第60話 置いて行きやがって
エルチェが請け負ったことに安心したのか、レフィは表情を緩めた。
「
立ち上がり、おどけて差し伸べられる手をエルチェは払う。
「要らねぇよ。代理なんてやらん。責任をもって、お前が踊れ」
「つれないなぁ。酔い覚ましにちょうどいいぞ」
「俺は酔ってない」
「……変なとこ真面目なんだよな。バカの癖に」
笑って、コップに残っていた酒を一気にあおると、レフィは外へと出ていった。開けっ放しの戸に、追いかけてこいとの意図を感じる。エルチェはやれやれとレフィの上着を手に立ち上がった。
キンと冷えていると思ったら、見事な月夜だった。さらりと積もった雪の上にお手本のようなステップが残っている。うっとりとした表情は酒のせいなのか、想定した相手のせいなのか。しばし邪魔をするまいと眺めていれば、不意に白い人影が近づいて、エルチェは緊張した。部屋に置いてある剣に意識を飛ばして、すぐにその人影がリラだとわかる。気づいたレフィも驚いていた。
真夜中に薄い夜着のままで、春に成人を迎える少女の身体は、すでに出来上がっているのがわかる。エルチェは手にした上着に意識を落として、レフィが窘めればすぐにでも動こうと思っていた。
けれど、二人は短いやり取りの後、先ほどの続きのようにダンスのステップを踏んだ。冷えた月の下、酔いも手伝って、お互いの瞳に熱がこもる。
雪に足を取られ、バランスを崩したリラをレフィはしっかりと支える。わずかな間、抱き締めあった二人だったけれど、リラの囁きがレフィを現実に連れ戻したようだった。
「レフィ……いかないで」
「とても、お上手になりましたね。私も鼻が高いです。舞踏会が楽しみですね」
「レフィ……」
「年頃の娘が、自宅で夜中とはいえ、そんな格好でうろついてはいけません。風邪をひいても困ります」
「レフィだって……」
上着も脱いで真夜中に酔っぱらって庭に出ているなんて、確かにそう言われても仕方がない。エルチェがニヤついているのがわかったのか、レフィは小さくため息をついた。彼女が気づくかどうか、掠める程度のキスを頬にしてから、彼女をぐいと離す。
「ええ。酔いが醒めました。さあ、お部屋へお戻り下さい」
エルチェは彼女にレフィの上着をかけて、それ以上有無を言わさずに身体を反転させる。
「月は確かに綺麗ですね……」
そう言って月を見上げたレフィを、リラは無理に首をひねって振り返っていた。
すっかり酔いが醒めたのか、エルチェが戻るとレフィは小屋の中で待っていた。暖炉に手をかざして、こわばりを解いているかのようだった。
「お嬢さんもしっかり懐いてるんだな。どうやって口説いたんだか」
「口説いてない。リラは家庭教師だと思ってる。普通、家庭教師は子供を口説かない。そりゃ、少々好きそうな恋愛小説の真似事をしたこともあったけど、おふざけの範疇だとわかる程度だ。私が中央の官吏になってもいいように、だいぶ詰め込んでるから、嫌われ過ぎないためだった」
「げ。お前の詰め込みなんて、えぐそう……」
肩をすくめた様子から、冗談でもなんでもなくそうしているのだと判る。どうやらお嬢さんもレフィの顔だけに惹かれたのではないのだなと、エルチェは首を捻った。自分のようなもの好きが異性にもいるとは、まだ少し信じられない。
「おかげで私も復習できて良かった面もある。王家歴代の家系図は今の計画にも使えてる」
「ああ……」
敵の戦力を想定するのと同時に、味方についてくれそうな系譜も辿っているのか。
そんなことを思いながらエルチェは腕を組む。
現実に戻ってきたレフィはアイスブルーを凍らせて、背筋を伸ばした。
「仮眠を取ったら行く」
「おぅ。ベッド使え。起こしてやるよ」
当然のように頷いて、レフィは眠りに落ちていった。
*
朝日の昇る前にレフィは屋敷を出ていった。以降はホテルや穏健派のところを渡り歩くらしい。
リラは目に見えて落ち込んでいるようだった。時々庭に出て来ては、そっとエルチェにレフィのことを聞く。どこにいるのかは、エルチェも知らない。中央にいることは確かなので、元気だと思うと伝えるに留めていた。
レフィがいなくなると、リラの従兄だというクレマンという男が訪ねてくるようになった。以前にレフィの言っていた男だ。リラのご機嫌伺いに来て帰っていくのだが、レフィの動きも探っている感じがする。リラがぼんやりと消沈しているので、特に有意義な情報を持って帰っている様子はない。玄関を出て来て、溜息や舌打ちを聞くこともあった。
雪が融け、春を告げる花が咲き始めても、大きな動きはなかった。
誕生日が近づいてきて、リラも愁いを帯びる。スミレが固まって咲いている一帯にしゃがみ込んでため息をつく彼女の横に、エルチェも肥料を抱えてしゃがんでみた。
「……エルチェ、レフィと付き合いは長いの?」
「それなりですね」
「じゃあ、貴方には連絡が来てるのかしら」
「今のところは何も。忙しいんでしょう」
「いつもそうなの?」
「まあ、だいたいは振り回されてますね」
「……そう……誕生日には連絡くれると思う?」
「キャンセルできない予定がなければ、顔を出すのでは」
「本当? 本当に、そう思う?」
すがるように見られて、エルチェは少しだけ胸が痛んだ。手元に届く情報と、周囲の様子から、もういつ大きな動きがあってもおかしくない。もしかすると、レフィは永遠に戻ってこないかもしれないのだ。
「……ええ。そういう奴ですよ」
白々しいとは思ったけれど、嘘という訳でもない。本人もそれまでには、と思っている気がした。
「そうかしら……」
リラはもう一度スミレに視線を落として、小さくため息をついた。
『今夜』と、レフィの走り書きが届いたのは、それからしばらくして、ミモザの花が咲き始める頃だった。
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