第63話 誰かのために

 剣だけを携えて、レフィはいくつかの情報屋を回り、夜行列車に飛び乗った。馬を走らせるよりはるかに速いし、寝台付きだ。結局、横になっても碌に眠れはしなかったけれど。

 ヴォワザン辺境伯の死はまだ公には流れていなかった。ただ、ヴォワザン領で何かあったらしい、という噂が囁かれているだけで。

 小競り合いからのトラブルなのか、他の事故なのか、突発的な病気なのか。父の死も気にはなるけれど、それよりもリラとエルチェが心配だった。城からも国境からも離れているから、そう簡単には巻き込まれないはずではあるが。

 何度も寝返りを打ちながら、レフィの頭の中は堂々巡りする。もう全ては終わっているのに、と。


 早朝にもかかわらず、街はなんだか浮ついていた。

 レフィは逸る心を宥めつつ、騎士団の使う詰め所に向かう。


「空いている馬はないか」


 開口一番そう言ったレフィに、騎士たちは一瞬眉をひそめて、次の瞬間数人が敬礼した。


「裏に。どうぞ、お好きなのを」

「助かる」


 まだわかっていない数人が小突かれているのを目の端に、レフィは裏へと回った。一頭借り受けて城まで走らせる。門でも止められそうになったけれど、手紙を受け取ったと告げれば、そのまま通された。


 城の中は思っていたよりずっと混乱していた。

 レフィは駆け回る兵士を捕まえて、イアサントはどこか聞く。少々驚かれながらも「辺境伯の執務室」だと思う、という答えに、急に父の死が現実味を帯びてきた気がした。

 父が死ねば、兄が辺境伯だ。

 礼もそこそこにその場へ向かう。ノックもせずにその扉を開ければ、全員が臨戦態勢になった。

 いち早くイアサントが立ち上がる。


「レフィ……!」


 その声に、全員武器から手を離す。ピリリとした雰囲気は気のせいじゃないようだった。


「詳細を」

「先に、そちらがどうなったのか教えておくれ。色々混乱してて」


 ソファに誘導され、イアサントも一緒に座る。レフィはひとつ息をついて自分を落ち着かせてから話し出した。


「王は亡くなった。王弟が跡を引き継ぐ。触れは出してるんだ。届いてないのか?」

「届いていたかもしれないけど、誰が伝えたのか、どこまで伝わったのか、わからなくなった。辺境伯父さんは中央から来た者に刺された。会談中に」


 スッとレフィのアイスブルーが一段色を薄めた。


「お前の説教で父さんもしっかりしようと思ったんだろう。きっぱりと断りを入れたんだが……帰りがけに計画の資料だけでも見てくれと、手渡されて、その距離でいきなり……」

「捕まえなかったのか? ああ、斬り捨てたのか」


 それならよかったと、しかし冷え冷えした声でレフィは問う。

 イアサントは微妙な顔でかぶりを振った。


「斬り捨てたのは、うちの者じゃない。それもあちら側の人間がやった。「失礼した。よからぬ者が紛れていたようだ」と。そう言われてしまえば、治療などの対応を優先せざるを得ない。結局、助からなかったけれど……彼らは落ち着いた頃出直すと、出て行った」


 舌打ちをするレフィを宥めるようにイアサントはその肩に手を添える。


「立てこもりの件は」

「中央の使節団が来たのと同じくらいに報告が来た。現地の方で対応させていたが、ちょっとこの混乱でわからなくなってる。まだ代理の僕の名前では通らなかったり、問い合わせで時間を食ったり……中央の者達も、あちらに向かったような報告もあるのだが……」


 無言で立ち上がったレフィの腕を掴んで、イアサントは小さく息をつく。


「レフィ、心配は解るよ。だけど、お前も疲れているのだろう? 顔色が悪いよ。少し休んで、父さんの顔も見ていきなさい。意外と綺麗だから。ブノワ」

「後でいい。エルチェに連絡が通ってないんだろう? 私が行く」

「あそこはそう簡単に見つからないよ。下手に連絡をやる方が危ない」

「失礼するぞ」


 困ったように見上げるイアサントの手を振り払おうとしたレフィの肩に、ブノワの手が乗せられた。


「はな――」


 振り返ろうとしたときには、ブノワの腕がレフィの首に巻き付いていた。そのまま締め上げられる。


「言っても聞かないからね。たまにはおとなしくしてなさい」


 にこりと笑った兄に、はくはくと口を動かしたものの、レフィの視界にはチラチラと星が飛び、息も吸えない。視界が暗転する直前まで、レフィは心の中で兄を罵っていた。



 *



 ソファの上でハッとして飛び起きたレフィに、傍にいたテオが水を注いで差し出す。

 部屋の中を見渡してみれば、アランも控えていた。


「一人で動くのに慣れてしまっているのだろうけど、彼らに与えられた仕事のことも思い出してほしいね」


 乱雑に積まれている紙類から目を離さずに、イアサントは穏やかな口調で告げる。テオからコップを受け取ると、レフィは一息に飲み干した。


「……それにしたって、弟を絞め落とすのはやりすぎじゃないか?」

のプロに頼んだから大丈夫だろう。殴り倒されるのと、どっちが良かった?」

「どっちも、二度とごめんだね」

「では、少しは人の言うことも聞きなさい。もう子供ではないのだから」


 無条件で庇ってくれる人がひとりいなくなったのだと、イアサントは言っている。立ち上がったレフィをテオが先導した。

 寝室でベッドに寝かされた辺境伯は、本当にただ眠っているかのようだった。胸の上で組んだ手にレフィはそっと手を重ねてみる。もう、そこに体温はない。泣きはらして、まだ涙の浮かぶ母の手を取って、レフィはひとつ頷いた。


「きちんと、終わったことを伝えてきます。これ以上の戦いは起こりません」


 母もしっかりと頷いたのを見て、レフィは父に背中を向けた。

 その足で城も出る。

 馬を走らせ始めたのは、昼を過ぎ、人々が一眠りしたくなるくらいの時間だった。

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