第50話 そうじゃないような
金属のぶつかり合う音と、気合いを入れる声。馬のいななきに血のにおい。
馬で人垣を割って、一・五メートル程の槍で周囲を蹴散らす。騎兵は馬から落とし、歩兵は隊列をかく乱するようにかき回す。走る馬に体当たりされれば、かなりの衝撃だ。
「エルチェ!!」
レフィの呼ぶ声に素早く反応する。しかしエルチェが振り返っても、レフィの乗った馬の姿はない。槍を振り回しながら声のした方へ駆けて、囲まれそうになってるレフィに手を伸ばす。
レフィは剣を収めると、駆け寄りながらエルチェの手を掴んで馬上へと引き上げられていった。
ひとまず乱戦の場から距離を取り、改めて形勢を確認する。
「馬どうしたよ」
「偶然か罠か、穴に引っかかって」
「乗ってくか?」
レフィはこめかみから流れる汗をぐいと拭いながらアイスブルーを細めた。そんな不確定要素でも、思い通りに行かなかったことが不満らしい。
「いや。あちらも引き始めてる。降りるよ」
レフィが馬から降りたので、エルチェも降りる。近くにいた味方の歩兵を捕まえて、馬と槍を預けてしまった。
レフィが眉を寄せる。
「もうひと暴れして来ればいいじゃないか」
「無駄な深追いはしねーよ。やらなくていいことはやらないでいい。俺は別に喧嘩が好きなわけじゃねぇ」
「そうだったね」
言いながら二人はほぼ同時に腰のものを抜いた。奇声を上げながら向かってくる兵士に、エルチェはレフィの前に一歩出る形で対峙する。死に物狂いの一撃は、それがどんなに雑魚でも侮れない。
受けた剣の剣身を滑らせるようにして相手の手元まで持って行き、怯んで引こうとした身体に蹴りを入れてやる。こぼれ落ちた剣は蹴飛ばして、手の届かないところまで飛ばしてしまった。起き上がろうとする肩を踏みつけて動けなくさせ、手の空いてそうな兵士に拘束を促す。
一連の動作に迷いも淀みも無くなる程度には、国境付近でのいざこざや小競り合いが増えていた。
ダニエルや兵士の格好をした者のキナ臭い発言を指摘すると、隣国との関係は一気に冷え込んだ。もちろん、隣国は野盗の戯言だと一蹴して、疑惑の目を向けるこちらのことを非難した。
炭鉱の利益がどこに向かうのかを考えれば、国の関与もあながち絵空事ではない。
盗賊ではなく、威嚇しあうお互いの下級兵士のいざこざから、ほんの数メートルの国境線闘争に発展している状態は、一歩引いてみればおかしなことだったけれど、簡単に止まるものでもなかった。
「僕なら斬り捨てる。あの程度に前に出なくてもいい」
不機嫌な主人の声にエルチェは肩をすくめた。
「手が空いてるなら、仕事するだろ。無駄な恨みは買うなよ。ここ最近のいざこざは無駄なもんだって思ってんだろ? 死体増やしても変わらねぇよ。捕虜にして交換するくらいでちょうどいいんじゃねぇの」
「止めるだけの根拠がないんだ。やられっぱなしにもしてられない。まったく、血の気の多い」
「お前もだよ」
心外だ、という顔をしてアイスブルーがエルチェを睨みつけた。
「お飾りじゃねーんだ。自分の盾はしっかり使えよ。背中に回すのはそっちから敵が来た時だけにしてくれ」
「……盾だけじゃ勝負にならない。剣も要るじゃないか」
「ぉん?」
「盾で受けたら、攻撃に移るだろ。退けろと言ったら退けろ」
味方も撤収を開始して、砦に戻り始めるのを感じる。珍しく、上目遣いに見上げるような睨み方をして、レフィも背を向けた。エルチェはぽりぽりと頬など掻いてみる。
もしかして、いまのはレフィの貴重なデレだろうか。
炭鉱の一件以来、何があっても心配ないようにと鍛錬を続けてきたけれど。
そんなことを思いながら、エルチェは遠ざかる背中に追いつくように足を速める。
「……なんだよ。背中を見てるだけじゃ不満だって言いたいのか? 楽しとけよ。でも、まあ、やりたいっつーなら、背中ぐらいは預けてもいいぜ」
「生意気」
「どっちがだよ。俺の仕事、わかってんだろ?」
「お前の仕事は、俺が決める」
「へいへい。ご主人様の御心のままに」
歩きながら胸に手を当てお辞儀したエルチェの後頭部を、レフィは平手で叩きつけたのだった。
*
下々の勝手な暴走(ということになっている)は、しばらくは上のお叱りを受けて鎮火することになる。そのうちまた誰かが風を送って火をつけるのだが、このあと本格的な社交シーズンとなるのでしばらくは大丈夫だろう。
領主もイアサントもそういう見解だった。
炭鉱はしばらく休鉱したのち、奥の方で通常の採掘を再開して、並行して崩れた部分の片づけを行っていた。爆破されたのは炭層だったらしく、選炭場に持ち出して使えるものを選別するのだが、これに意外と手間取って採掘量は少し落ちていた。製鉄工場に回す分は確保しなければならず、結局隣国から余計に輸入することになっている。面白くはないけれど、必要な措置だった。
騎士の叙任を受けてから、レフィも会議の場に同席している。父から兄へ回ってきた書類をレフィも覗き込んでいた。
「父上、鉄の生産は増えているのですか?」
「ん……?」
レフィが指差したものを、イアサントも目で追う。
「石炭の輸入を増やしてるのも、しばらく炭鉱を閉めたからという訳じゃなかったんですね」
「国からは増産をお願いされてるからね。もうひとつ工場を建てないかという話も出ているのだけど……さすがに、現状それは出来ないとお断りしてたはず。……ですよね? オディロン産業大臣」
「う、うむ。畑を潰せば、なんとかならないこともないのだが」
イアサントの確認に、でっぷりとした身体を少し揺らして、産業大臣はてかてかした顔をしかめた。
「今日潰した畑から明日鉄が採れるわけではありませんから、当然ですね」
「しかしだな。隣国もキナ臭いばかりじゃあないか。万が一に備えて、もっと製鉄に力を入れるべきではないか?」
「炭層の調査結果を見てものを言ってます?」
冷ややかに目を細めるレフィを宥めるように、イアサントは苦笑しながらその腕に手を添える。
「大臣もわかっておられるよ。一つのことを見て決められることでもないから。過去のヴォワザンが生き残ってこられたのは、豊かな農地のおかげでもあるからね。ここ数年は安定しているけれど、ひとたび天候不順だなんだで不作になれば、領民たちの口にも足りなくなるかもしれない。かといって国から助成金の出ている事業も、ないがしろにできない。そこをなんとか調整するのが僕たちの仕事だよ。ですよね? 父上」
「そうだな。炭層が限りありそうなのも、農地を削れないのもお前たちはよく見ているな。目の前では衝突の気配も肌で感じているだろう。鉄が要るのも確かだ」
レフィは書類に目を落としたまま、じっと何かを考え込んでいた。
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