第33話 ふたつ不思議と

 生活パターンに慣れるのに、週単位では足りなかった。

 エルチェは主に訓練のせいだと思っている。

 朝っぱらからヘロヘロになるまでしごかれて、打ち身や生傷は絶えないし、半分眠い頭で新しい仕事を覚えなくてはいけない。ちょっとした空き時間にも意識を失うように眠って、自室(ラルフと一緒だけれど)のドアを開けた後は記憶がないこともしばしばだった。

 ようやくコントロールできてきたなと思う頃には、雪の気配が漂うようになっていた。


 年の最後の月に入ると、みんな少し浮ついてくる。クリスマスノエルに帰れるか、当番表と頭を突き合わせている者も多い。

 エルチェも少し迷っていた。帰ろうと思えば帰れるし、今までは毎年それに合わせて帰って、年が明けると戻ってきていた。ただ、今年はベルナールの予定や、ラルフとの兼ね合いもある。そう遠い町でもないので、周りの動向を見守っているのだ。


 二撃目までを読み切って、反撃に移ろうとした足元を狙われる。

 ブノワの剣は重くて速い。思ったのの倍の速度で違う場所に現れる。何とか飛び退くと、返ってきそうな剣の位置に当たりをつけて身体を捻る。

 そこに剣が抜けて行かないのに気付いた時には、もう正面に踏み込まれて殴り飛ばされた。


「あ、まーいっ!!」


 嬉々とした声が少し遠くに聞こえて、エルチェはやばいと頭を振る。交戦中に意識を失うのは一番避けたい事態だ。


「お? 久々マジに入っちまったか? 考え事できるくらいには余裕出てきたのかなぁ? んじゃま、そろそろもう一段上に行く?」


 まだ本気じゃないのかよ、と心の中だけで毒づいて、エルチェは片手を上げた。


「すみません。せめて、現状維持で」


 言われた通り、余計なことを考えている余裕はなかった。エルチェが起き上がれば起き上がるだけ、ブノワは楽しそうにヒートアップしていく。油断すると午後からの自由時間にまで連れ去られそうになるのを、作法やダンスの練習でなんとか逃げ延びているのだ。おかげで、伸び悩んでいたエルチェの行儀作法は目に見えて良くなっていた。


「なんだよ。なんか悩み事か? センパイが聞いてやるぞ?」

「いえ。ノエルの予定がどうなるか、ちょっと。昨年までとは違うので」

クリスマスノエル? ああ。そんな季節か? いいぞ。鍛えてやる」


 ぱあっと顔を輝かせるブノワから、エルチェは一歩引いた。


「誰もそんなこと言ってないのですが? 遠慮します」

「遠慮すんなって。プレゼントに筋肉をもらおう」

「違うものがいいです!」


 うっかり殺気を込めて剣を向ければ、ブノワがにやりと笑う。しまったと思う頃には、もう次の立ち合いが始まってしまうのだった。



 *



「相変わらず、バカだよね」

「うるせーんだよ……」


 午後からの、眠気が襲ってくる時間にエルチェはレフィと街に出ていた。

 最近人気らしい娯楽小説を探してきて、とイアサントから受けたレフィの付き添いだ。本屋の梯子は大変だろうとベルナールに頼まれた形だから付き添えるが、実際は息抜きをして来いという二人の気遣いなのかもしれない。

 アランと三人歩いていると、エルチェはなんだか少し懐かしくなった。


「それで、強くなってんの?」

「わかんね。相手が化け物すぎる。体力は増えた気がする」

「作法の方は良くなってきたって聞いたけど」

「結果的にな……やりたいわけじゃないんだが……」


 言葉尻を濁すエルチェに少し笑って、レフィは手分けして探すことを提案した。異は無いので集合場所を決めて分かれる。二軒回って売切れだと言われ、三軒目はついさっき最後の一冊が売れたと言われた。さらに路地奥にある少しマニアックな店にも足を伸ばしてみたけれど、こちらも外れだった。

 手ぶらでレフィと合流すれば、そちらも成果はなかったようだ。


「どうしようかなと思ったんだけど、途中で会った人が譲ってもいいって言ってたんだ。面倒そうだったんで断ったんだけど、仕方ないからちょっと行ってみる。エルチェは先に戻ってていいよ。たぶん、お茶に付き合わされる。アランはこのまま連れて行くからさ」


 そう言って、エルチェに小ぶりの封筒を差し出した。


「なにこれ。イアサント様に渡せばいいのか?」

「違う。エルチェ宛て。預かってたんだけど、渡す機会がなくて。ちょうどいいから、行ってみれば? 少し話す時間はあるだろ」


 そのまま、レフィはアランに目配せすると行ってしまった。

 渡された封筒には、宛名や差出人の名はない。中を開けて見ると、時間の書いてあるカードが一枚と、乾いた茶色の花びらが一枚入っていた。


 ――6:00~6:30、11:30~12:30、14:00~15:00


 どきりと胸が鳴る。振り返ってもレフィたちの姿はもう人混みに紛れてしまっていた。忘れていたわけではないけれど、そういう余裕はなかったから、なんだか後ろめたい。

 そう思いつつも、エルチェは少し早足になった。

 次の機会がいつになるかなんてわからない。

 そういう想いが勝っていた。


 通行証を提示して城に入り、まっすぐ東の庭園へと向かう。示された時間内ではあったけれど、ぎりぎりでもあった。

 オランジュリーの中はポカポカとしていて、その温かさに顔が熱くなる。慌ててコートを脱いで、ローズを探した。冬の方が出入りがあるのか、テーブルには間を開けて二組ほど人がいて、少し緊張する。

 オレンジとレモンの鉢植えはいつの間にか戻されていて、温室の中は全体的に混み合っていた。

 ひとつもぎ取りたい衝動を抑えて、奥の方も覗いてみたけれど、ローズの姿はなかった。毎日必ずいるとも限らないだろうしな、と、エルチェは諦めてまた外に出る。立ち去りかけて、念のため、と隣の物置小屋を覗いてみた。

 かごや空の木箱が積んである奥の方で黒のスカートが揺れている。


「……ローズ?」

「……はぁい。今行きま……」


 腰を折って作業していた身体を戻し、振り向いたローズは驚いて目を見開いた後、眉をひそめた。

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