第40話 ここのつここから
狩猟舞踏会はとても華やかだった。
狩りの高揚が抜けていないのか、男性たちは皆、生き生きとして少し凛々しく感じる。
辺境伯夫妻が躍った後は、大ホールに一斉に人々が進み出ていく。いつも人々の興味を引くのは長男イアサントなのだが、今日はそれよりも弟のレフィに視線が集まっていた。
参加を避けているようなことを言っていたのに、レフィは余裕で笑みを浮かべて周囲を見ていた。いや、眼鏡をしていないから、誰が誰かは見えていないのかもしれない。隣で見るからに緊張しきったローズに、エルチェはハラハラする。うつむき加減だった彼女が、ぱっと顔を上げ、そのとたん、つまづきかけてレフィにフォローされていた。たぶん、レフィに顔を上げろとか何か言われたのだ。
結上げた髪の下で、白いうなじが桃色に染まっている。レースや刺繍がふんだんに使われたドレスに身を包むローズは、確かにエルチェの手の届かない貴族の娘だった。
身長差もちょうどいい二人は、立ち姿がとても絵になる。重心の崩れないレフィのターンは美しく、ローズのドレスが少し遅れて波を打つ。ひそひそと噂話に勤しむ声も、ひと時止んだ。
フロアではベルナールも、ブノワもアランも、ラルスも踊っていた。護衛騎士の面々は踊りながらも周囲に気を配っているのがわかる。
普段騎士服を気崩しているブノワでさえ、きっちりと黒の燕尾服を着こなし、笑顔で女性をリードするのは、当たり前なのかもしれないけれど、意外だった。
曲が終われば人が入れ替わる。レフィはイアサントにローズを紹介して、イアサントに挨拶しに来る面々とも言葉を交わす。男性が何人かローズにも声をかけていた。「壁の花」などと言っていたのが嘘のようだ。それだけ見せ方で変わるということなのだろうか。
「エルチェ、水を頼む」
「はい」
戻ってきたベルナールに声をかけられ、エルチェも仕事をする。
トレーにいくつかレモン水を用意して戻ると、ブノワと彼のダンス相手の女性もいた。
「お水でよろしいですか? シャンパンもお持ちしましょうか」
声をかければ、ブノワがグラスをひとつ取って女性に手渡した。
「俺は取りに行くからいいよ。リリはこれでいいよな?」
「はい」
にこりと微笑むおとなしそうな――胸元ははじけそうだけど――彼女は、ブノワにも怯んでいる様子はない。ベルナール夫妻は奥さんがベルナールの分もグラスに手を伸ばした。
「ちょうどいいから紹介しておこうと思ってな。これがエルチェ。ベルナールに横から取られた従騎士」
「取ってないって」
ベルナールの呆れ声に、女性は困ったように笑った。
「稽古つけてやってるが、まだまだ伸びそうで楽しい」
「お前が楽しむな」
「ほどほどになさってくださいね?」
明らかに同情の目を向けられて、エルチェはうっかり頭を掻いた。指先の油の感触にハッとして、なるべく自然に髪を撫でつける。
ブノワは聞いているのかいないのか、彼女の腰を抱き寄せた。
「で、こっちが俺の奥さん」
「リリアーヌです。主人をよろしくお願いいたします」
スカートをつまみ、軽く膝を折って挨拶されたので、エルチェも「こちらこそ」と、軽く頭を下げた。
「えーと、じゃあ、次は……誰だ?」
「アルバン卿じゃないかしら」
さりげなくブノワの背を押して次の挨拶相手の方へ向かう二人を見送りながら、エルチェはじわじわと衝撃が広がるのを味わっていた。
「……奥さん……?」
思わずこぼれた呟きに、ベルナールが吹き出す。
エルチェに一歩近づいて、声を潜めた。
「やっぱり、不思議だよなぁ。ヴァワザン城の七不思議の一つに数えられてるぞ」
「あ、いえ。おかしくは、ないです。はい」
「家庭でも持たせれば、少しはおとなしくなるかと思っての周りの節介だったんだが、奥方とも上手くやってるし、結局あまり変わらん。縁とはわからんもんだ」
茶化してるのかと思えば、ベルナールは最後にローズを見ていた。
曲が終わり、再び人が入れ替わる。ローズも明るい茶の髪の男性とフロアに入って行った。エルチェはしばしの間、彼女が相手の足を踏まないか見てしまう。何事もなく、たまに微笑みを浮かべて踊る彼女を見て、一度視線を足元に落とす。折線のついた魅せるための衣装と、磨かれた黒い革靴の先が見えて、僅かに立ち位置を変えた。服も靴も思ったようについてくる。その脚も、その靴も、紛れもなく自分のものなのだと、馬鹿みたいに自覚する。
エルチェは少し深く息を吸い込んで、顔を上げた。背筋を伸ばし、美しく見えるように立つ。後悔をしている暇はない。自分に納得できるかは、自分にかかっているのだ。
少し遠い場所に居る、涼やかなアイスブルーと視線が合ったような気がした。エルチェの気のせいかもしれない。今夜はレフィは眼鏡をかけていないので、見えていないはずだから。
イアサントに連れられ、レフィも別の令嬢と言葉を交わす。
相手を変え、くるくると踊る人いきれに、エルチェは少しだけ酩酊感を覚えた。
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