第57話 面倒かけやがって

 ヴォワザンに戻って、エルチェはビクビクしながらイアサントに報告する。口約束とはいえ、勝手に結婚の約束を取り付けるだなんて……イアサントばかりでなく、彼の護衛騎士たちも、しばらくのあいだ声もなかった。

 居心地の悪い数秒が過ぎていく。

 静寂を破ったのは、やはりイアサントのため息だった。


「うん……まあ、まだ口約束ということだし……興味もなさそうだったところからは前進した……したのかな? 責任なく放り出そうとかじゃないようだし、不安は残るけど、こちらでも様子を見させるよ。君のせいじゃないことは解ってるから、気にしないで。たまの休みに申し訳なかったね。ありがとう」


 若干、諦め気味の笑顔にエルチェは心から同情するのだった。

 寮に戻り、留守を任せていたテオにも報告すれば、こちらは「らしいね」と笑うばかり。


「レフィ様が決めたのなら無下には扱わないでしょう。伯が決めるより良かったのかも」

「そう、かな」

「貴殿のこともなんだかんだと頼りにしてるだろう?」

「そうかな」

「なんだい? 拗ねてるのかい? たとえ女性とお付き合いしていても、あの方はうつつを抜かすほどのめり込みはしないよ」


 可笑しそうに笑われて、エルチェは「そうじゃない」と頭を抱えるのだった。



 *



 そうして一進一退の二年が過ぎた頃。

 レフィから「そちらにに行く」と連絡が来た。

 エルチェは意味が解らない。中央からではピクニックというより旅行だ。人を介していてはらちが明かないと、アランの待機する街で落ち合った。お互い持ち場を何日も離れられないので、間を取った形になる。


「ローズにお願いして、使ってないという小さな小屋を譲ってもらったのです」

「いや、だから、それがどうしてピクニックなんだよ。婚前旅行じゃねーか」


 レフィはすっかり執事の演技が板について、抜けきらないようだ。にこりと微笑むと、人差し指を立てて少しだけ首を傾げた。


「婚前だなんて。お嬢様はまだ未成年ですよ? リラお嬢様は私のことを知りません。もちろん、結婚するつもりだということも、匂わせてもいません。国の裏側のキナ臭い事情はもっと知らないでしょう。どうにか戦争を回避して、彼女を両親に紹介する前に、現状を上辺だけでも知ってほしいのです。知らない土地よりは、一度でも訪れたことがある方が心を寄せやすいでしょう? 戦争反対の声はひとつでも多い方がいい」

「それだけにしては、強行過ぎねーか?」


 レフィのことだから、まだ続きがある。そう確信して、エルチェは腕を組んで先を促した。


「……彼女の従兄が推進派で、活発に動いてるんですよ。製鉄所の視察について行く話を小耳にはさんだので、父と兄に釘を刺しておこうかと。あちらもそろそろ強硬手段に出るかもしれない」

「……なるほどな。じゃあ、俺は視察の付き添いに混ぜてもらうかな」

「エルチェには別の仕事を頼みたいのですが」

「ん?」

「城に彼女を連れて行くわけにはいかないし、ひとりで置いておくのも心配だ。下手な人間には任せられないから、君に頼む」


 たっぷり数秒見つめ合って、アイスブルーが本気なのを確認すると、エルチェは素っ頓狂な声を上げた。


「……はぁ? あのな。女子供は初対面じゃ俺を信用しねぇの。つーか、怖がんの。バカじゃないのか? アランかテオに任せておけよ」

「アランもテオも友人だと言い張るには少し年が上すぎる。コリーヌの街は田舎だし、幼馴染だと言えば多少毛色が違ってもそんなもんかで済むでしょう? それに、エルチェには帰りに一緒についてきてほしい。お嬢様を巻き込まないためには、私は屋敷を離れた方がいいかもしれないから……引き続き、君に任せるなら、最初から君の方が」

「レフィ、言ってくれれば、俺が動く。お嬢さんはお前が守ればいい」


 珍しく、少しだけ瞳を揺らして、それでもレフィはきっぱりと首を振った。


「余所者が簡単に近づけるところじゃない。私も数年かかってようやくだ。それでも絶対はない。動かなければいけない時が来たら、彼女を事が終わるまでその小屋に避難させようかと思ってる。全く知らない場所よりは、きっとその方がいい」

「下見も兼ねてるんだな? ったく。荒事になるなら、俺を連れて行った方がいいぞ?」

「わかってる。でも、だから、お嬢様をに守れるのは、お前しかいないだろう?」


 意外なことを言われた気がして、エルチェはここは突っ込んでおくべきだと、ただ頷くのをやめた。二年前は、完全に彼の計画の一部だったのに。


「協力者の娘だからって、そこまで手厚くすんのかよ。何も知らないんだろう? 家から離す方が不審に思われるぞ。失敗すれば、どちらにしても……」

「命があるのとないのでは違う。そういう強かさは教えたつもりだ」

「お前にとって、どのくらい大切なのかって訊いてんだよ。俺の優先順位のどこに突っ込むのか、その答えによって変わる」


 レフィはアイスブルーを見開いて、一度開けた口を結局そのまま閉じた。珍しく即答できないくらいには、自分の内側を把握していなかったようだ。


「計画の一部として守るだけなら、別の人間に任せろよ。俺はお前と行く」

「エルチェ……」

「まだ時間はあんだろ? 、もう一回訊いてやるよ」


 いつまた殴り合いになるかと緊張して見守っていたアランも、小さく息をつくと、表情を緩めて二人を見つめるのだった。

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