第36話 いつついつかは

「……何か?」


 無表情のままダニエルは一団を見回して、レフィに少しだけ目を留め、エルチェにはわずかに眉を寄せてから一瞬だけ目を見開いた。すぐにベルナールに視線を戻したけれども。


「夏から秋にかけて、この辺りで盗みや追剥が相次いだと聞いてな」

「関係ありませんよ。真面目にやってる」


 ため息で押し出すように、ダニエルの口から零れる言葉に力はなかった。


「疑ってるわけではないんだ。君なら、周りの者より気付けることもあるかと思って。妙なものが盗まれたとか、知らない人間が入り込んだとか、そういう話を聞いてないかい?」


 イアサントの言葉に、ダニエルはしばし考え込んだ。それから、小さく首を振る。


「さあ。物はよく失くなる。出てくることもあるし、そうじゃないことも。人も、いなくなったり、入ったり、そんなに気にする奴もいない。夏の終わりに坑内見取図が数日外されていたくらいかな。変わったことといえば、そのくらいしかない。仕事が終われば風呂に入って寝るだけ。山の中を散歩する気力も体力も残っちゃいないよ」


 薄く弓を描いた唇にも黒い汚れがついていた。

 ダニエルはそのままエルチェを向いて目を細め、イアサントに目礼して行ってしまった。みなと同じように、レフィもその背中を追っている。


「追いかけてもう少し聞きますか?」

「……いや、あれ以上は出てくるまい。レフィも落ち着かないだろうし」


 振り向くイアサントに、レフィは肩をすくめてみせた。


「べつに。僕のことは、お気遣いなく」

「また。もう。僕の弟は兄に心配もさせてくれないのかい」

「今は弟ではなく従者ですので」

「切り替えが完璧すぎるよ……じゃあ、ドナシアン達と合流して、管理の人間にもう少し話を聞いてから帰ろうか」


 今度は聞こえないふりをしたレフィは、もう一度ダニエルの去っていった方を見やるのだった。




 結局、夏から秋にかけて人の出入りが頻繁だったという以外は、大きな収穫も無く、エルチェは帰りの列車に揺られていた。

 行きほど興奮もなく、うとうとしたあとにトイレに立つと、デッキにレフィがいた。用を足して戻ってきてもまだいたので、エルチェは足を止める。


「なんか気になんの? アイツのこと」


 レフィは半身だけ振り返る。


「いや。今回の件には関係ないよ」

「ずいぶんハッキリ言い切るんだな」

「彼はエーリク兄さんの騎士だもの」


 エルチェは少し首をかしげた。


「今は、違うだろ? それに、前は疑ったのに」

「疑ったんじゃない。確かめたんだ。答えてくれないけど」

「……よくわかんねぇ」

「君はそれでいいよ。というか、たぶん誰も解らないかもね」


 淡々と揺るがないアイスブルーは、何も期待していないようで。


「……何でもわかった顔しやがって。むかつく」


 でも、そうなら何故こんなところにひとりで立っているのか。アランが客車の中のドア近くに立っている。追いやられたのだろう。

 エルチェはレフィと反対のドアの横の壁に背中を預けて腕を組んだ。


「……戻らないの?」

「俺がどこで何をしようと俺の勝手だろ」

「まあね」


 お互い、窓の外へと視線を向ける。

 窓越しに視線が一度だけかち合って、レフィは笑み、エルチェは舌打ちをした。


「でも君は今、ベルナールの従騎士だよ」

「うるせーな」


 レフィが一度肩を揺らした後は、二人黙ってそれぞれに、流れる景色を眺めているのだった。



 *



 北の森の巡回。狩猟舞踏会の準備。そんなことで慌ただしく日は過ぎた。

 クリスマスノエル前夜、ラルスはエルチェひとり残すのを心配そうにしながら、すでに実家に帰ってしまっていた。部屋でエルチェが暇を持て余していると、衣装ケースを抱えたベルナールがやってきた。

 もう家族との時間を過ごすはずで、エルチェは部屋でひとり静かに一晩明かす予定だった。


 クリスマスノエルの夜は使用人舞踏会に参加した後、オランジュリーででも夜を明かして、次の朝一番で田舎に帰る。そういうつもりなことはベルナールに伝えてあったのだが、「朝帰りを公言するな」と笑われていた。一瞬眉をひそめたエルチェにベルナールは瞬いて、何やら察すると、鍵は開けておくから、遠慮せず帰って来いと彼の頭を掻きまわしたのが数日前だ。


「何かありましたか?」


 ベッドでだらけていたエルチェは慌てて飛び起きて家主を迎える。

 クリスマスノエルといえど、何かあればもちろん出動がかかる。ベルナールが城近くに居を構えているのは、そういうことも鑑みてのことなのだろう。


「違う違う。急がせたのが間に合ったから、届けにな。ついでに、お裾分けだ」

「え……」


 ほら、とベルナールが少し身体をずらす。影に隠れていた五つくらいの少年がびくびくと前に出てきた。ベルナールの子供だが、初対面での挨拶でひどく怯えられてしまったので、エルチェはあまり顔を合わせないようにしていた。

 ベルナールからそれ以上離れようとせずに手だけを目いっぱい伸ばして、皿に盛り合わせたエビと牡蠣を突き出してくる。エルチェは苦笑して、少年の前に跪いた。


「ありがたく頂戴します」


 厳かに皿を受け取れば、達成感に満足したのか、少年は満面の笑みを浮かべた。


「こっちは俺から。ラルスはまだ飲めないから、このことは黙っとけな。勢いをつけたかったらやっとけ」


 ニッと笑って、ベルナールは小ぶりの瓶を差し出した。

 正真正銘の葡萄酒ワインで、そういえばこの春からはもう大手を振って飲めるんだったなと、エルチェは思い出した。レフィに会う前から大人に混じってエールなんかは飲んでいたので、そもそも悪いことだという感覚が抜けていた。どうりで兵舎でこっそり飲む以外では勧められなかったはずだ。

 なんとなく感慨深く受け取って、続けてベルナールが抱えていた衣装ケースをエルチェのベッドに置くのを目で追っていく。


「それは?」

「狩猟舞踏会にって頼んでたやつだよ。使用人仕様だが、使用人舞踏会ならもってこいだ。ぎりぎりだが、間に合ってよかった」


 ケースの中にはきっちりと畳まれたチャコールグレーの衣装が収まっていた。白いシャツとタイも揃っている。


「皺になる前にかけておけよ?」


 ベルナールが手に取って広げれば、後ろの裾の長い、燕尾服コートだった。襟とカフスが落ち着いたボルドーで、作る時に赤味の強いエルチェの髪の色にも合っている、と言われた気がする。沢山ついたボタンは狼がデザインされていて、手渡された衣装はずしりと重かった。


「それで踊るのは大変かもしれないが、お前なら体力もあるから大丈夫だろう。せっかくなんだ。楽しんでこい」


 華やかな衣装とボタンに興味を示した息子を抱き上げて、空のケースも抱えると、ベルナールはウィンクひとつして、部屋を出て行った。


良いクリスマスをJe te souhaite un joyeux Noël!」

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