第28話 たぶん愛

 ほどなくしてテオが戻ってきた。血相を変えたまま馬から降りて二人へと駆け寄ってくる。


「あの二人は、あなたたちが? お怪我は……!」


 エルチェの手と服に散る赤い色に、テオは青褪める。


「ない。縛っておいた奴は兄さんのとこに任せたのか?」

「生きていたのですか?!」


 テオの口ぶりにエルチェとレフィは顔を見合わせる。


「腹刺した方はわかんねえけど、縛った方は縛っただけだ。話聞くのかもと思って」

「二人とも事切れてました……レフィ様、詳しくお聞かせください」


 ザっと跪いて、テオは厳しい顔でレフィの話を聞いていた。


「……だいたいわかりました。安易にお傍を離れて、申し訳ありませんでした。エルチェ、君への礼と謝罪は後でする」

「縛った方はなんで死んだ? 別に、首が絞まるようなことはなかったはずだけど」


 レフィの疑問にテオは逡巡した。


「短剣で……咽喉を、貫かれておりました」


 レフィが眉を寄せる。


「縛られたまま? ……まだ、誰かいたんだな」

「そうなります。お二人が無事で、本当に良かった……」

「奥での笛は、陽動だった可能性もあるのか……まだそう遠くまで行ってないな。追うか?」

「いいえ。もうここで連絡係が来るのを待ちます。狼煙も上がっているので、ケガ人を運ぶ馬車が来るはずです。彼を引き渡したら、戻りましょう」


 苦い顔をしたまま立ち上がって、テオは深いため息をついた。



 *



 レフィのところで風呂を使わせてもらい、着替えも新しく用意してもらったエルチェは、着替えて出たところでテオに跪かれて大いに動揺した。


「ちょ……やめろよ。何してんだよ……」


 腕を引いて起こそうとすれば、その手に手を重ねて謝罪された。


「何もなかったから良かった。それでは済まない。君はまだ見習いで、佩剣も許されていないのに。これから従騎士として心構えを身に着けるはずで、もちろん、君はもうとっくに諸々の覚悟を決めているかもしれないけれど、だとしても、私の監視下でああいうことをさせてはいけなかった。身を危険に曝したことも重ねて謝罪する」

「難しいことはわかんねえから、いいんだよ」

「わからない者にそうさせてしまったのなら、余計悪い。君はこれまで、決してやり過ぎなかった。でも、このことが、君を蝕み、変えてしまうかも……」


 ぎゅっと力の入るテオの手に、エルチェは小さく息を吐いた。


「あー……あんまり、言いたくないんだけど。俺はさ、大層な覚悟を決めてるわけじゃなくて。妹や弟や仲の良い友達なんかが目の前にいたら、同じことするだろ? やめろって言われても、きっとする。でも、正直、他の誰かを主人と仰いでても、動けたかは判らない。から、テオが心配することはない、と思う。確かにちょっと、興奮? 動揺? してる部分もあるけど、後悔はしないし、ちゃんと折り合いつけて目指す位置を目指すよ」


 レフィに聞かれてやしないかと、ちらちら周囲を気にしながら小声で話すエルチェに、テオは強張っていた肩を落とした。


「それを頼もしいと言ってはいけない気がするけれど……」

「何でもいいって」


 さっと頬に朱を乗せたエルチェを見て、テオは立ち上がった。


「レフィ様は、ずいぶん心強いことでしょう」

「べつに、あいつがどう思おうが関係ない。余計なこと、言わないでくれよ?」

「……はい。いたらぬ先輩で申し訳ない。これからも、よろしく頼む」


 差し出された手を、エルチェはしっかりと握り返した。




 今日はもう休めと、いつもより早い時間に放免される。明日も体調が悪かったり、気分が優れなかったら休んでいいからと。

 エルチェは気を使われ過ぎて、逆に落ち着かなかった。身体の奥底に燻るものが、罪悪感なのか嫌悪感なのか、不安なのか高揚なのか、見分けがつかないのも確かで、テオが心配するのは、そういうもののことなのだろうけれど。

 一階に下りて中庭を突っ切りながら、エルチェは両手を見下ろし、初めて鶏の首を落とした時のことを思い出してみる。鶏肉が口にできなかったのは、ほんの二、三日だったなと苦笑した。


「エルチェ!」


 上から声がかかって、エルチェは顔を上げる。ベルナールが二階の回廊から手を振っていた。


「戻るとこか? ちょっと、待っててくれ。話が」


 言いながらも、彼は移動して行く。忙しそうだ。軽く敬礼を返せば、ベルナールは頷いて見えなくなった。

 さて、とエルチェは少し戸惑う。待つと言っても、どのくらいだろうか。所在なくうろうろして、最終的には噴水の縁に腰を落ち着けた。

 薄暗くなった廊下に灯を入れていく人物が、エルチェの傍にもランタンをかけて行く。ぼんやりと見送れば、また声をかけられた。


「エルチェ? こんなところで珍しいわね?」


 方向を変えて中庭に踏み入ってきたローズに何故かどきりとして、エルチェは立ち上がった。


「休憩?」

「いや……」


 小首を傾げるローズから視線を逸らす。


「ベルナールが、ちょっと待ってろって。そっちは、仕事終わったのか?」

「そうなんだ。じゃあ、座ってて? 私はもうひと仕事。繕い物頼まれちゃって」


 ローズは腕に抱えた布物を少し掲げて見せるけれど、エルチェの視線は戻らなかった。


「……どうしたの? 何かあった? あ。ずいぶん待ってるのね? 葉っぱが……」


 彼の肩に伸ばされた手から、反射的にエルチェは逃げた。ローズの手がピタリと止まる。


「エルチェ?」

「ごめん。今、俺、あんまり綺麗じゃない」

「え?」


 ほんのりと石鹸の香りがしているし、着ているものもいつもよりパリッと新しい気がするのに、とローズは訝し気に眉を寄せた。


「エルチェ、待たせたな」


 ベルナールの声に、エルチェは素早く身をひるがえす。


「ごめん。呼んでる」


 うん、とローズが頷いたのも、エルチェは見えていなかった。

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