第59話 覚悟を決めやがって

 一緒に馬車に乗り込む目つきの悪い男を、リラは不思議そうな顔で見ていた。「庭師が手伝いを探していた」とレフィが適当なことを言ったけれど、心から信じた顔ではなかった。それでもそれ以上質問しなかったのは、彼女なりに意味があることと思ってのことだろう。元々の資質か、レフィの教育の賜物か。聡い振る舞いは、確かにレフィの好むところだと、エルチェは窓の外を眺めながら考えていた。


 屋敷につくと、当主に挨拶をしてそのまま庭師に紹介される。庭の隅にある、彼らの休憩室兼物置小屋がエルチェの住処となるようだった。小さいながらも暖炉があって、ベッドがある。当主のロドルフはすまなそうな顔をしながら、本当にいいのかと言いたげにレフィを見た。


「大丈夫ですよ。仕事のうちです。そう長くはならないでしょう」


 エルチェが口を開くよりも先に、そう代弁される。お前が言うなと突っかかりたかったけれど、久しぶりに主人の顔をしたレフィを立てておくことにした。


「腕を確かめたければ、どうぞ。ずっと最前線で領を守っていてくれましたから、鈍っているということはないでしょう」

「貴殿のことも、貴殿の騎士のことも信用しているよ。しばらくの間、よろしく頼む」


 ロドルフはそう言うと、エルチェに小さく頭を下げた。この人も、もう戻れないのだなと少々気の毒に思う。エルチェには守らなければいけない家族はまだいないが、彼は違う。その上で、覚悟を決めてレフィに協力しているのだ。

 エルチェも彼と同じように頭を下げる。


「全力を尽くします」


 使用人頭には大雑把な身分を明かしてある。他の使用人も、訳ありだと理解してくれているようで、エルチェは意外とすんなり彼らの中に入り込んでいった。

 力仕事はお手の物だし、怖いのは顔だけとわかってくると、庭仕事以外にも駆り出されたりする。レフィとの接点は思ったより多くなった。

 聞かれたくないようなことは、夜にエルチェの小屋で話し合う。

 内情は、エルチェが思うよりずっと混迷を深めているようだった。


「味方だと思っていた者が突然寝返る、なんてことも日常茶飯事だ。私の身分をきちんと明かせば、まだいいのかもしれないが、それで全てがご破算になっても困る。見極めが難しいよ」


 もらった残り物をつまみにグラスを揺らすレフィのため息は深い。


「……よくやってるとは思うが」


 正直、エルチェには謀略を巡らせられる頭も人徳もない。数年で味方を増やし、計画を実行に移せるレフィには感心するしかなかった。


「私程度の人間は、ゴロゴロいるということだよ」

「怖いな」


 肩をすくめたエルチェに、レフィは表情を崩した。


「君のような人間は貴重だから、手に入れておいてよかった」

「人を珍しい虫かなんかみたいに……お望みなら、背中を刺してやるけど?」

「ふふ。ここのヘドロに染まりきったら頼むよ」


 わずかに眉をひそめたエルチェの手のグラスに、自分のグラスをぶつけて、レフィはそれを飲み干した。


「いい気分転換になった。ちょいちょい来るよ」


 立ち上がり、屋敷に戻ろうとするレフィの背中に、エルチェは声を投げつける。


「来てもいいけど、寝てんのは邪魔すんなよ」

「もちろん、たたき起こすに決まってるだろ」


 笑いながら、ひらりと手を振って行ってしまう。

 また口だけだろうと思っていたエルチェだったけれど、本当にちょくちょくと言えるくらいにレフィはやってきた。たわいない話が多かったし、ほんの数分のこともあった。無理してわざわざ来なくても、と言いかけて、こちらでレフィは素を出せる場がどこにもなかったのだと思い出す。そういうつもりではないかもしれなかったが、結局エルチェは黙ってレフィに付き合うのだった。



 *



 戦争の噂は、結局じわじわと広がった。相手方の思ったほど大きな波にはならなかったのが救いだが、それでも、隣国と戦うべきだという意見は増えている。

 推進派と穏健派の間でも、物騒なやり取りが増えてきていた。穏健派のひとりが推進派と口論の末刺されて命を落としたのをきっかけに、夜の街はいっそう物騒になった。ロドルフは家族の安全を考えて戻らない日々も増えた。レフィは彼の仕事を補佐していたこともあって留まっていたのだが、ある晩、庭に侵入者が現れる。

 エルチェが気づき、取り押さえたので問題はない。けれど、大事を取ってレフィも屋敷を離れることになった。

 あちこち根回しをして、リラの家庭教師の引継ぎも終える頃には、雪が降り始めていた。

 屋敷での仕事を終わらせ、レフィはエルチェの小屋で酒を飲み始める。いつもよりハイペースで、エルチェはそっとその手を押さえて窘めた。


「暗いうちに出ていくんだろ? 俺は送っていけないぞ。それとも、俺も一緒に行った方がいいのか?」


 レフィはムッと口を結んでエルチェの手を振り払うと、コップを置いて上着を脱ぎ始めた。首元のボタンもいくつか外して、もう必要ないとばかりに執事の顔も脱ぎ捨てる。顔が赤いのは、冷えるからと暖炉に薪をくべすぎたからなのか。


「エルチェにはリラを任せると言ってるだろう。もう忘れたのか? 鳥頭め」

「忘れてないから言ってんじゃねーか。道半ばで、酔っぱらってたために刺されました、なんて人生はやめてくれよ」

「そんなにバカじゃない」


 鼻で笑うレフィに、エルチェはどうだかと小さく息を吐く。


「この数年訓練はしてないんだろう?」

「体力づくりは欠かしてない。リラと三キロ走ってるし、馬にも乗る」

「……なんでお嬢様が三キロも走ってんだよ」

「護身術も教えてる。ちょっとやそっとじゃへこたれない」

「あのな」

「だけど、そういう場面で適切に動けるかは別だ。やお前とは違う。だから、エルチェ。約束通りにリラを」


 ふう、と音を立てて息をついて、エルチェはテーブルの上に身を乗り出した。酔って溶けだしそうなアイスブルーを見据える。


「約束はまだしてねぇだろ。俺は守りたい。何のために大勢の前で忠誠を誓ったと思ってんだよ。ローズと農家に戻る道も、伯爵を継ぐ道も、選ばなかった。小娘ひとりとお前、比べるまでもないんだけどな?」


 エルチェの意地悪い言い方に、アイスブルーが揺れた。顔を半分片手で覆って、視線がテーブルを向く。


「お前と行けば、俺の命は保障されるかもしれない。けれど、そうして戻った時、何も知らないリラが巻き込まれていたら? それが一番怖い。俺のことはいい。自分でなんとかできなかったなら、それまでだったんだろう。俺が守ってやれるなら、そうしてる。でも、俺が始めたことに、俺が行かないわけにはいかない。俺が戻れなくても……リラには生きて笑っていてほしい。だから、エルチェ」

「……俺は?」

「は?」

「お嬢さんを守るために、俺が死んだりしてもいいのかよ」


 レフィは何度か瞬いた。それから、意味が解らないというように少しだけ眉を寄せる。


「何言ってる。お前はそう簡単に死なない」


 その、露ほども疑っていない表情に、エルチェは負けた。小さく吹き出して、やれやれと手のひらを揺らす。


「わかったよ。請け負ってやる。その代わり、自分を簡単に諦めんじゃねーぞ?」

「もちろん。中央でぬくぬくと生きてきた貴族たちに後れを取るつもりはないよ」


 コツ、とげんこつ同士を軽くぶつけて約束は交わされた。

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