第35話 よっつよすがに

 腕を組んで、イアサントの机に寄り掛かりながら、ブノワはエルチェの話を聞いていた。すでに三月ほど前の話だ。曖昧なところも結構ある。


「レフィ様の方が冷静に見てたと思うから、戻ってきたら聞くといいと思います」

「そうだな。弟君にも聞かせてもらおう。襲ってきた二人とも、荷物なんかは持ってなかったんだよな?」

「はい。一人は素手で、もう一人は短剣を振りかざしてましたが、目に付くような荷物は何も。ポケットに何か入っていたかは軽くしか確認してませんが、レフィ様に抑え込まれた方の下衣には何も入っていなかったです」

「ふぅん。周囲は確認したが何も見つかってないからな。じゃあ、倒れていた兵の装備は別のやつが持っていったのか」

「あの人は何か特別なものを持っていたんですか?」

「いや。一般兵だ。連絡の中継のために残ってもらっただけだから、純粋に身包み剥がすために襲われたのか、邪魔だったんだろう」

「邪魔……」


 眉をひそめたエルチェにブノワは片頬だけを上げる。


「確実に隣国に入るために陽動までやるんだ。逃がした一人だか二人だかが何を持ってたのか……拘束を解くより口封じを選ぶようなヤツだぜ? ただの盗賊じゃぁ、ねえかもな。お前らを襲った奴らは、欲をかいたのか、取り分に不満があったのか、ソイツに言われたのか――いずれにせよ、視線を集め、気を逸らすことに成功してやがる。嫌な予感がすんだよ」

「ブノワ。勘では物事は動かない」


 へいへい、とブノワは笑って肩をすくめた。


「年末で人の出入りもまた多くなる。狩りはキツネや鹿だけにしたいもんだな」

「炭鉱付近は禁猟地域だし、昔と違って必ずしも犯罪者の労働場という訳でもない。警備の数は多くないからな……年内に一度証言と付近の様子を確認した方がいいだろう」

「スケジュールを調整しなくちゃだね。ドナシアン、大丈夫かな」

「いくつかの狩りを中止にすることになりますな。まぁ、来月に狩猟舞踏会が控えておりますので、そう問題はないでしょう。ダンスのお相手の順番が変わるくらいですかな」

「それは任せるよ」


 言いながら、イアサントが下がっていいと手を振ったので、エルチェは礼をして今度こそ待機室へと下がった。




 炭鉱のある鉱山はヴォワザン領の北東側にある。への字型の領の頂点付近と言うとわかりやすいだろうか。城があるのは中央より西側で、どちらかというと海に近い。山のふもとの宿場町まで馬車で半日以上を費やして移動し、調査には次の日赴くことになる。短くても三日はかかる行程だった。幸い、石炭を運ぶのに線路が通っているので、移動には列車を使った。

 初めての列車に内心興奮しながら、エルチェはずっと窓の外を眺めていた。流れていく景色がどんどん知らないものに変わっていく。あまり日数が取れないからとの計らいで、帰りを除けば、もう二度と乗ることはないかもしれない。

 トイレを口実にデッキにしばらく立っていると、レフィがやってきた。


「楽しい?」

「……まぁ」

「僕はもう飽きた。なんか面白い話……そういえば、ローズには会えた?」

「あ? ……会えた、けど?」

「そう。よかった。何か言ってた?」

「特に……使用人舞踏会だかには誘われた」

「へぇ。そう。それで最近ダンスを真面目に練習してるんだ」

「うるせーな」


 レフィからまた外に視線を戻せば、ガラス越しにレフィのアイスブルーがじっと見ていた。開きかけた口が閉じられ、アイスブルーが陰る。エルチェはレフィが体の向きを変える前に振り向いた。


「何。言えよ」


 瞬いた表情はいつもと特に変わりなく、見間違えだったかと思えるほどだった。それでも小さく吐かれた息が、と教えてくれた。

 エルチェは少しだけ身構える。


「……僕も、誘ったんだ」

「は?」


 話し始めると、レフィはいつもの少し生意気な調子だった。


「舞踏会。狩猟舞踏会だけど。ローズなら、誰も僕の相手に推さないし、彼女自身もその気はないだろうから。……でも、先に君を誘って踊りたがるなんて、悪いことしたかなって。彼女が何も言ってないなら、黙ってた方がいいかとも思ったんだけど」


 肩をすくめられて、すっとエルチェの中で何かが冷えた。


「……悪くなんてないだろ。に練習したかったんだよ。しばらく舞踏会には行ってないって言ってたから、無様な姿見せるわけにいかないって。

「エルチェ」


 ぷいと窓の外へ意識を向ける。今度は写り込むアイスブルーを見ないようにした。


「彼女は一度断わろうとしたんだ。でも……彼女の周りも色々あって」

「べつに。気にしてないって。つぅか、その方が納得いくから。理由も切っ掛けもどうでもいい。俺がやることは変わらない」

「エルチェ、君がどう思うかは僕もどうでもいいけど、本人の気持ちは本人に確かめてから行動してくれよ。また聞きで誤解を重ねるなんてバカみたいだ」

「いつもバカだって言うくせに」

「エルチェ」

「……わかった。大丈夫だって」


 大丈夫。元々そんなに期待してたわけじゃない。

 だから、本当にやることは変わらないんだ。

 そう、頭では思っているのに、感情の面が追いついてこなくて口にできなかった。レフィが悪いわけじゃないと理解しているのに、と、エルチェは少し落ち込む。

 ひとりにしてくれという雰囲気を汲んだのか、もう話すことがないのか、レフィはトイレに入ってから客車に戻って行った。




 次の日、午前中は山の周辺の確認をして、午後から鉱夫たちの居住区で聞き込みをする。今、エルチェはレフィの従者ではないから、ベルナールの動きのことを考えなければいけないのに、気付けばイアサントの背後に控えているレフィを目で追っていた。

 時に笑顔を向けつつ、兄と会話する様子は、旅行に来ただけの兄弟にも見えて、やはり少し面白くない。そんなことを思うのは理不尽だろ、と思う傍から突っ込みを入れるものの、もやもやはなかなか晴れなかった。


 やがて、レフィが時々視線だけで誰かを探していることにエルチェは気付いた。

 皆の関心がレフィに向いていない時、そっとレフィは辺りを窺う。警戒の視線ではないことを不思議に思って、誰か知り合いでもいるのかとエルチェも辺りを見回してみた。

 当然、知った顔など無い。初めて来る場所だ。

 レフィだって、と思いかけて何かが引っかかった。


 エルチェはベルナールの従騎士だ。彼が護衛対象のイアサントから離れれば、エルチェも離れざるを得ない。イアサントの従騎士のレフィをこれだけ観察できる時間があるということは、それだけ危険な場所ということだろうか。でも、それならベルナールはイアサントの前に出て、安全を確認するはずだ。

 ひとつ気付いてよく見れば、アランも近くにいる。

 よく知った顔ばかりで、その配置はイアサントの護衛というより、レフィを護るような……


 エルチェがようやくそれに気付いた時、イアサントが足を止めた。ベルナールがそれに並ぶ。二番方と交代した一番方の面々が戻ってきたところだった。

 炭であちこち黒く汚れて、見分けがつくかつかないかという人々の中に、確かに知った面影をエルチェも見つけた。


「ダニエル」


 ベルナールの呼びかけに、亡くなったレフィの兄の元護衛騎士は、疲れ切った表情のまま足を止めた。

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