第41話 とぉでとうとう

 華やかな宴が終われば、参加者は余韻に浸りつつ帰途につく。

 召使いたちはそこからまだ片付けがあるのだけれど。

 エルチェはベルナールについて戻り、着替えを手伝って寝酒を用意した。ベルナールは相手に勧められた時以外は飲んでいなかったから、物足りないのではないかと思ったのだ。

 ラルスは今夜は滞在中の両親と過ごすらしく、戻ってこない。ひとりでベルナールの全てをこなすのは大変だが、なるほど、従騎士と騎士の絆はこうして深まるのだとエルチェは実感した。


「エルチェ」


 部屋を出ようとして呼び止められる。


「もう遅くて悪いが、少し付き合っていけ」


 サイドテーブルの酒を指差してそう言われれば、戻るよりほかない。


「もう、仕事モードは解いていいぞ。寝る前の戯言だ」


 グラスをもう一つ出すエルチェに、ベルナールは自ら椅子を用意してそれを軽く叩き、自分はベッドに腰掛けた。

 ブランデーをワンフィンガー分だけ注いで、「お疲れさん」と、お互い軽く掲げる。


「どうだった? お前の踏み込む世界は」

「……くらくらします。人に、酔う感じの」

「いろんな欲が渦巻いてるからなぁ。俺も、いまだに慣れん」

「そういうものですか?」

「人によるかな。ブノワなど、どこに出ても堪えた様子など無い。奥方がフォローしている面もあるが、貫くことで得る信用もあるということかもな」


 口に含んだ強い酒は、胃に落ちて熱さを広げる。


「イアサント様は当たりが柔らかくていらっしゃるからまだいいが、その分というようにレフィ様は鋭利だ。自分の立場も年齢もわかっていて、時々相手の喉元にナイフを突きつける。それを魅力に感じ群がる者が、勝手に代弁を始めたりもするし、敵も多くなるだろう。……ままならぬ縁も多いかもしれん」


 ベルナールの言わんとするところをエルチェは察した。


「今更ですよ。たぶん俺は、レフィが自ら人を刺したあの日から、あいつがそうしなくていいように強くなろうと決めたし、自分は平気な顔でそれをやってのけたのに、騎士になるはずの俺が初めて人を刺せば、酷く申し訳なさそうな顔をする馬鹿を他の誰かに任せるのも嫌だ。あいつは自分本位だけれど、周りを見ていないわけじゃない。最善を選んでいる……と、思うから。だから、大丈夫。です」

「……そうか。女性関係で拗れるものも多く見たからな。余計な心配をした」

「いえ。あの、酔ってるんで、忘れてください……!」


 残った酒を流し込んでグラスを置くと、エルチェは誤魔化すように立ち上がった。

 くすくすとベルナールは笑う。


「ごちそうさまでした」

「変わったようで、変わらないな、君は。付き合ってくれてありがとう。おやすみ」



 *



 冬の間、何度か狩猟舞踏会は開かれ、他にも晩餐会、演劇、ボートレースと貴族たちは忙しい。春から初夏にかけては中央での社交に忙しくなる彼らと縁が切れないように、もてなし尽くすようにしているのかもしれない。


「ローズの婚約が決まったよ」


 雪が消える頃、レフィが何気なく言った。


「……そう」

「中央の商家上がりの男爵家から入り婿。いくつかあるけど、三番目には裕福かな。テオにも聞いたけど、招待客の中では一番誠実そうだったって」

「聞いてないけど」

「今月いっぱいで仕事を辞めるらしいよ。ベルナールの城詰め、最終日に当たってた気がする」


 言うだけ言って、レフィはお茶を乗せたトレーを持って行ってしまった。

 個人の警護のためだけじゃなく、城の夜間警備もたまに回ってくる。確かに今月最終日に当たっていた。


「どうしろって……」


 一応エルチェとラルスも城にいるが、夜の間はほぼすることもない。仮眠室で交代で寝て終わる。抜け出せはするだろうけど、夜では。次の日が休みになるから、ベルナールに頼めば、城門で待ち伏せて挨拶くらいできるかもしれないが。

 エルチェは頭の隅にそれを引っかけておいて、忙しい日々をこなしていく。イベントが減って落ち着きが出てきてはいたが、北の森の国境付近では猟銃や弓をもった小さな団体が不穏な動きをしたりして、パトロールの応援にも駆り出されていた。


 その日もベルナールとラルスは城に残っていたが、エルチェはブノワに連れられてパトロールに参加していた。狩猟期間はそろそろ終わるが、危ないので狩猟地域は立ち入らない。隣国の小集団が、うっかりなのかわざとなのか、入り込んでくるのを追い返す。国境線が見えるわけではないので、小競り合いになるのが常だった。

 気疲れもあって、エルチェは日付の感覚をすっかりなくしていた。

 城に戻り、夜になってベルナールが所定の位置についてから、そういえばと思い出す。迷ったけれど、勤務についたベルナールのところへわざわざ行くのも憚られて、結局次の日の朝見送るのは諦めた。

 その代わり、と。


「ラルス、先に仮眠させてもらっていいか?」


 いつもは特に希望を言わないエルチェがそんなことを言うので、ラルスは少し驚いて首を傾げた。


「パトロールに出てたもんね。疲れた? 別にいいけど」

「助かる」


 そのままエルチェが身をひるがえしたので、ラルスはさらに驚いた。


「え、ちょっと! 寝るんじゃ?!」

「時間までには戻る」


 小走りに走り去るエルチェの背中を、ラルスは呆気に取られて見送るのだった。

 エルチェは確かに疲れていたから、眠るつもりではいた。

 オランジュリーで。

 ローズが来ることを期待したわけではなかったけれど、一足先に咲く薔薇に彼女を重ねて見送りの代わりにすることにした。

 庭の台にかけてある角灯をひとつ拝借して、闇に包まれているオランジュリーに入り込む。すでにオレンジもレモンも収穫されつくしていて、微かな香りだけが残っていた。


 エルチェは咲いている薔薇の一つに鼻を寄せ、軽く匂いを吸い込む。甘い香りに少しだけ口角が上がった。上着を脱いで、よく眠っていた陰の方へと移動し、角灯の灯りが外に漏れないように半ドーム状に上着をかぶせる。暗すぎると完全に寝入ってしまうので、顔には灯りが届くようにしたかった。壁に背を預け、目を瞑ればすぐに夢の世界へと引きずり込まれた。




 呼ばれたような気がして、エルチェの意識が浮上し始める。誰か呼びに来たのかもしれないと思う頃には、唇に柔らかな感触がしてのけぞった。


「……ってっ……」


壁に強かに頭を打ち付けて、手を当てようと動かせば、誰かの腕に触れて痛みを忘れてギョッとする。近すぎて、そこに誰がいるのかエルチェにはわからなかった。


「だれ……」

「……しっ……夢を見てて……」


 囁き声が微かに空気を震わせ、柔らかいものがもう一度エルチェに触れる。音のない声と覚えのある匂いが、エルチェの手を自分の頭ではなく、彼女を抱き寄せるのに動かさせた。

 夢中だったエルチェは、自分が昔画家にされたことをなぞっているのに気付く。

 あの時はただ気持ち悪い思いをしただけだったけれど、ローズはそうでないといいなと、少し冷静になって彼女を離した。


「……ずるい。婚約したくせに」

「クリスマスの夜にくれなかったからよ。それに、婚約が決まっただけ。まだ何も交わしてない」

「詭弁だろ」

「詭弁を弄するのが貴族だわ。おめでとうをくれる?」

「おめでとう、レディ・ローズ」

「ありがとう。さようなら……忘れない」


 エルチェの頬を優しく指先で撫でて、ローズは闇の中、出て行った。

 明かりがなくとも迷わないくらい、彼女が通った場所。エルチェはまだしばらく、そこから動けないでいた。

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