第65話 亡き人のために

 良かったんだよな、とエルチェが振り返れば、レフィはこめかみと右腕から血を流し満身創痍でリラを抱きしめていた。ぎょっとするが、意識を失うほどではないらしい。


「ごめんね……リラに関わらせるつもりはなかったんだ。エルチェがへまするから」

「おい。ちょっと待て。あの人数はどう考えても無茶だろ。お前こそ、なにもたついてたんだよ。腹でも壊してたのか?」


 ちょっとした自分の油断は棚に上げて、レフィの腕が落ちたのかとつついてみる。


「リラの目の前で、彼女を狙ってるわけでもない従兄を殺せやれないだろ……死角になる角度とか、殺さずに動けなくする方法を考えていたら、集中出来なくて」

「……お前からそんなセリフを聞く日が来るとは思わなかった」

も思わなかった」


 あ。とエルチェは一瞬口を閉じた。一人称が『俺』になっている。気丈に立っているけれど、だいぶ血の気が足りないのかもしれない。


「あの状況で、リラが庇ってくれて嬉しい。あんなやつに負けるくらいなら、リラの手にかかる方がいいなとは思ったんだけど。想定以上に見事だった。俺は守ることしか教えなかったのに」


 ふわふわと浮かれたように、うっとりとリラを見つめる様子は傍目に見れば情熱的な告白にも見える。けれど、エルチェの経験から行けば、熱に浮かされているのと同じような状態だ。リラも戸惑っているのがわかった。殴り倒して運んでもいいが、頭を打っているのなら追加はまずいかもしれない。やり取りはできているのだから、どうにか家庭教師のレフィを思い出させようとエルチェは考えた。


「だから、お嬢さんに対してはなんでそんなに中途半端なんだよ。攻撃は最大の防御。てめぇでいつも言ってんじゃないか。アレ刺し方は俺が教えたんだぞ」

「……何お嬢様に物騒なことを教え込んでるのですか」


 反応したアイスブルーがスッと冷えた。エルチェはホッと頬を緩ませて、血だらけのレフィをそっと小突いてやった。


「だからぁ、それで助かったんだろ? まだ脳味噌揺れてんじゃねーか? キャラが安定してないぞ」


 エルチェが本性丸出しでいいのかと視線で問えば、レフィはムッとしてエルチェを睨みつけた。大丈夫そうなので、お邪魔虫は退散することにする。


「お嬢さんも解ってんのかねぇ? ま、俺は知らんけど」


 本性を知っても、たぶん、彼女ももう逃れられないのだろう。ご愁傷様と肩をすくめて、エルチェは坂を下り始めた。



 *



 前後不覚の振りをして未成年といちゃついた不良家庭教師は、坂を下りてきたところで動けなくなった。呆れたエルチェに担ぎ上げられ、エルチェの家へと運ばれる。心配そうなリラの目の前で大雑把な治療を施してから、彼女を丸太小屋まで送っていった。


「心配いらねーよ。意外と鍛えてる。ちょっと熱を出すかもしれないが、俺が見てるから」

「エルチェ、二人はどういう関係なの? レフィは、どこの貴族で、本当に貴方と幼馴染なの……?」

「あー……」


 一度自分の家の方を見てから、エルチェは頬を掻いて、まあいいかと背筋を正す。


「幼馴染なのは本当です。レディ・リラ。私は十二の時から彼と共にいます。正式にはヴォワザン親衛隊第一歩兵連隊所属。辺境伯次男、レフィ・シャノワール様の護衛を務めさせていただいております。騎士爵を賜りましたが、実家が農家ゆえ、粗雑なところもございましょう。平にご容赦を」


 騎士らしい敬礼できちんと自己紹介すれば、リラは目も口も真ん丸に見開いて固まってしまった。どこに驚いているのか、エルチェはちょっと予想がつかない。すぐに姿勢を崩してひらりと手を振った。


「まあ、そんな感じだけど、こっちが素だし。あいつのことは、あいつに聞いて。ただ、今夜は今度こそ朝まで鍵は開けないように。レフィが来ても、な」


 ウィンクすれば、リラは赤くなって頷いた。




 案の定、レフィはその夜熱を出した。痛み止めを飲ませたものの、上手く眠れないのか寝返りを打とうとして痛みに呻く声がする。水を持って黙って差し出せば、レフィはゆっくりと半身を起こした。


「何か言われたのか? あいつに」

「今回の計画のことを少し。リラには落ち着いてから話したかったのに……昔、エルチェが盗賊を刺した時、ローズに対して遠慮してたっていう気持ちが、少しだけわかった」

「……何の話だよ?」

「ベルナールが言ってたんだ」

「余っ計な……忘れていいし、お前、遠慮なんてしてねぇよな?」


 レフィは少しだけ笑うと、水に口をつけた。


「そんな、子供じゃない。さんざん、汚した手だ」

「俺に任せればよかったのに」

「そうしたら、リラは彼に連れ去られていたかも。だから、やっぱりお前に預けて良かった」

「あのお嬢さんなら大丈夫そうだ。大事にしろよ。あんなもの好き、もう二度と現れねーぞ」

「そう、だな」


 熱のせいばかりでなく、沈み込んだアイスブルーにエルチェは眉を寄せる。


「まだ、なんかあったか?」

「父が、死んだ」


 息を飲んだまま、動きを止めたエルチェに、レフィは少しだけ口角を上げた。


「クレマン達一行に刺されたようだ。父は兄とはよく行動したけれど、私とはそうでもなかった。政治のやり方も見ててイラつくこともあった。だから、どこか他人事みたいな気持ちもしてる。薄情だよな」

「……だからって、悼んでないわけじゃないだろ」


 傷ついた方の手の上に、負担にならないようにそっと手を重ねて、エルチェは黙祷を捧げた。レフィの指先が、ほんのわずか、エルチェの指先を撫でる。見られたくない顔をしているのだろうと、少し長めに目をつぶっていた。


「……予定が狂った。兄さんが辺境伯を継ぐと思うけど、私がどうなるかわからない。中央へ行くとしたら……」


 言い淀むレフィに、エルチェは軽く息をついて笑ってやった。


「もう置いて行くのは無しにしてくれよ。俺がいないとすぐ傷だらけになりやがる」

「は? これはリラを庇ったからであって、お前がきっちりあちらで押さえておけばできなかった傷だ」


 レフィはエルチェの手を振り払い、痛かったのか眉をしかめる。


「へー、へー。お優しくなりましたね。レフィ様は。いいぜ。気に食わないなら、いつでも解任しろよ」


 ひとつ舌打ちをすると、レフィは振り払ったエルチェの腕を今度は掴んだ。


「覚えてろよ。バカエルチェ」

「バカだから覚えてねぇよ」


 掴んだ手に空になったコップを押し付けて、レフィは不機嫌に布団の中へ潜り込んだ。

 アイスブルーがいつもの色に戻ったので、大丈夫だろう。

 エルチェの予想通り、それからしばらくして、規則正しい寝息が聞こえてきたのだった。

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