第30話 人付き愛
次の日、午前中の訓練をフラフラで終えたエルチェは、座学の途中で机に伏して眠ってしまった。
ここしばらくは真面目に受けていたし、盗賊の件もあったので、先生はため息をつきながらも見逃してくれた。
授業が終わってからレフィはエルチェの頭にげんこつを落とす。
目は半分開いたものの、エルチェは体を起こそうとはしなかった。
「クマができるほど気にしてたようには思えなかったけど?」
「…………らする」
「は?」
「むらむら、する。から、朝まで素振りしてた、ん、だ、けど」
すぅっと細められたアイスブルーの横に血管が浮いた。
「テオ!!」
「……はい?」
ドアの向こうに立っていたテオが、尖った声に訝し気に中を覗き込んだ。
「誰か護衛の代わり呼んでこい。それで、それ、娼館にぶち込んでこい!!」
「はぁ!?」
「は?」
飛び起きたエルチェにもう一発げんこつを喰らわせて、冷たい視線でテオを促す。
何度か瞬いたものの、テオは一礼して人を呼びに行った。
「バカだとは思ってたけど」
眉間をもみほぐすようにして深くため息をつくレフィに、頭をさすりながらエルチェは肩をすくめる。
「原因はローズだろ」
ぐ、と喉を詰まらせたエルチェは、口を一文字に結んだまま開かなかった。
答えなど待っていないレフィは、もうひとつため息をつくと、口元に手を当てたまま何事か考え込み始めた。
すぐにテオが戻ってきて、エルチェは強制的に立ち退かされる。
「テ、テオ、真面目に? こんな、昼間っから?」
やや逃げ腰のエルチェにテオは笑った。レフィの命令とはいえ、堅物そうなテオにそういう場所は似合わない気がして、エルチェはやめようぜと服を引く。
「従騎士になると一度は必修なんだ。遠征についていったりするから、先々で間違いが起きないように、と。避妊具の使い方から一通りのレクチャーをしてくれる。まあ、それでも羽目を外す人間は多いんだが……別に、そういうことはしてもしなくてもいい」
「そんな研修まであんのかよ!」
「他は知らないが、うちの団では通例だな」
契約している娼館があるらしく、ああ、そう。と、少し好奇心が湧きかけて、エルチェの頭にふとある人物のことがよぎった。
「……レフィも従騎士になるよな?」
「レフィ様はもうお済みだよ」
「え!? あいつも行ったの!?」
想像がつかない。
「レフィ様はお立場もあるので、来てもらうんだけどね」
「うわ。生意気……あぁ、いや。わかってるけど」
さすがにテオに睨まれて、エルチェは訂正した。
うっかり忘れがちだが、レフィは一応継承権を持つお坊ちゃまなのだ。その辺でほいほい子供を作っちゃまずいのは解る。
「従騎士になる前に経験してしまう方も多いんだけどな」
意外そうに見られて、エルチェはぷいと顔をそむけた。
「ずっと横にアレがいて、どこにそんな機会があるんだよ」
「近づくのを追い払っていれば、目の敵にもされるものな」
珍しく、可笑しそうにテオが笑うので、「そうだろ」とエルチェはふてくされて見せた。
*
律儀に待っていたテオと城に戻ると、レフィは何やらカタログを眺めていた。華やかな衣装のイラストは、明らかに女物で、仏頂面からは楽しそうでないことが伝わってくる。疑問を口にする前に、レフィはそこから目を離さずに先に口を開いた。
「スッキリしてきたか。普段の生活に支障が出るような自己管理をするな」
「……すまん。それは? お前が着るんじゃないよな?」
呆れかえったアイスブルーがエルチェを向いて、はぁ、と音がする息をつかれる。
「エルチェに着せて似合うなら、それが一番良かったかも」
「冗談でもやめろ。お前の方が似合うじゃねーか」
「君が舞踏会に出られる身分なら、それも楽しかったかもね」
舞踏会? と、そういえばレフィからあまり聞かない社交場の話に、エルチェは少し眉を寄せた。
護衛に戻ったテオもやってきてカタログを覗き込む。
「観念したのですか」
「そういう場に出るのに、従騎士で侍るわけにもいかない。マシな相手が確保できそうだから、今回は割り切って人脈でも掘り当てたいね」
「お相手を聞いても?」
報告の義務でもあるのか、テオが控えめに訊く。
レフィはカタログに目を落としたまま、しばらく黙っていた。
「……まだ、決まってない。打診はした」
「まあ、もう少し時間はありますから……」
「口は閉じててくれよ。マラブル卿辺りの耳に入ると横やりがうるさい」
「と、いうことは、そちらの家の関係ではないのですね?」
「政争になりそうなことはしないよ」
もう下がってていいとレフィが手を振ったので、話はそこで終わった。
「エルチェも、騎士になったら出る機会もあるだろうから、周りに余裕があるうちに舞踏会とか夜会の雰囲気を掴んでおくんだね。ベルナールなら、そつなくやるだろ」
「さっぱりわかんねえけど、それっていつやんの?」
「年が明けてからが多いかな。狩りの後にやるんだ。うちは父さんがなかなかここを空けられないからね。中央にはあんまり行かない分、そういうとこでバランスとってるよ」
そういえば、冬から春にかけては来客が多くて、賑やかになるなあとは思っていたけれど。エルチェは直接関係ない裏方ばかり手伝っていたので、詳細をよく知らなかった。
「レフィは今まで出なくても良かったのかよ」
「良くはないけど、集団見合いみたいな側面もあるし、兄さんに集中するしね。おこぼれなんてウザいだけだろ。そろそろ年齢的にも断りにくくなってきたのもある」
「……大変だな」
「そう思うだろ? 君のドレスを選ぼうか?」
差し出されたカタログの一枚を、エルチェは見もせずに叩き落した。
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