第64話 約束のために
エルチェはリラと時々食事を共にした。それほど話が弾むわけではなかったけれど、よく知らない場所で一人でとる食事よりはマシだったのだろう。誘われる分には断らなかった。
レフィの教育の仕方を愚痴を交えながら話す様子は、微笑ましいものもあった。確かにエルチェにするほど投げっぱなしでもきつくもないが、ご令嬢のそれからは外れている。
腹筋に線がついてしまった話には申し訳ないが笑ってしまった。何をしているんだあいつは。と、半分呆れて、エルチェはふと気になった。
「守りだけ? それ以外は?」
「え? それ以外? って?」
女性に自決を促すために武器を渡したりはするけれど、レフィがそれを推奨するとは思えない。『攻撃は最大の防御』と言い張るやつだ。万が一の時は相手を刺してでも逃げろ、と教えているのかとエルチェは思ったのだが。
リラの顔を見ても、きょとんとするだけ。
「……ナイフの、使い方、とか」
「果物を向くくらいはできますもの」
小首を傾げて言ってから、求められた答えじゃなかったのだとリラは気付いたようだ。やや戸惑って、口を閉じてしまった。
余計なお世話かとは思ったけれど、一緒に寝泊まりしているわけでもない。何かあった時のために、エルチェが駆けつけるまでの時間は稼いでほしかった。
「俺はガキの頃にレフィに教わったことがある」
リラが興味を持ったのを確認してから、目の前の食事用のナイフを手に持った。
「『素人はナイフを振り回しちゃダメだ。両手でしっかり腹の前で固定して、そのまま身体ごと相手にぶつかる。刺そうと思うな』それだけ覚えているだけでも違う」
リラは真剣な顔でエルチェの手元を見ていた。
「そこまでできれば上出来だ。ナイフから手を離してさっさと逃げろ。人のいる方へ。ここなら、俺の所へ」
きゅっと口元を引き締めて、リラは小さく頷いた。
「なんだか意外。レフィがあなたに習ったのではないのね」
「俺は見ての通り体力しか自慢がないからな。あいつに教わったことは多いが……親切に教えてもらったことはないな。だいたい実地訓練みたいなものだった」
苦々しい顔でエルチェが言えば、リラは笑った。
「ちゃんとやるエルチェも偉いわね? わたしはどうやってサボろうかいつも考えていたわ」
「偉いかな。だいたい殴り合いになる」
「えっ!? レフィと?!」
心底驚いた顔をするので、エルチェはにやりと笑ってやった。
「あいつ、すましちゃいるが、全然おとなしくないぜ」
だから、心配するなと続ければ、リラの綺麗な瞳は少し潤むのだった。
*
何日目か。丸一日どこからも連絡がない日があって、少し引っかかりを覚えながらもエルチェ達はのんびりと過ごしていた。リラも慣れてきたこともあって、夕食用のスープを届けてから小屋の外周を確認して家に戻る。中央からの連絡は本当にまだないのか、確認のためにこの場を離れようか迷っている時だった。
見慣れない一団が歩いてくる。ここは観光地ではなく私有地だ。丘の下を回り込んで畑に行くなら、汚れてもいい格好をしていたり、農具を持っていたりする。小綺麗な衣装の彼らは明らかに浮いていた。
エルチェは剣を掴んで彼らの前に進み出た。
「どこに行くんだ? この先は何もないぜ。道を間違えたか?」
「人を探していてね。この辺りで見かけたという証言があったものだから」
そう言った男は、リラの従兄のクレマンだった。エルチェに気付いた様子はないが、お互いの認識は味方ではなかった。
「俺も最近越してきたんだ。よくわからないが、怪しい人物は見かけてない。静かでいいところだ」
「へぇ」
エルチェの家に視線をやってから、クレマンは坂を上り始めようとした。エルチェは鞘ごと剣を突き出してそれを阻む。
「そっちは他人の土地だ。勝手に入るのはやめてくれ」
鼻白んだ男はぞろぞろついてきている男たちに目配せした。何人かがエルチェの家に入り込んでいく。
「……ずいぶん無作法なんだな。どこの人間だよ」
「探しているのはご令嬢だ。田舎者に乱暴されていないか、心配だろう?」
エルチェも、男たちも一斉に剣を抜いた。
クレマンだけはさっさと身を引いて丘を駆け上っていく。
「くそっ! 待ちやがれ!!」
二、三人切り伏せてから彼の後を追いかける。リラがうっかりドアを開けなければいいと願いながら。
願いはあっさりと破られ、小屋の中に入っていく男の背にエルチェは舌打ちする。乱暴することはないと思うが、連れ去られると厄介だ。追いついてきた一人を振り返りざまに一閃し、その後ろから振り下ろされる剣を受け止める。
「お嬢さん!!」
二人を相手に少し下がれば、リラを連れて出てくるクレマンが見えた。彼らはエルチェ達を避けるように丘の下へと走り去ろうとした。
「エルチェ!」
リラの困惑した声に舌打ちが出る。彼の話を聞いただろうか。何も話さなかったことが裏目に出やしないか。エルチェの相手をする男たちは強くはないが、少し人数が多い。ひとり倒しても後続がやってくる。なかなかリラたちに近づけないうちに、彼らは身を反転させて丘を登り始めた。その先は行き止まりである。訝しんだエルチェの耳に蹄の音が聞こえてきた。
それは数人を蹴散らし、まっすぐにリラたちを追いかけていく。一瞬だけエルチェと視線を合わせたのは、アイスブルーを燃え上がらせたレフィだった。
無事だったことにホッとして、クレマンに心の中でご愁傷さまと憐みの声をかけておく。あとのエルチェの仕事は、残った人数、足止めをすることだった。レフィの腕ならそう時間はかからないはず。すぐに下りてきて手伝ってもらえる。そう、エルチェは思っていた。
のらりくらりと遊んでいれば、うっかり小柄な一人を見逃した。まずい、と思わず目の前の一人を斬りつけて、振り返る。
「お嬢さんっ!! レフィ!!」
リラの背後から手を伸ばす男が見えて冷やりとしたが、レフィがすぐに助けに入った。胸を撫で下ろしながら、気を引き締めて向き直る。何をやっているのか、怪我でもしているのか、ボンボン一人に時間がかかりすぎている。
エルチェは仕方ないと、本腰を入れて男たちの意識を刈り取っていった。
運が悪く手加減できなかった者を除けば、五人ほど息のあるまま拘束できた。後でゆっくり話を聞いたり交渉に使えるだろう。まだ上ではやり取りが続いている。リラに抱えられていたレフィが立ち上がるのが見えて、エルチェは眉をひそめながら足を速めた。
「レフィ!」
棒立ちのレフィにクレマンが剣を振り上げて迫っている。間に合わないかと息を飲めば、一瞬、リラの手元で光るものが見えた。そのまま彼女は横合いからクレマンにぶつかっていった。
バランスを崩したクレマンが、信じられないようなものを見る目で彼女を見下ろす。
レフィが彼女の目を塞いだので、エルチェは一息吸い込むと、そのまま遠慮せずに駆け寄り、クレマンの喉を掻き切ったのだった。
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