第58話 押しつけやがって

 レフィは王弟をそそのかすのに成功していた。元々、そう仲の良い兄弟でもなかったようで、協力の取り付けと、レフィの集めた後援者の後押しで兄との決別を決意してくれた。

 ただただ戦争に反対なのではなく、自領にも被害の大きい無駄な侵略に異があると訴えたのも良かったようだ。必要ならばきちんと動くことを示すために、レフィは実行役として数に入っている。物わかりよく王の椅子を渡してくれるならばいいが、彼の血の気の多さを考えると、それはないと思っていい。実質、暗殺の方向で話は動いていた。


 辺境でなかなか成果が出ないことに業を煮やして、相手は世論から火をつけることにしたようだ。製鉄所の視察にかこつけて、隣国との小競り合いを大げさに騒ぎ立てる。世論の後押しがあれば、大手を振って攻め込めるという訳だ。

 小競り合いに慣れてしまって、茶番を繰り広げている現場でも、遠くから眺めている者にはうま味のある肴に映るに違いない。

 幸い、製鉄所は海岸線近くにある。隣国も港を押えようとするほど動きが無いのが救いと言えた。


 エルチェは片手間に丸太小屋の中を整えていった。小高い丘の中腹に建つ小さな家は、素朴で温かみのある作りだ。直接ではないが、ローズに頼んで荒れていた庭も軽く整えてもらう。女性を滞在させるのだから、女性の感性に頼ったのだ。わざとらしすぎない風景に溶け込む配置に、エルチェは任せて良かったと口角を上げた。

 内装はあまりいじらなかった。長い滞在ではないし、他に使う予定もない(だろう)。旅行者なら目を引くかと、この辺りの手仕事でもあるレースのカーテンやカバーを多めに使ってみれば、そこそこ華やかにすることができた。


 のんびりと準備をしても余裕があるくらいの日数が過ぎてから、エルチェの元に「夜中に出発する」と連絡が来た。受け取る頃にはもう馬車の中だ。視察団との兼ね合いなのだろうが、それでお嬢様が納得するのか不思議でならない。あいつは何を教えてるんだと、頭を抱えたくなる。自分エルチェをこき使うように接しているわけではあるまいな。と、レフィはともかく、相手がこの先結婚に承諾してくれるのか余計な心配をするのだった。




 未成年女性と同じ屋根の下で寝泊まりは出来ない。庭で適当に待機しても良かったけれど、何も知らないお嬢様に訝しがられるのも良くない。そんなわけで、丘の登り口にある家を借り受けていた。エルチェの詰め所として、そしてレフィの寝床としても提供する。隊服も却下されたので、Tシャツ1枚でエルチェは部屋の掃除と、必要な荷物や食料などを運び入れる作業をしながらレフィの到着を待っていた。


 昼くらいになるかと思っていたのだが、それよりは早く馬車がついた。

 迎えに出れば、いかにもお疲れの少女が、レフィのエスコートを受けて馬車を下りてくるところだった。明るい金髪に、赤紫のリラの花を彷彿とさせる瞳。疲れてはいても、はつらつとした印象だ。


「エルチェ、こちらがリラお嬢様です」


 瞳の印象そのままの名前の少女は、頭にタオルを巻いて上半身裸で出迎えたエルチェにギョッとしていたけれど――動いているうちに暑くなって脱いだのだ――ひとまず怯えずに挨拶してくれた。


「エルチェです。よろしく」


 騎士のかっちりしたものではなく、なるべくラフに済ませて、下ろされた荷物をさっそく手に歩き出した。後ろでレフィが場を離れる旨を説明している。


「えっ……レフィは……」


 酷く不安そうなお嬢様の声にそっと振り向けば、小さな子供のようにその袖に縋って彼を見上げる姿が見えた。ずいぶんと懐かれているんだなと感心する。さすがに女の子には優しい執事の皮を被っているのかと思いかけたエルチェだったけれど、次の瞬間すっと窘めるように細められたアイスブルーに「そんなわけないか」と内心で苦笑した。


「大丈夫ですよ。目つきは悪いですが、信用できる人間です。お部屋でお待ちください。すぐに戻ります」


 丁寧ではあるけれど、きっぱりと袖からお嬢様の手を外させて、レフィは厳しいまなざしのままエルチェを向いた。渋々と少女がその視線の先を追う。


「エルチェ、よろしく頼みます」


 真剣な声音に、エルチェは黙って頷いた。すぐ、には帰ってこないだろう。きっと彼女もそれを感じて不安がっているのだ。

 とはいえ、初対面のエルチェに彼女を元気づけるあれこれも思い浮かばない。丸太小屋に入って寝室入口に荷物を置き、振り返れば、少女はあちこちにあるレースに瞳を輝かせていた。

 エルチェは少しほっとして、薪の残量を確かめる。城のある辺りよりこの一帯は標高が高い。夜は冷えるかもしれないと、もう少し薪を割っておくことにした。物置にしまい込んであった手斧を探し出し、ソファのカバーに手を伸ばしている少女に声をかけておく。


「気に入ったか」


 ビクッとして振り向いた少女は、エルチェの手元を見て青くなり、一歩引いた。

 エルチェは手斧を持ったまま声をかけるんじゃなかったと苦笑して、できるだけ優しく聞こえるよう努力する。


「……薪を割るんだよ。もう中には入らねぇから。まったく……レフィめ……」


 だから俺には向かないって言ってるのに。

 ぶつぶつと悪態をつきながら、さっさと外へ出て戸を閉める。すぐに家の横手に回って薪を割り始めた。



 *



 一晩に少しの余裕を持たせた量を割り、入り口横に積んでおく。エルチェが窓からそっと中を窺えば、ソファで眠り込んでいるリラの姿が見えた。

 そこで不意に、レフィが何故強行ともいえるスケジュールでここまで来たのかを悟る。自分がいない時間、疲れた彼女が眠っていられるように、だ。それならエルチェ知らない人との二人きりの時間も最低限で済む。

 相変わらず、気の使い方がわかりづらいんだよ、とため息をついて、エルチェは頼まれていた昼食を取りに戻る。そっと中に入り込み、バスケットに入ったサンドイッチとお茶の入った水筒をテーブルに置いてから、彼女のショールを足元にかけてやった。


 あとはレフィが戻るまで庭の手入れをしていた。

 二人のピクニックは小一時間ほどで終わり、エルチェの借りた家で三人で夕食を食べる。リラはすぐにエルチェに慣れた。いつもほどではなかったけれど、レフィの気安さを感じ取っていたのかもしれない。

 彼女を丸太小屋に戻し、施錠を確認してから、ようやくレフィは保護者の仮面を脱いだ。酒に口をつけながら、城でのことを報告し始める。


「やつら、製鉄所の増設を無理にでも押し切るところだったらしい。休耕地を見て、「土地はあるじゃないか」と。何のための休耕地だと思ってるんだか。父さんも父さんだ。金は出すという銀行家の言葉に、譲れないと何故言えない。兄さんにはがっちり頼んできたから、大丈夫だとは思うけど」


 ピリピリとした雰囲気をまき散らしながら、レフィは眉間にしわを寄せる。身内に対する不満は他人へのそれより大きくなりやすい。だから、レフィも王弟をその気にさせられたのだろうけど。


「こっちで内部分裂起こしてる場合じゃないだろ」

「そうさ。まったく」

「お前も落ちつけって言ってんだよ。お嬢さんの話はしてきたんだろうな?」


 とたんに、ふいと視線を逸らして、レフィは背もたれにだらしなく寄り掛かった。


「……いや」

「なんでだよ。その気なんだろ?」

「……百パーセント戻れる保証がない。事が終わってからでいい」

「レフィ」

「やっぱり、お前も来てくれ。事態がどう動いてもいいように」


 そのつもりで根回しはしておいたけれど、さすがに中央は一筋縄ではいかないようだ。エルチェは眉をひそめつつ、ひとつ、頷いた。

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