定の、従妹の名前が目に止まる。


 まさか、こんな偶然があるなんて。

 去年から校内ですれ違っていたはずなのに、名簿を見るまで気づかなかった。


 明日の夕方に予定していた面談を控え、今から気が重い。


 彰子はなんと判断を下すだろう。

 家でも学校でも監視の目があるのは、窮屈でたまらないはずだ。


 その場合は意見を尊重して身を引くが、学校で顔を合わせることには変わらない。

 最悪の事態を想定するなら、気まずさから不登校になる可能性も否定はできなかった。



「さっちゃーん、おつかれー」


 鼻にかかった特徴的な声がして、モニターから顔を上げた。

 お菓子の箱を抱えて隣に立つ女性に頭を下げて、包装された一枚のクッキーを手に取る。

 どうやら、差し入れとして各教員の机を回っているらしい。


「ありがとうございます。西園寺さいおんじ先生」

「いえいえー、この時期がいちばん大変だからね。糖分はしっかり摂ってね」


 西園寺さんは、彰子のクラスの担任である。

 愛嬌のある顔立ちと人柄から、生徒からの人気は高い。私も新任当初からお世話になっている良き先輩だ。


「なにか聞きたいことはある?」

「そうですね……」


 あの子、去年はどんな感じだったんだろう。

 私は今、もっとも知るべき生徒である光岡彰子のことを聞いた。

 養育里親の報告も兼ねて。


「とってもまじめな子だよ。無遅刻無欠席だったし、これといったトラブルはなかったし、礼儀正しい子だったし」


 意外だ。

 脱色した髪、目立つ装飾品、化粧慣れしている派手な女子高生の装い。

 ”いかにも”な要素から遊んでそうなイメージを抱いていたが、根っこは変わっていないらしい。


 ただ、と西園寺さんは長所を述べたあとで、懸念すべき事項を説明する。


「ひとりでいることが多かったかなあ。いじめに遭ってるとかじゃなくて、学校が楽しくないみたいで」

「それって、本人の口から聞いたのですか?」

「うん。輪に入りづらいって」

「孤立気味ってことなのでしょうか……」


 クラス替えで人間関係がリセットされれば新しく友人ができるといった変化もあるが、あいにくうちは専門高校。


 学科ごとにクラスが区分されているため、3年間面子と担任は変わらないのだ。

 生徒同士の衝突を避けるため、ずっと席の並びも出席番号順で固定されている。


「情報ありがとうございます。まずは簡単な雑談から打ち解けられるように頑張ります」

「完璧にしなきゃってひとりで抱え込まないようにね。だいたい先生は、いろんなものを押し付けられすぎなんだよ」

「はい、あまり根詰めすぎないようにします」


 西園寺さんの忠告は間違っていない。

 完璧主義者の教師ほど現場とのギャップに心が折れて、離職するパターンが多いからだ。


「ふぁいとだよ、さっちゃん」

 西園寺さんは肩まで切りそろえた髪をぴょこぴょこ揺らして、差し入れをお届けに次の席へ向かった。


 あの人も指導要録の仕上げがあって忙しいだろうに、貴重な時間を後輩へのサポートに割いてくれるなんて。

 私も見習わないとな。


 もらったクッキーをかじりつつ、私はふたたび出席簿の作成に取り掛かった。



 次の日の夕方。

 予定通り、私は彰子を連れて近場のファミレスへと向かった。


 面談と構えてしまうと美味しく食事できないだろうから、今日はあくまで食べたいものをお互い食べまくるのがメインだ。


「いらっしゃいませー」

 私の感覚では平日だが、世間では春休み。

 店内は家族連れが非常に多く、にぎやかな空気に包まれている。

 そういや私達もファミリー層に入るのか。


「ささ、遠慮せず頼んでくれたまえ」

 案内された窓際の席に腰を下ろして、コートを脱ぐと。


「先に水、あ、お冷持ってくる」

 彰子がかしこまった言い方に直して、ついでに氷の有無を聞いてきた。

 教員の私にマナーを諭されると思ったのか、視線も言動も落ち着きがない。


「いいよ、それくらい私が」

「日野こそ待ってなよ。疲れてんでしょ」

「授業のない日は疲れたうちに入らないよ」

「入れろや。デスクワークのフルタイムで個別面談の残業付きなんだから」


 言い終わる前に背中を向けて、彰子はドリンクバーのコーナーへと足早に向かっていった。

 気を遣わせてしまったかな。

 でも、暮らしを共にするのだから保護者の仕事内容は詳しく知る必要があるか。


 私は広げたメニュー表に目を落として、ページをめくり始めた。


「おまたせいたしましたー」


 席に付き始めて数分後。

 とりとめのない話題を振る私とぎこちなく会話に応じる彰子との間に、店員の声が割り込んできた。

 香ばしい匂いがふわりと着地して、みるみる胃袋に食欲がたぎっていく。


 ちなみに私はビーフカレーで、彰子は目玉焼きハンバーグ。

 サイドメニューもつけているから、サラダにスープに山盛りポテトに直径20cmほどのピザもテーブルに並べられていく。


 女2人前にしては少々多い量だ。私はそれなりに食べるし、彰子も食べるかなと思っていろいろ頼んだのもあるが。


「いただきます」

 楊枝を突き刺し、さっくりほくほくのポテトを口元へと運ぶ。


 空腹時に味わう油と塩分は格別で、すぐさま舌が次のひとくちを催促する。

 ソーセージも、ぷつっとはじける皮がたまらないね。弾力感のある肉を噛みしめるたびに熱い肉汁があふれ出して、胃にじんわり沁み渡っていく。


「あんた、わりと大食いね」

「あ……光岡こそ」


 苗字呼びはまだ慣れない。でも今から声に出さないと新学期にやらかしそうなので、意識しないと。


 彰子もなかなか食欲旺盛だ。四分の一ほどに切ったハンバーグのかけらにかぶりつき、がっと白米をかっこんでいる。


 一口が大きいのか、みるみるうちに片付いていくプレートと豪快に頬張っている彰子の姿は微笑ましい。

 良い食べっぷりはこちらも箸が進むというものだ。


「…………」

 視線がかち合って、彰子が気まずそうに目線を落とした。口元を押さえて、食事のペースも落として。

 あれ、どうしたんだろう。

 半分を切ったグラスの水を呷ると、ぼそりと『……大丈夫だった?』とつぶやかれる。


「なにが?」

「食べ方。汚らしくないかって」

 施設出身というのもあり、しつけがなってない子じゃないか気にしてるのかな。

 前に、誰かから指摘されたのかもしれない。


「箸の持ち方は合ってるし、肘もついてないし、背筋も伸びているし、音も立てていない。十分だよ」

「そう」

 美味しい? と尋ねると大きく首が縦に揺れた。


「あっちではこんなボリューミーなの出なかったから。栄養バランスはいいんだけど」

 食べ盛りだから物足りなかったのだろうか。

 それなら、たまに外食に出かけるのもいいか。


 一通りの食育は学んでいるため、今は自分で作って食べる日もあるとのこと。

 だから私が体調不良等で食事が用意できない際も、問題ないと補足を受けた。


「外食自体いつぶりか覚えてない」

「確かに施設は3食用意してくれるけど……そんなに?」

「だって高いでしょ。大人からすれば普通の感覚なんだろうけどさ」

「これこれ、私だって外食は久しぶりだよ」


 物価もずいぶんと上がったし、高校生のお財布には痛いか。

 スター○ックス指数から見ると、経済的には上昇傾向ではあるのだが。


「ポテトと、そっちのピザも好きなだけ食べていいよ。うまいぞ」

「じゃ、ごちになります」


 おずおずと、彰子がつまんだ楊枝を伸ばそうとした時だった。


「っ」

 テーブルを強く叩きつける音が響いて、弾かれたように肩が跳ねる。

 な、何かあった?


「こらっ。何やってんの」

 荒らげる女性の声がはっきりと聞き取れる。子供のぐずる声も。

 スプーンを止めて耳を傾けると、どうやら私から見て横、中央の席で起きているようだった。


 すぐ近くのため、嫌でも光景が目に入ってしまう。

 状況を整理するとこんな感じだった。


 座っていることに飽きた子供が、店から出ようと言い出した。

 しかし親はまだ食事中だし、子供を店の外に出すわけにもいかない。

 スマホゲームや動画でなだめようとするも、しびれを切らした子供がフォークをどんどんとテーブルに叩きつけて癇癪を起こしはじめた。


 結局店員に注意を受けて、わめく子の手を引きながらレジカウンターへと去っていく親の背中が見えた。


 てっきりやんちゃ盛りの園児かと思ったのだが、子供は小学校中学年くらいにしか見えなかったのが一番の衝撃だ。


『これだからVBは』

『しつけもできないバカ親は次から入店禁止にしてほしいわ』

『子供が可哀想 親が発達だよね絶対』


 前後から親子に対する不満の声がぽつぽつと聞こえてきて、食欲が引っ込んでいく。

 ビーフカレーは残り数口となったが、どうにも喉を通らない。


 ここが公共の場であることを考えれば、マナーを守れない人に怒りが向くのは当然だ。

 だが、普段から苦労しているであろう親やうまく感情をコントロールできない子供の心境を考えると胸が痛い。


 生きづらい人たちは出てけと爪弾きにされるだけで、どこに行けというのか。

 加速する排他思想が、格差社会の溝を広げているというのに。


「えらいね、あのお母さん」

 涼しい顔でポテトをつまんでいた彰子が、乾いた声でつぶやいた。

 えらい、かあ。

 拾える陰口の大半が親を責める内容だというのに、珍しい意見だ。


「わたしの親だったら、あの子捨てられてるよ」

「……え?」


 豚汁のお椀を一気に呷って、彰子は話してくれた。

 施設に行くまでのいきさつを。

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