第51話 忘れてないような
会議室の隅で、わかったりわからなかったりする話を聞き流していく。
どのみちエルチェ達護衛は、会議の内容に口を出すのも、部屋の外に持ち出すのもご法度だ。気になる話は訊けばレフィが教えてくれるが、エルチェの興味を引く話など、そうそうあるはずもない。
なんだか難しい顔をしたまま部屋に戻ったレフィは、誰かに手紙を書き始めた。
「これを――」
書き上がって、差し出された手紙を受取ろうとしたエルチェに、レフィは動きを止めてその手をずらした。
「アラン、頼めるか」
「何だよ。届けるだけだろ? 俺じゃ心配なとこかよ」
不思議そうな顔をして手紙を受け取ったアランは、宛名を見て苦笑した。
「なんだよ。気になるな」
アランの手を掴んで、エルチェも宛名を覗き込む。
――パトリス・オリビエ殿
ん? と首を傾げて、それでも頭の片隅に引っかかりを覚えて、エルチェは思い出そうと記憶を探り始める。
「ほら、いらない気遣いじゃないですか。あまり気を回しすぎるのもどうかと思いますよ」
くすくすと笑いながら、アランは「いってきます」と部屋を出て行った。
記憶にある名前ではない。でも、家名のオリビエは耳にしたことがある。どこで。
人名録を引こうか迷って棚に目を向けるエルチェに、レフィがぱたぱたと手を振った。
「その程度なら、大丈夫そうだな。宛名の彼とは君は面識はないよ」
「……だよな。でも」
「……ローズの、と言えばわかるか?」
はっと息を飲んでしまって、エルチェはレフィと数秒きまずい視線を交わし合う。
「……やっぱり、アランに頼んで正解だったかな」
「ちげーよ。何年前だと思ってんだよ。妙な気を回されんのが気持ち悪いんだよ! ローズの旦那に何の用が?」
「用っていうか、情報交換。頻繁ではないけど、中央の様子を教えてもらってる。ちょっと、もう少し突っ込めないか確認したくて。シーズン前に会えないかなって」
思えば、社交の場の舞踏会でローズに紹介した相手なのだから、レフィと続いていて何もおかしくない。というか、むしろそのための紹介だったのだろう。腑には落ちるが、エルチェは今日まで気付かなかった自分に呆れていた。
従騎士時代は仕方がないとは思えども、レフィの護衛に就いて一年は超えている。その間にも、こんな風に気を遣われていたのかもしれない……そう思いかけて、いや、と心の中で首を振る。レフィがそこまで心を砕くわけがない。騎士の間にはびこる不倫文化のようなものを警戒されていたと思った方が無難だ。
小さく息を吐き出して、エルチェは無駄な思考を追い払う。
「ってか、結構遠くね? その辺に行くような顔して出てったけど……」
「馬車じゃないから、まぁ、今日中には戻ってくるよ」
「そんなに急ぎなのか?」
「思い立ったらっていうじゃないか。準備に時間がかかりそうだから、下調べも念入りにってね」
少し楽しそうに口の端を上げるレフィに、嫌な予感がしてくる。
「今度は何を思いついたんだよ」
「人伝に聞くのはまどろっこしくなってきたから、自分の目で見られないかと思っただけさ。人脈って大事だね。ようやく実感してきたよ」
そんなことを言っても、レフィは舞踏会にもサロンにも積極的に顔を出すわけではなかった。狩りやレースなど、男性主体の催しにはそこそこ顔を出していたけれど。そういう場ではテオを伴うことも多くて、付き合う人間は吟味している様子が見て取れた。
「次のシーズン、中央に行くつもりか?」
「いや。目立ちたくないからな。もう少し違う方法がないかと……そういう相談だよ」
「違う方法?」
「何かあるといいんだけど」
にこにこしている様子からは、すでに一つ二つ思いついていることがあるとみえる。危ないことでなければ(危ないことでも)エルチェが口を挟める立場にはない。それ以上の追及を諦めて、中央観光の計画でも立てておこうかと、エルチェは別方向に思考を巡らせるのだった。
*
コリーヌ伯爵邸は海を望めるのどかな丘の上に建っていた。
正式な引継ぎはまだなされていないが(資金調達のため、娘婿は中央で親戚の商売に関わっている)領地のやりくりも、ほぼパトリスが回しているようだった。
「遠くまでご足労いただいて申し訳ございません」
「こちらこそ。急な話に付き合ってくれて、感謝する」
にこやかに握手を交わす二人は、確かに既知の気安さも漂わせていた。
パトリスは、柔らかな茶の髪に温かなはちみつ色の瞳の優しそうな紳士だった。商売をやってきた家系らしく、人当たりの良い笑顔と口調だが、コリーヌが持ち直してきていることからもやり手なのは間違いなさそうだ。
レフィの後ろでそんなことを思っていたエルチェにも、彼はその手を差し出した。目礼で返そうとしたエルチェの手を強引に掴んで、パトリスは少し強いくらいの力でその手を握る。
「ようこそ」
笑顔の奥で、はちみつ色の瞳がエルチェを値踏みしていて、もう、絶対あれこれを解った上での「ようこそ」なのだと知れる。若干むきになって同行を決めたことを、エルチェは後悔しかけた。
やましいことは何もない……ないと思っているのだけれど、当事者からの興味の視線は何となくいたたまれない。
「お暇でしょうから、妻が世話している庭でも見て行ってください。子供たちが遊んでいて、少々うるさいかもしれませんが」
部屋には入るなと言われていた。暗にローズもそこにいると匂わせる旦那の心境とはどんなものだろう。エルチェを試しているのか、それとも、甘苦い思い出に負けないだけの自負があるのか。
まだ土に触れているローズをらしいなと思いながら、エルチェは軽く頭を下げた。
「ありがとうございます。ですが、本日の私の仕事場はドアの前ですので。子供には泣かれる
「僕は興味を示さないけど? すぐに本題に入りたいからね」
頷くエルチェとレフィのやり取りを、にこにこしたままパトリスは眺めていた。
部屋に入っていく二人の背中を見送って、お茶を出したメイドが立ち去るのを確認する。しばらくすると、静かだった邸内に外から明るい子供たちの笑い声が聞こえてきた。
幸せそうで良かったと、エルチェはひとり似合わぬ微笑みを浮かべるのだった。
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