第31話 兄弟愛

 バタバタと日が過ぎて、気付くと移動の日になっていた。午前中はいつも通り訓練に出て、午後から移動になる。エルチェはテオとレフィに一応の挨拶をしたのだが、イアサントの元でまたすぐに顔を合わせることになるので、どうも緊張感に欠けてしまった。

 レフィの生活はあまり変わらない。イアサントと行動を共にするなら、護衛もほぼ要らないのだ。何かあった時のために、アランとテオのどちらかが必ずレフィにつくことにはなっていた。


 エルチェはと言えば、バッグ一つにまとめた荷物を持って、ベルナールのもう一人の従騎士にベルナールの屋敷に案内されていた。

 ラルスという名の少年は、一つ下の十五歳だという。年下だけれど、従騎士としては一年先輩になり、家柄も良いのだろう。ふるまいに気品があって、住んでる世界が違うなと、エルチェは思っていた。今までのように気ままという訳にはいかないのも解っているので、それなりに上手くやっていくつもりではある。

 荷物をあてがわれた部屋に置くと、そのまま城に取って返した。城からも近く、迷うような場所じゃない。それでもベルナールは城に泊まり込むこともあるというから、跡取りの護衛は大変なのだろう。


 広間のひとつでイアサントとその護衛騎士四人と顔を合わせる。

 まずはベルナールに挨拶して、ベルナールからイアサントに紹介してもらうという手順を踏む。レフィも皆が承知の上でイアサントに挨拶しているので、まどろっこしいがそういうものなのだろう。

 同期となる従騎士同士でも挨拶を、と言われて、エルチェは思わずレフィと顔を見合わせた。お互い、昼前まで顔を突き合わせていたのだ。よろしくと言って手を出す以外話すこともない。

 周囲の砕けた空気から察すると、イアサントの軽い冗談なのかもしれない。

 さっきまでの主従の握手をにこにこと見届けたイアサントは、自分の護衛騎士を紹介し始めた。


「皆を纏めてくれるドナシアン。最年長で父との親交も深い」


 四十代後半に差し掛かっているだろうか。立派な髭を蓄えたオジサンは厳めしい顔のまま目礼した。


「そのサポートをしてくれるベルナール。君たちにはもうお馴染みだね。アランも紹介は要らなそうだ。残りはブノワ。見てくれはもう少しどうにかしてほしいところなんだけど、腕は確か。エルチェ君が来るのを楽しみにしていたよ」


 隊服の袖はまくり上げ、剃ってないのか剃り残しなのか、ぽつぽつと髭の残る顎をこすりながら、ブノワはにやにやしながら片手を上げた。切りっぱなしの短髪があちこち向いていて、あまり身なりに気を使わないエルチェよりも関心が無いのだとわかる。雰囲気的には一番気を使わないで良さそうだと、エルチェは目礼で応えた。

 アランはベルナールの下に見習い的についていたらしいのだが、今回試験的に正規の護衛騎士として扱われることになった。緊張も見て取れるが、気の置けないメンバーが増えたことで、やる気もアップしたようだ。にこりと笑顔を向けられたので、エルチェも笑い返す。


「他にも増えたりするけど、まあ、仲良くやって。レフィについても立場は従来の従騎士と同じ。鍛えてやってくれ」

「よろしくお願いします」


 不敵な笑顔は相変わらずだけれど、そのアイスブルーにはわずかに肉親に向ける柔らかさが潜む。兄と争いを起こしたくないというのはレフィの本心なんだなと、エルチェはなんとなく理解した。


「じゃあ、堅苦しいのは終わり。初日だし、急ぐ用事もないからそれぞれオリエンテーションでもして。レフィは……どうしよう。なんだかやりづらいな。お茶でも飲むかい?」

「それを言うのでしたら、お茶を入れてくれ、ではないのですか?」

「ああ、そうか。じゃあ、みんなにも何か飲み物を出して、ええと……最近何か面白いことはなかった?」

「食事の時に話すようなことを聞く場ではないでしょう。仕事なさってください」

「いきなり怒られたよ。ドナシアン、僕の弟は優秀だね」


 にこにこと筆頭騎士を振り返る兄に、レフィは一瞬呆れた顔を向けたけれど、一礼して踵を返すと給湯室へと向かって行った。

 その背中を何気なく見送っていたエルチェに誰かがスッと寄ってくる。


「ベルナール! 全くずるいな。貴殿は!」


 ガシッと肩を組まれてエルチェは面食らった。ブノワの手は大きくてエルチェの身体もやすやすと引き寄せる。


「俺が面倒見ると言ったではないか!」

「武芸の稽古はお任せしますよ。エルチェに必要なのは、どちらかというと作法なのでね。ラルスから学ぶことも多いと思う。それに貴殿に任せるとそのまま持ち去られそうだからな。私もイアサント様もだいぶ釘を刺されてる借り物だ」


 ベルナールの視線に合わせてブノワも給湯室を振り返った。ハッと短い笑い声がする。


「生意気なぼっちゃんだなぁ」

「こら」

「確かにそうだけど、あれで意外と自分のことは主張しないんだよ。必要ではあるし、そのくらいは兄として聞くべきだろう? 責任をもって育ててやらないと」


 口を挟んだイアサントに、ドナシアンもベルナールも苦笑した。ブノワだけが楽しそうに口角を上げて「よろしくな」とエルチェの背をバンバンと叩いていた。


「エルチェ、はうちの問題児だ。誘いに乗るのはほどほどにするように」


 はい、と小さく頷けば、レフィがするように後頭部を叩かれた。


「可愛がりがいがありそうだなぁ」


 レフィが戻ってきたので、ブノワはそのトレーの上からカップをひとつ取り上げて、窓際へと去って行った。

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