第53話 懐かしいような

 製鉄所の中はどこもかしこも熱い気がする。

 まだ雪は降っていないものの、朝晩の冷え込みは厳しくなってきたというのに、エルチェは汗が止まらなかった。

 溶鉱炉で溶かしたものを転炉に移して不純物を取り除く。炭鉱とはまた違った厳しさが製鉄の作業にもあった。給料がいいのも頷ける。


 同じ場で同じように見学しているレフィは、エルチェほどの汗をかいていないのが不思議だ。あのアイスブルーは体温をも下げているのだろうか。

 現場でしきりに解説をしている男の話に飽きて、エルチェはそんなことを考えていた。隣に並ぶ、もう一人の案内人は若く、エルチェとそう変わらない。どこかで見た顔だと思っていたけれど、目が合うたびに睨まれてようやく思い出す。路地裏組のボスだ。すっかり大人になっても、その目つきは変わらない。それはエルチェにも言えることなのだろうけど。


 レフィに説明しているのは彼の父親だった。エルチェの住む町に来た時も彼の口利きだったのだろうから当然の成り行きで、今のエルチェの立ち位置に収まれなかった彼はほぞを噛む思いなのかもしれない。


「儲かってそうだな」


 話しかけるというよりは、独り言のトーンだったけれど、オレンジに近い派手目の金髪の男は口元を歪めた。


「そっちほどじゃないさ」

「出てく金も多い。装備は自腹なんだぞ。ここには補助が出てるだろう?」

「何人働いてると思ってる。割れば微々たるものさ」

「ふぅん。人員増やしてんのか」

「じゃなきゃ追いつかない」


 それだけ生産を増やしているということ。国は補助金を上乗せする話は出していない。それでも人が集まるのだから、景気はいいはずだ。


「ますます儲かりそうだな」

「もうひとつ建ててくれれば、親父も俺も出世できそうなんだよ。仲いいんだろ? 口添えてくれよ」

「よくねーよ。俺の意見なんてあって無きがごとくだ。そんなに増やして使い道あんのか?」

「隣国のやつらが武器構えてんじゃん。戦争になってからじゃ生産は間に合わないんだよ」

「ならなかったら無駄だろ」

「そんなことないさ。走り出したら止まらないもの。お前もそうだろ? サー?」


 嫌味な呼びかけに、エルチェは眉をしかめる。

 確かに流されてはいるけれど、その方向も覚悟も自分で決めてきたはずだ。

 そんなことは、この男に聞かせる気はなかったけれども。

 ちょうどレフィへの説明も終わって歩き始める彼らに遅れて、エルチェも黙って足を踏み出した。




 昼食は高級レストランで供された。

 と言っても、エルチェとアランは交代で別室で別料理だったけれども。

 レフィはゆっくりとコース料理を食べながら、所長や案内についた男と意見交換をしている。路地裏組のボスだった男も座を並べているけれど、話についていけているようではなかった。


「エルチェ」

「はい」


 レフィに呼ばれて耳を寄せる。


「そろそろ帰る。この栗のタルト美味しかったから、お土産にワンホール……いや、ふたつ、頼んでおいて」


 頷いて、従業員を一人廊下に連れ出す。頼まれたことを告げ、代金を渡すと快く承諾してくれた。人の目が無くなって、エルチェは少しだけ伸びをする。慣れたつもりでも、まだ背中が凝るらしい。

 部屋に戻ればオレンジ頭がじっとりとした視線を投げてきたけれど、素知らぬふりでまた綺麗な立ち姿を作るのだった。



 *



 そそくさと、引き止める所長の腕をかいくぐって帰途につく。タルトは少々崩れてしまったものの、晩餐には間に合った。レフィを部屋まで送り届ければ、エルチェの仕事は終わるはずだった。


「ちょっと休んでいきなよ。アランも」


 ソファを指差されて、エルチェは仏頂面を作った。


「部屋で休むからいいよ。アラン、任せた」

「そこは新婚に譲るところじゃ?」

「うるせーな」


 いいから、と言われ、渋々従う。何やら目配せしたレフィに合わせて、控えていた侍女がタルトの乗った皿を差し出した。


「食べられなかっただろ? 葡萄酒ワインもつけようか?」

「……何を言いつけられるんだよ」

「失敬な。心からの労いじゃないか」


 アイスブルーが冷ややかに細められたので、エルチェは肩をすくめてフォークを手にした。アランは「ありがとうございます」と余計なことは言わずに口にしている。

 洋酒ラムの効いたマロングラッセが惜しげもなく使われていて、甘すぎない大人の味だった。


「黙ってるのもなんだろ? 今日の感想を聞こうか」

「……結局仕事の延長じゃねーか! 残業代請求するぞ!」

「充分な残業代だと思うけど」


 手にしたものを指差されて、エルチェは黙り込んだ。預かっていた財布で料金を払ったのはエルチェだ。値段は知っている。アランは諦めているのか笑っていた。


「所長はね、さすがのらりくらりだったんだけど、作業員とか、なんか話聞けた?」

「増産するにあたって、新規で作業員を募集しているようです。提示給料もだいぶいいようですね。その代わり、作業はシフト制で、夜間作業もあるようです」

「炉の火は消さない方が効率いいからね……夜間作業も交代なら止めるほどでもないけど……そうしても今の倍は作れないだろうな」

「戦争の準備してる感覚なんだよ。そういう物言いだった」

「こちらが準備していると見せるのも、向こうへの刺激になるだろうに。製鉄所があるのはヴォワザンうちだけじゃない」

「まあ、でも、お金が回ってくると思えば呼び込みたいのが心情かもしれませんね。国からは武器の在庫確認と確保の要請も来てたのは確かでしょう?」

「オディロン大臣は先を読んで指示を出すタイプじゃないんだよね。裏で糸を引いてるのが、中央なのか別の所なのか……もどかしいな」


 眉をひそめて考え込むレフィに、エルチェは首を傾げる。


「悩んだって、国が戦争するっつったらやるしかないんじゃねーの?」

「やるのは勝手にやればいいけどさ、兵を出すのは僕たちなんだよ。国はまたここを戦地にしようとしてる。お前の実家の畑も、ローズの丘も踏み荒らされ、穴だらけにされるかもしれないんだぞ? できれば避けるべきことだろ」


 過去の争いを思えば、作物を焼き払われたり盗まれたり、家畜の被害も大きかったらしい。失くすのは一瞬でも、それを元に戻すのには時間がかかる。土地に塩をまかれなどすれば、下手すると二度と農業は出来なくなるのだ。意外と領地や領民のことを考えてるのだなと、今更ながら感心して、エルチェはもう一つの疑問をぶつけてみる。


「イアサント様や辺境伯がそっちに舵をきったらどうするんだよ」


 レフィはキュッと唇を結んで、少しだけ黙り込んだ。


「……説得する。ちゃんと然るべき行動を見せて、そうならないように、きっと。僕なら自由に動いて失敗しても、シャノワール家にとって致命的にはならない」


 さらに重ねようとしたエルチェに手のひらを向けて制止を促して、レフィは続けた。


「手遅れにならないように。だから、手を貸してくれ」


 アランはにっこり笑って頷いている。エルチェは――


「俺の手は、戦争になってもならなくても、どうせお前のものだろ。いつもそうやって殊勝に頼めば可愛いのに」


 危うく、残りのタルトを口にねじ込まれるところだった。

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