第19話 蒼き月光の剣

 配下の亡者を停止したと言う事は、それだけの魔力を自分の手元に戻すと言う事を意味した。

 レモリアが腕を振るうと、その手中にやはり、沼のものと同じ蒼い物が迸った。

 はじめは水道の水のように、放物線を描いて無為に落ちていくだけだった。

 それはやがて、何かに押さえつけられるように凝縮され……ついには大剣のような形となって、カレンへ水平に襲いかかった。

 これを予期していたカレンは背後へ跳び、危なげなくかわした。

 ついでに、自分を親指で指して体内リセットをしておく。これもこれで、悪役レスラーか何かの挑発行為に見えて、はしたない絵面だが。

 そんな事よりも、レモリアが手から出したものの事について考えねばならない。

 実際、それは大剣だった。

 蒼き月光の剣。

 燐光の毒水に圧力を加え、水流を剣の形に形成した、所謂水圧カッターである。

 水で近接武器を形成する聖水魔術は、元々ジョアン流聖闘技によって確立された様式だった。

 やはり、無手の状態から武器を任意に出し入れできるアドバンテージは大きい。

 筋力の無い魔術師が護身用に持つのもよし、暗殺者が指輪に忍ばせるもよし。

 そしてレモリアが独自に確立した「自身の薬効を魔力に変換する」“血清法”の応用により、独自にアレンジした成果が、この月光剣だった。

 つまり、術者の体内に燐光毒が回っていればいるほど、水量が大きく、水流は激しく、毒性が強くーーつまり剣が飛躍的に強くなる。

 レモリアが、片手で軽々と月光剣を切り返した。

 先程よりも太く長い、クレイモアやツヴァイハンダーすらも凌駕した特大剣サイズに達した水流を、カレンはまた跳び退いて躱した。

 更にカレンは、大袈裟過ぎる程に跳躍し、必要以上とも思われる間合いを離した。

 次瞬、月光剣の切っ先から光波が迸り、カレンのすぐそばを通過。遥か背後で大木を両断した。

 枝葉から地面に叩きつけられる音が、遅れて響いた。

 ついには飽和した余剰分のエネルギーを、光波としても飛ばす事が出来る、特大剣でありながら射撃武器とも化していた。

 だが、裏を返せば、それだけレモリアの身体に毒が回ってきていると言う事。

 事実、遠目から見ても彼の足取りは虚ろだった。

 一方、カレンには解毒手段がある。

 後は、接近さえ出来ればーー月光剣の巨大な太刀筋が、袈裟状に襲ってきて、カレンのすぐ目前の地面を抉った。

 当然の話だが、水の剣は術者の手から“射出”されているのであって“持っている”訳ではない。したがって、同サイズの実体剣よりも遥かに軽い。

 また、流体であるが故に、盾などの装甲で防がれたとしても、反動や抵抗が無い。

 斬撃が速すぎる上に、光波も飛んでくる。これ以上間合いを詰めれば避けきれないし、こんなちっぽけな小盾で受けるなど、まず無理だった。

 近付く隙が全く無い。

 ならば、レモリアが先に毒死するのを待つかーーレモリアが、空いた左手をこちらにかざしてきた。

 黒く渦巻く闇の塊が、

 三ヶ所に展開。

 すなわち、これまでの三倍の食人蝿を召喚したと言う事だ。

 途方もない数の蝿が、カレンへと殺到する。

 これが、本命だったのだろう。

 命を削った最終奥義・蒼き月光の剣は、この場に於ては食人蝿召喚の為の囮でしかなかった。

 戦術的勝利よりも、戦略的勝利。

 彼らしいやり方だった。

 もはや、避けようのない食人蝿を前に、カレンは。

 ……背中に備えていた、長い棒のようなものを左手に装備し、振りかざした。

 先端からオレンジ色の目映い光と、蒼く昏く輝く燐光毒の入り雑じったものが勢いよく放射された。

 二色の矛盾した輝きを放つそれを浴びた無数の蝿は、燃えるか燐光毒が回るか、あるいは両方を味わいながら絶滅して行った。 

 もはや死に体のレモリアが、虚を突かれたように揺らいだ。

 坑道で拾ったトーチを、汚染結晶で派生強化した、毒水松明。

 この瞬間の為に、カレンは敢えてこれを使わずにいたのだ。

 だから、前半戦では聖油と言う、効率の悪いやり方で蝿を迎撃していた。

 切り札を見せてしまえば、敵とて対策しようと動くだろうから。

 決め手の蝿を失い、隙を曝したレモリアを、水撃ボールの砲丸が打ちのめした。

 彼の華奢な身体は、ほとんど抵抗無く、大地に倒れ伏した。右手に展開していた月光剣が、制御を失って飛沫となり、跡形もなく四散した。

 カレンが、レモリアに迫る。

 一応、月光剣を再度形成しようとするレモリアだったが、その温和でくらい美貌が諦めを滲ませた。

 水の剣にも欠点はあった。

 水に充分な圧力が加わるまでに時間が掛かる……つまり、初動の刀身形成に大きな遅滞ディレイを伴うと言う事である。

 カレンのエストックが、レモリアの胸を刺し貫く方が速かった。

 

 教化の時間だ。

 レモリアは、じっとカレンを眺めているだけ。

「何か、異論等は?」

「特に無いよ」

 本当に興味がなさそうに、若き暗黒司祭は言った。

「僕は、何かに不満だとか反発を感じた事が無いのだよ」

「そうなのですか」

「生きるも死ぬも、腐るも消えるも、全て行き着く先は同じ。全ては、あるがままだ」

わたくしの配下となる事も?」

「そうだね」

「なら、最初から降参して下されば良かったのに」

「それは、摂理に逆らっているから駄目だ」

 ああ、とレモリアはもはや浅くなった溜め息を吐いた。

「僕が君に下る事で、怒る友人は居るだろうから……それが少し、憂鬱かもしれない」

「彼も、すぐに同胞になりますわ」

「それと」

 燐光毒に塗れた美貌で、レモリアは今一度カレンを見上げた。

「君自身はそれで良いのか、と言う事も若干は気になる」

 カレンは、ロザリオをかざして速やかに教化を実行した。

「それによる如何なる結果も、まあ、あるがままだから……大した事じゃないのだろうけど」


 レモリアの消えた後には、聖書が残されていた。

 蒼き月光の剣のそれだった。

 幼き日にレモリアが友と見上げ、畏怖を感じた銀月の記憶。それを具現化した我流の聖水魔術。

 “蒼き”と言う言葉は、月と剣、どちらにかかってていたのだろうか。

 真実を知るのは、レモリアだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る