Esquire2

第42話 ひたひたと

 雪が無くなり、ぬかるみが渇くと、足跡もつきにくくなる。狩猟シーズンも終わって草木が茂り、侵入者の追跡もしにくくなった。

 夜中に騒がしくなって叩き起こされたのは、エルチェがひとつ歳をとってからだった。


 ――北の森の砦が襲撃を受けている。


 そう電信モールスが飛んできた。

 急いで身支度をし、イアサント達と合流する。イアサントはすでに鎧を身にまとっていて、兜さえ被ればいい状態だった。ベルナールの支度を手伝いつつ、エルチェたちも武器を用意し胸当てを身に着ける。

 ブノワが見当たらないと思っていたら、彼の屋敷は城より北側の一角にあるので、先に行くと連絡があったそうだ。

 護衛とは。

 顔にでかでかと書いてしまったらしいエルチェに、ベルナールが笑った。


「イアサント様の行く道を掃除してくれる、ということにしているよ」


 現場としては、少しでも早く応援が駆けつけてくれるのは、ありがたいに違いない。ラルスは何度か経験しているようだが、それでも笑顔を見せる余裕はないらしい。エルチェも気を引き締めて、持ち物を纏めるのだった。




 国境の砦周辺では、高い金属音が響きあっていた。火の手はなく、弓兵もいないようだ。倒れた者はちらほら見えるが、交戦中の者は多くない。少し離れた場所で制止を求められ、ベルナールがやや思案する。


「押し込まれてる感じはないな。外はだいたい鎮圧済みだ。ブノワかもしれん。ラルス、来い。砦の前で待機だ。俺はイアサント様と中へ入る。エルチェ、レフィ様と外で残党を警戒。あちらへ逃げるやつは深追いするな」

「はい」


 ベルナールの馬を預かり、同じようにイアサントの馬を預かったレフィと合流する。念のためなのか、アランも近くに残っていた。

 砦の中が一際騒がしくなって、やがて鎮まる。レフィがじっと砦の入口を見つめていた。


「……心配?」

「まあね。でも、ああ見えて兄さんも騎士だから。お飾りじゃないよ」

「そうか。尊敬できるから、イアサント様の騎士になるのか?」


 レフィの目標は知っていたけれど、その動機は現在に至っても今一つわからなくて、エルチェは訊いてみた。アイスブルーがこちらを向く。いつものように呆れた色が無いのは、正解、ということだろうかと、特にその答えに興味もないまま辺りに視線を巡らせる。


「君は僕を尊敬してる?」

「いや?」

「おんなじだよ。別に尊敬はしていないけど、彼が後継者であった方が他の色々に面倒がない。つつがなく政治が回り、うちが安泰なら、それを護るのが一番楽だろ」


 思わず振り返ったエルチェに、今度はアイスブルーが逸らされる。


「意外? エルチェも僕が裏で実権を握りたがってると思う?」

「……いや。すげー納得した。そうか。お前って、面倒臭がりなんだ」

「は? ……言われたことないけど」

「いや。ぜってーそうだろ。自分が先々で楽するためなら、そのための準備は苦じゃないんだ。領主なんて面倒な仕事、押し付けられたくない。その傍で頭脳ブレインとしてたまに口を挟むくらいの位置にいたいって。だとしたら、彼には死なれると困るものな。異常に持ち上げられるのも迷惑だ。下々の煩わしさは下々を知ってる人間に全部丸投げできればなお良し。うわ。繋がりすぎて怖ぇ」

「……バカに納得されるのもムカつく。言っておくけど、」

「兄を好きじゃないわけじゃない、だろ。家族ってそういうもんだもんな」


 言葉の後ろを取られて舌打ちするレフィの肩に、エルチェは手をかける。


「陰謀巡らせる『冷血宰相の孫』も似合わないわけじゃないけど、俺のイメージとどうも違うと思ってたんだよ。スッキリしたー」


 レフィは冷ややかにその手を一瞥すると、ピシリと払いのけた。


「うるさいよ。バカのイメージで語るな」


 そのまま腰の剣を抜いたので、エルチェは少し身構える。レフィはそのままエルチェの横をすり抜けた。振り返れば、残党らしき人物が国境線を隣国方面に駆けていくところだった。アランもゆっくりとその後を追っていく。

 エルチェは置いてあった弓に手を伸ばし、しっかりと狙いを定める。弓なりに飛んだ矢は、逃亡者の肩を貫いた。転げた男にレフィが追いつく。アランは足を止めてエルチェを振り返った。男を拘束したレフィも再び立ち上がって彼を振り返ったので、エルチェはひらひらと手を振ってみせた。

 聞こえはしなかったけれど、もうひとつ舌打ちをされた。エルチェはそう確信して、にやりと笑った。



 *



 砦を襲ったのは隣国の野盗のような一団だった。根城を転々と移しながら商人を襲ったりして生活しているような輩だ。当然、隣国にこちらの抗議など聞き入れられるはずもない。好きにしてもらって結構。そういう態度だったらしい。

 拘束した何人かに話を聞いたが、「俺たちの財産を盗られた」「砦に隠されている」などと身に覚えのないことばかり。もちろん、砦を検めてみてもそんなものは出てこなかった。

 こちらに死者は出なかったものの、ケガ人はそこそこいる。空いた人員を埋めるのに、しばらくは慌ただしい日々が続くのだった。

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