Officier et Précepteur

第55話 カッコつけやがって

 可及的速かきゅうてきすみやかに。そんな感じでレフィは中央へと行ってしまった。

 残されたエルチェはしばし手持ち無沙汰となる。城での警備と城下町の警らを当面の間割り当てられたものの、実質それらは兵士の仕事。「調整するから」とイアサントはすまなそうにエルチェに告げた。

 弟の勝手で申し訳ないと眉尻を下げる兄に、エルチェは同情しこそすれ特に恨みはない。


「お気遣いなく」


 淡々と頭を下げたのは数日前だったような気がする。

 国境付近では断続的に戦闘が続いていて人手不足でもあるし、エルチェは北の森の砦にでも異動になるのではと思っていた。

 それが。


「兼務は構いませんが……将校オフィシエ?」


 聞き間違いではないことに、イアサントから襟章と袖章が渡される。


「レフィのことだから、こちらの都合も考えずに君を呼びつける可能性があるからね。ある程度自由に動ける地位が必要だろう?」

「可能性は否定できませんが……分隊長を飛ばして小隊長クラスは、どうなのかと……」


 戦闘での功績は謙遜することもないが、あくまで個人での活動であり、レフィの護衛としての働きだった。団体の指揮官としての能力とは別物である。


「まあね。君のことだから言うと思ったけど、意外と妥当だという意見が多かったよ。ブノワと違って引き際を見極めるのが上手いってね。攻め込めばいいだけの争いじゃないから、まずは武術指導でもして様子を見よう」


 後ろの方で「オイ」と突っ込みが入っている。

 エルチェは「はぁ」と気の抜けた返事をしてしまってから、慌てて敬礼をし直した。

 機動憲兵隊は暴動鎮圧から雑踏警備、他部門の応援などをこなす何でも屋だ。レフィのいない今、エルチェが身を置く場としては最適だろう。同時に、レフィが帰ってきた時のために名前は親衛隊にも置いておく。優先順位は後者の方が上なので、面倒が少なくなるのだろう。


副隊長参謀役にテオフィルをつけておいたから、なんなら丸投げしても大丈夫だよ」

「イアサント様……」


 にこにことしたイアサントに肩を叩かれて、テオは困ったような顔をした。彼もレフィに振り回されてきた一人だ。きっともう色々を諦めているのだろう。名前だけとはいえ、彼の上に立つことになることを申し訳なく思いながら、エルチェはテオに手を差し出した。


「ご面倒お掛けします」

「お互い様。まあ、頑張っていこう」


 しっかりと交わされた握手は、エルチェにとっても頼もしく、ありがたいものだった。



 *



 一方、レフィはコリーヌ伯爵の縁故の者、という触れ込みでパトリスの叔父が経営する貿易商に一時身を寄せ、マラブル卿の知己を辿り、茶会などで人脈を広げていた。新調されたシンプルな銀縁眼鏡は鎖をつけられることもなく、やや辛辣な物言いもその容姿にくるまれて知的な印象を与えたのだろう。すぐに馴染んで訪問を歓迎されるようになっていった。

 余談だが、彼がさる夫人に紹介した画家の絵は、人気に火がついて値段が上がり続けている。


 レフィがよく顔を出すサロンの主催者は穏健派で、戦争反対の立場にある。志を同じくする者が集うそこには、面白いことに、推進派と目される銀行関係者と親戚の男爵が時々参加していた。どちらがどちらの情報を取っているのか、その時点では判らなかったけれど、レフィはゆっくりと彼を抱き込むことにした。

 ロドルフ・マリオット。金融業で財を成し、弟に事業を預け、今は中央近郊の街をひとつ仕切っている商家上がりの男爵だ。宮廷の外務官の補佐を任されるなかなか優秀な男で、娘がひとり。そろそろいい家庭教師をつけたいと耳にしていた。


 同じころ、たまにふらりと現れる身のこなしが優雅な男が王弟だと知る。外務を担っており、どちらかというと穏健派なのだと。兄への愚痴をこぼしに友人としてお忍びで参加することがあるらしい。

 彼に近づくためにも、ロドルフは欠かせない人材だった。少々無理を承知で自分を売り込む。


「私を雇いませんか? お嬢様に必要な全てを教えられると思います」


 経歴もよくわからない者にいきなり頷くはずもない。レフィはロドルフに自分の身元を耳打ちした。


「証明に何が必要ですか? 父のサイン? 家紋入りのカフス? 用意しましょう。ですが、どうぞご内密に。理由は、わかってくださいますよね?」


 辺境で起こっていること、宮廷内部に囁かれていること、合わせて考えれば、答えは出るだろう。

 あちこち情報収集に奔走したのか、少し間を空けてロドルフはレフィを雇い入れることにした。無事に揉め事が解決した暁には、娘の嫁ぎ先を確保する、という条件付きで。

 レフィは少し考えて、にやりと笑った。


「私の思い通りに教育していいのなら、卿を伯爵にして、私が婿に入る、というのでもよろしいですか?」


 辺境伯は伯とつくけれど、侯爵相当の家柄になる。男爵家が縁付くのに首を縦に振らない者はそう多くないだろう。とはいえ、ロドルフは慎重だった。そういうところも、レフィにとって好ましい。


「――伯爵にする、とは」

「少し過激な方法を思いついたのですけど、最終手段としてそれを取るならば、自然とそうなるという話です。ここまで見た感じ、穏便には済みそうにないのでね。まあ、まだ先の話です。情勢が変われば変わるかもしれません。その時に違う男がよろしければ、良き家をご紹介しますよ」


 今度はロドルフがしばし考え込んで、欲と危険を天秤にかけていた。


「……口約束でもよろしいか」

「ええ。賢明ですね。憂いを払えるよう、努力いたします」


 まだ出会ったばかり。こんなものだろうと、アイスブルーを細めて、レフィはロドルフと握手を交わす。

 レフィが中央に移った次の年の春。リラの花の季節に、彼はその花の色の瞳と名を持つ少女に初めて会った。


「初めまして、リラお嬢様。レフィと申します。今度家庭教師を任されることとなりました。どうぞよろしくお願いいたします」


 跪いて挨拶すれば、十三の誕生日を迎えた少女は頬を赤らめながら「よろしく」と挨拶を返してきた。




 エルチェが観光を装って中央に赴き、レフィと情報交換をし、彼の一人称が「私」になっていて、情報を得るために女性を口説き慣れ、自分の教える十三の少女と結婚する計画を立てていると知るのは、それから半年後のことである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る