第54話 懐かしむ間もないような

 レフィは宣言通りに、父と兄に今以上の増産を控えさせるよう進言して、隣国との摩擦を少なく保たせようとした。

 現状はヴォワザンの兵力だけでなんとか均衡を保っている。お互い捕虜にした者も交換という形で戻し、戻されていた。小競り合いは、その時その時で決着しているかのように振舞った。

 ここに他領や国の応援が入ってしまうと、一気に事は大きくなる。ぎりぎりの攻防は数年続き、事態はじりじりと悪い方へ向かっていた。


「ヴォワザンの言いたいことは、中央には伝わっていないようですぞ。逆に「減産しているなら、」と」


 マラブル卿の面白い冗談を言った、というような表情に、レフィはこめかみに指を当ててうつむいた。

 伸びた前髪がさらりとその目にかかる。


「どうしても戦争に持っていきたいのか」

「むしろ、それが目的だったのかもしれませんな」


 同じ山の地下を二国で分け合って掘っているなど、無駄だ。同じ場所で採れるものに関税を払いたくない……国の言い分はそうらしかった。

 石炭の採掘量を少々下方修正して提出し、「このままだと製鉄作業で赤字が出ます。一時の儲けのために二つ目を建てるなど、できません」と装ってみたものの、製鉄の増産で儲けることが主ではなく、儲けを匂わせることで隣国の一部をぶんどりたい、などと考えているのであれば、どれだけこちらが心を砕いても無駄だということだ。


「炭鉱の占拠騒ぎの時に始まっていてもおかしくない話だったんだな。妙な雰囲気は気付いていたんだが」

「もう少し血の気が多ければ、あれを口実に開戦でもおかしくはなかったですから。内部で爆破騒ぎを起こして鎮圧の端緒を作ってくれた者には、感謝するべきなんでしょうかな。まあ、その後穏便に済ませたのは伯ですが」


 じっと見つめられて、レフィは少しだけ顔を上げる。特に表情の変化は見られないが、誰を思い出しているのかは指摘するまでもない。


「あれがそうだとして、その後も諦めていないということは、首謀者はやはりあの場にいた者ではない、ということになるな」

「だいぶ国の内部でしょうな。王も乗り気ですので、もう流れは止まらないかもしれませぬ。私がこう言っては角が立つやもですが、辺境伯では圧に抗えないでしょう……表に立つのでしたら、この手、いかようにもお使いいただければ」


 喜色の滲む声に、けれどレフィは微かに眉を寄せて、ちらりとだけエルチェを見た。


「少し、その手を借りよう。だが、ここで、ではない。中央に行く。シャノワールからできるだけ縁のない味方に渡りをつけてくれ。戦争を望む馬鹿ばかりではないのだろう?」

「は。仰る通りです」

「パトリスにも協力を仰いでくれ。商家の繋がりは侮れない上に、いい隠れ蓑になる」

「仰せのままに」


 大仰に礼をして下がっていくマラブル卿を見送って、レフィは深々とため息をついた。


「借りるんだ」

「仕方ない。目立たないようにと立ち回っていたから、僕自身にはあまり伝手がないし、相手が思った以上にだった。使えるカードは切っていかないと、動けなくなる」

「べつに、いいけどな。中央か……滞在先とかはもう準備できてるんだろ?」


 足を運んだのは数えられるほどだったけれど、二年かけてゆっくりと、レフィが中央での拠点を整備していたのは知っている。


「エルチェ」


 少し下がったトーンに、エルチェは嫌な予感がした。


「……お前は連れて行かない」

「……は!?」


 エルチェはレフィの護衛騎士だ。対象を離れるなど普通はありえない。ベルナールの従騎士だった頃だって、その意識は変わらなかったのに。

 カッとエルチェの腹の底が熱くなる。


「アランかテオを連れてくのかよ」


 思わず数歩近づいたエルチェをレフィはアイスブルーで制する。


「誰も連れて行かない。お前はそもそも目立ちすぎるし、護衛がつくほどの身分だと知られたくない。あちらで馴染むまでは、あちらの人間と行動する」

「でもっ」

「心配ない。都会では容易に武器は振り回せないし、貴族同士の騙し合いに力はそれほど必要ない。それに、お前にはここを維持していてもらわないと。戦場の花形が急に消えたら、訝しむ者もいるだろう。ブノワと共にけして攻め込ませるな。きっと長い間じゃない。連絡も欠かさない……約束する。簡単には死んでやらない」


 変わらぬアイスブルーに、エルチェは唇を噛むしかない。


「……アランくらいは連れてけよ。アイツなら、そつなくやんだろ」

「アランは領境付近で速やかな連絡を保ってもらう。領内の連絡は電信モールス腕木通信テレグラフでいいが、中央からでは途中繋がらない個所もあるからな。常時手元には置いておけない。幼児じゃないんだ。常にお守りが必要なわけじゃない。バカにするのもほどほどにしてくれないか」


 馬鹿にしているわけではないけれど、とエルチェは口をつぐんで息を吐き出した。レフィだって解っていて言っている。本当に馬鹿にされたと感じているなら、一発殴られてるところだった。エルチェを勧誘しに来た時も、レフィは護衛をまくようにしてほぼ一人で動いていたのだ。その気性は変わらない。

 現在いま必要なのは貴族の能力ちからなのだと解ってはいても、レフィが自分を頼りきりにするような――どちらかと言えば、他人に頼ることさえ厭う人間だと判ってはいても、置いていかれるということが、エルチェには思った以上に面白くなかった。


「くそ……ちょっと殴っていいか」

「いいわけないだろ」


 呆れた顔をして、それでもレフィは少しだけ笑った。


「落ち着いたら、観光に来るくらいは許してやるよ。田舎の幼馴染を案内するのは、都会に出たボンボンらしくていい」

「……やっぱり一発殴らせろ」


 エルチェは軽く駆け寄って、立ち上がったレフィの腕を掴む。まっすぐその綺麗な顔に向かったこぶしは、頬に触れる直前に止められた。揺れもしなかったアイスブルーが少しだけ細められる。


「なんで殴らないの」

「なんで避けねーんだよ」


 重なった問いに、同じだけの間をおいて同じような息を吐き出し、二人は互いの胸に互いのこぶしをぶつけた。


「必要になったら呼ぶ」

「早めに言ってくれ。こっちにも予定ってモンがある」

「嘘つけ。どんな予定なのさ」

「うるせーよ。これから入るんだよ。わがまま坊ちゃんのお守りがなくなるからな」

「僕の書類仕事置いていこうか?」

「おー。お前のサイン、練習しておけばいいのか? 色々使えそうだな」

「守るはずの領が無くなりそう。ごめん。前言撤回する」


 交代に来たアランが、また一触即発の二人に頭を抱えて止めに入るのも、以降しばらくないこととなる。

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