第29話 これは愛?

 ベルナールは去っていくローズの背中を少しだけ見送ってから、コホン、とひとつ咳払いをした。


「こんなところで申し訳ないが、お前は俺が預かることになった」

「えっ。あ、従騎士の件ですか?」

「ああ。ギリギリで悪いな。色々あって……お前を鍛えたいってうるさかったやつがいるんだが、今日のことで少し風向きが変わった」


 どっちに、と少し目を泳がせたエルチェにベルナールは気付いて、小さく笑う。


「テオフィルに何か言われたか? あいつ、真面目だからな」

「あの……謝られ、ました」

「気にすんなって、俺も言ったんだがなぁ。エルチェは見かけよりはずっと子供だからと……おっと、レフィ様と比べれば、とつけてたがな?」


 ニッと笑われて、エルチェはムッとする機会を逃してしまった。レフィと比べられたら、仕方ないと思うしかない。


「俺から見れば、取り乱しも塞ぎ込んでもいないし、どうせ通る道だしな。大丈夫だろうと思ってたんだが……やっぱり違うか? 初めての時は手に感触が残っていて気持ち悪い、とか言うやつも結構いるから」


 軽く手を持ち上げて、視線を落としたエルチェはふっと息をついた。


「わかりません。俺、屠殺も解体も手伝ってるから、感触的にはあまり変わらないんです。締まりが無くて、柔らかいくらいだ。でも、変わらないなって思うことが正常か判らない。誇らしいわけでもないし、でも、死んだんだよな、とは思ってて……もっと、後悔するべきなんだろうか」


 うーん、と腕を組んだベルナールは剃り残しの少し伸びてきた髭を撫でて、さっきローズが去って行った方を見た。


「俺なんかは職務に支障が無ければ、心の持ちようは人それぞれでいいと思うんだが。人を斬った数を自慢する奴もいるし、斬った奴に必ず花を手向けるやつもいる。そこに折り合いがつけられないなら、やめとけ、とは言っとく。お前の腕は惜しいがな。一騎打ちジョスト、盛り上がっただろ? あれ、噂の彼女だよな?」

「そ、そんなんじゃないです! ベルナールまで!」

「ほぉん。その割には、「人殺し」と嫌われたくないようだ」


 にやりと笑うベルナールに、さっきローズを見た時の動悸が重なる。


「……え……あれ……?」

「そっちは俺も門外漢だから横に置いとくが、お前は今回のことで、騎士として働くことに躊躇いができたか?」

「いいえ」


 すんなりとその答えは出てきた。


「次も、次の次も、同じ場面に出くわせば、同じことをします」


 ベルナールは満足気に笑って、ぽんとエルチェの肩に手を乗せた。


「では、問題ない。そう荷物も多くないだろうが、移動の準備をしておけよ」



 *



 ベルナールに言われたから、と、自分に言い訳をして、エルチェは数日空いた時間は部屋の片づけをしていた。四年使っていたとはいえ、エルチェの荷物は多くない。まだ使う物もあるので、半日もあれば片付けきってしまうのだが、オランジュリーには足が向かなかった。

 ベルナールは城下に屋敷がある。そちらに移動してしまえば、今のように気軽には作業の手伝いもできなくなる。それがわかっていても、なんとなく気まずかったのだ。

 挨拶くらいはしなければ。そう頭の隅に引っかかっているのに、気付けば、行かなくていい理由を探している。北の森も、見習いは新体制になるまで出入り禁止を言い渡されたので、時間だけはあるはずなのに。


 「暇すぎるから、休憩」なんてレフィに追い出される。要らない気を回されていることは解っていたけれど、結局自分の部屋に戻ったエルチェは、ベッドの上に手紙が乗っているのを見つけた。

 実家からの手紙だろうかと訝しみながら裏返して見ても、差出人の名前はなかった。

 中には皆が寝静まった後の時間と、オレンジのバラの花びらが一枚。

 いたずらだとか、果たし合いの呼び出し状だとか、わざわざ自分を誤魔化して、早くなる脈を落ち着かせる。呼び出しに応じないのは卑怯だと、今度は都合よく利用を考えていることに気付くと、エルチェはそっと顔を覆った。


 指定の時間に、一応小さなナイフを忍ばせて、エルチェはオランジュリーへ向かった。まだ少し彼女に会うのは怖かったのだけれど、暗い中、彼女を一人で待たせるのも嫌だった。

 今夜は月が冴え冴えと照り付けていて、昼の熱気を冷ましているようだ。忍ぶには明るすぎる気もするけれど、夜の庭園はまた違った趣があるものだと、エルチェは初めて知った。

 オランジュリーの中は、昼と違う匂いがした。薔薇の花ともまた違う、甘い香り。


「……ローズ?」


 違うかもしれないと思っているのに、最初に出るのはその名前だった。しんと静まり返った温室内に、エルチェの声が吸い込まれていく。


「エルチェ? よかった。伝わったのね。こっちよ」


 奥の方から顔を覗かせて、ローズが手招きした。

 ドキドキと鼓動に合わせて足を動かして、誘われるままに奥へと向かう。途中、甘い匂いが強くなった。


「なんか、見たことない花が咲いてる?」

「そうなの。夜だけ咲く花がいくつかあって」


 温室のあちこちに咲く白い花は、天窓から届く月明かりに、ぽぅと淡く輝くようだった。


「このヨルガオは大輪だし、見ごたえがあるかなって。エルチェは花にはあんまり興味がないかもだけど……このくらいしか思いつかなくて」


 お仕着せではなく、部屋着の上にショールを羽織り、髪を下ろしたローズの視線の先には、ラッパ型の白い花がいくつか咲いて、甘い匂いを振りまいていた。


「綺麗でしょう? 白い花は月明かりに映えるよね」

「そう、だな」

「やっぱり花じゃ元気でない?」

「え?」


 苦笑するローズは、持っていた小さな巾着からクッキーを取り出すと、エルチェに差し出した。


「新しい仕事、決まったんでしょう? 大変そう? もう、気軽に手伝ってもらえないよね。最後かもしれないから、壮行会? 代わりね」


 じっとその手を見つめて、動かないエルチェにローズは首をかしげる。


「嫌いだった?」

「あ……いや、俺……俺、この前、人を、殺してきた、から」

「え!?」


 一瞬引かれた手から、エルチェは視線を逸らした。


「いや、かなあ、と……」

「だ、誰かに襲われた、とか……?」

「レフィが盗賊に」

「あぁ……」


 胸に手を当てて、安堵の息を吐いたローズに、そろそろとエルチェは視線を戻していく。


「なんだ。ちゃんと、エルチェの仕事をしたのね。びっくりした。それを気にしてたの? エルチェもレフィ様もケガはないのよね? もう。そんなこと言ったら、騎士はみんな人殺しじゃない。エルチェは優しいんだから……」


 えい、と笑いながら口にクッキーを押し付けられて、エルチェは反射的にその手首を掴んだ。ローズの笑顔とヨルガオの甘い匂いに少し酔ったようになって、彼女の手首を掴んだまま、小ぶりのクッキーを口に入れてしまう。エルチェの唇がローズの指先を掠めて、彼女は小さくそこを震わせると、赤くなった。

 引き寄せたい衝動に駆られる。

 それをどうにか抑えて、エルチェは彼女から一歩離れた。


「今夜はありがとう。ごめん。俺、変な気分になってる。戻るわ。おやすみ」


 人を刺した時よりもよっぽど獰猛な気分になって、エルチェは踵を返すと駆け出した。

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