第46話 どうどうと

 前を行くダニエルは、何事かと驚いて下層の坑道から飛び出した盗賊を躊躇なく切り捨てた。しばし入り口で奥の様子を窺ってから足を踏み入れていく。レフィは抵抗せずについて行っているのか、エルチェはなかなか追いつけなかった。

 上の方のざわめきは、三番方のみんななんだろうか。と、地上へ遠ざかる足音を少しだけ振り返ってから、採掘場へと続く坑道に足を踏み入れる。左手へといくつか虫食いのように穴が並んでいて、どこかに身を潜まれたら見失いそうだった。


 幸いにも、ダニエルとレフィは道なりに進んでいる。突き当りが見えてきたと思ったら、ひらりと一人の兵士が躍り出てきた。レフィの少し前に出て、ダニエルは足を止めずに剣を振る。連続して金属音が鳴り、ダニエルはちらりと後ろを振り返った。

 瞬間、兵士の剣がレフィを掴んでいるダニエルの腕を狙った。とっさにレフィを離して剣から逃れつつ、ダニエルは舌打ちをする。


 ひらりと、子供が突然駆け出すように、レフィが前に出る。ダニエルも相手の兵士も同じように僅かに戸惑った。剣を戻される前に、レフィが兵士に体当たりしていく。バランスを崩した兵士の横を駆け抜けて、レフィは突き当りのT字になった通路を右手へと曲がっていった。


「待て!!」


 兵士はすぐに体勢を戻し、レフィの後を追う。ダニエルはさらにその後を追った。一悶着の間に追いついたエルチェは、ダニエルの曲刀に注意しながら離れない程度について行く。

 今まで駆け下りていた斜坑と同じような角度の上りに、線路。こちらには黒い塊があちこちに落ちていて、掘った石炭を運び出すための斜坑のようだった。

 身軽に出口に向けて駆け上っていくレフィに追いつけず、苛立ち紛れの舌打ちが聞こえる。それがダニエルではなく、レフィを追う兵の口から洩れたものだと気付いて、エルチェは眉をひそめた。

 あの兵士は爆発のどさくさに紛れてレフィを保護しに来た、我が領の兵ではないのか。


 出口の明かりが見えてきて、エルチェは大きく息を吸い込んだ。ダニエルとの距離を詰め、腕を掴んで引き倒す。勢いに行き過ぎた身体を戻して、ダニエルの手から曲刀をもぎ取った。

 息を飲むダニエルに頓着せず、再び兵士を追いかける。レフィはもう光の向こうに消えていた。兵士もその姿を一瞬見失ったのか、足をほとんど止めて辺りを見回している。駆け寄るエルチェに気付くと、彼もまた走り出した。


 外は選炭場に繋がっていた。炭とそれ以外を分け、捨て石はボタ山を築いていく。人工的なその山も視界に入れたけれど、追いかけていた二人の姿は見えなかった。騎士団と盗賊らがあちこちで交戦していて、確認にやや目を細める。だが藪を揺らす音にすぐエルチェは振り返った。坑口の脇から回り込むようにけもの道が続いている。

 エルチェはそこに飛び込んでいった。藪の中を登っていけば、やがてテラスのように突き出した場所に出る。足場のないその向こう側がどうなっているのか、エルチェからは見えない。足場のない方へ追い詰められそうになったレフィが、盗賊の懐へと飛び込んだ。


「レフィ!!」


 逆手に持ち直され、振り上げられた剣にヒヤリとして叫ぶ。僅かに後ろを気にしてくれた兵士のおかげで、その腕に飛びつくのに間に合った。絡めとり、後ろに捻り上げる。剣は兵士の手からこぼれ落ちて、エルチェの後ろへと転がった。


「レフィ、剣を……」


 促すより先に動いたレフィだったけれど、その剣に伸ばした手を追いついてきたダニエルが掴む。落ちた剣を悠々と拾い上げる元騎士から逃れようと、レフィはもがいた。

 舌打ちをひとつ、エルチェは兵士の後頭部に曲刀の柄を叩きつける。

 向き直ろうとしたエルチェの脇を、ダニエルはゆっくりと足場の切れた方へ向かった。てっきりレフィを盾に自分に剣が向けられるものと思っていたエルチェは、反応が遅れた。ダニエルを斬っていいものかと迷いがあったのも確かだ。レフィがどういうつもりなのか、エルチェは解っていない。


 黙って向かい合ったまま、ダニエルはレフィを足場のあるギリギリまで押しやっていった。後がなくなったレフィはちらりとその下を見やる。

 曲刀を構えたエルチェに、ダニエルは手にした剣ではなく、掴んでいたレフィの腕を本人の胸元に押し付けてのけぞらせて見せた。


「何がしたいんだよ!」

「君がどんな人間かなって」


 顔だけ振り返って、うっすらと笑う口元に背筋が冷える。ダニエルはここまで一度もレフィに刃物を向けていない。だから、レフィを傷つけはしないのではないかと、多少の信頼はあったのに。なのに、エルチェの何かを試すためにレフィを使おうとしている。


「レフィ、私を斬れと彼に言って」


 レフィは表情を変えずにただじっとダニエルを見据えていた。しばらく沈黙が続き、やや肩をすくめたダニエルが、レフィの腕から胸ぐらに掴む物を変える。倒れかけたレフィの身体は、危ういバランスでその場にとどまった。引きかけた片足のかかとが宙に浮き、欠けて崩れた土くれが落ちて行った。


「命令を。レフィ


 いっそ優雅な笑顔に、レフィは奥歯を噛んだ。

 そのままダニエルを斬れば、支えを失ったレフィは崖下へと落ちる。斬らずに助けに走っても、彼はレフィを突き落とすに違いない。それに間に合ったとして、レフィを引き上げるまでダニエルは黙って見ていてくれるだろうか。あるいは、という気もするけれど、目の前で起きていることがエルチェに確信を持たせない。ほんの一メートル、二メートルの距離が遠かった。


「ダニエル。そこにお前の答えがあるのか?」

「いいえ。私の答えは、墓場まで持って行くものです」

「そうか」


 スッとアイスブルーが凍てついた。胸騒ぎにエルチェは駆けだす。それに気付いたダニエルが放そうとした手を、レフィは両手でしっかりと掴んだ。レフィの膝が軽く曲げられる。


「レフィ!! この……っ!!」


 叫んだエルチェの声も虚しく、後ろに飛んだレフィの体重に引かれてダニエルの身体もついて行く。エルチェは追いついたダニエルの腕をとって引いた。勢いにダニエルの手はレフィから離れ、慌ててエルチェはレフィにも手を伸ばす。多少引き戻せたものの、まだ足場にかかるかかからなかくらいの宙にいるレフィを完全に引き寄せるには、少し足場が足りなかった。

 深く考えるまでもなく、エルチェは自分の体重を移動させることでレフィを引き戻す力を得た。レフィと体の位置が入れ替わる。


「エルチェ!!」


 察したレフィが珍しく慌てた顔をして、エルチェの腕を掴み返した。

 転がるようにして崖上に戻ったレフィの腕に、エルチェの体重がかかって肩に激痛が走る。引きずられるように崖の端から上半身を乗り出しながら、レフィはもう片方の手でもエルチェの腕を掴んだ。

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