第27話 これも愛
エルチェがオランジュリーでの昼食を再開させると、ローズも軽食を持ち込むことが多くなった。エルチェも従騎士になるから、九月からの生活ががらりと変わる、と、レフィに言われたらしい。せっかく仲良くなったのだから、残りの時間は女性的視点で作法をチェックしろ、と余計なことまで付け加えられていた。
据えられた大きなテーブルでは目立つから、もっぱら給湯室で行儀悪く立ち食いするので、食事の作法はさらえなかったけれど、挨拶や言葉遣い、手紙のマナーなどは先生に教えられるより素直に聞けたかもしれない。
それがなんとなく面白くなくて、エルチェはレフィの顔を見るたび小突いてやりたくなる。
「練習ね」と手紙を交換するようになって、時間を合わせたり作業の確認をするのは楽になった。ただ、これではただの業務連絡だと呆れられることも多い。
時候の挨拶など、みんな読み飛ばしてるじゃないか。
エルチェが言えば笑ってくれるが、レフィの代筆をするかもしれないのだから、覚えて損はないわと諭される。
先生の言葉のように右から左へと流せないのはどういうことなのかと、しばらくエルチェはレフィを恨むのだった。
*
一週間ほど過ぎたところで、作法の先生に褒められないまでも呆れた顔はされなくなった。レフィがにやにや笑うので、エルチェはとりあえず睨みつけておく。
もうルーティンになった北の森で、久しぶりに一勝負しかけてやるとエルチェは心に決めた。
「そういえば、九月までもう一週間くらいしかねーけど、俺、誰につくの?」
周りが上手くやるんだろうと放置していたけれど、さすがに心配になってテオに聞く。テオは珍しく慌てたのか、一瞬呼吸を止めた後むせ込んだ。
「いや……べつに、いいんだけどな」
「いえ……コホ。失礼した。エルチェには申し訳ないと思っているんだが、どうも二転三転しているようで。イアサント様の護衛騎士のうちの誰か、は確実なのだが……」
「誰になってもいいようにって、陰謀かと疑うな」
馬房から引いてきた馬に乗ってレフィを見下ろせば、レフィはにっこりと笑う。
「失礼だな。僕には決定権はないぞ。一週間で成長が見えるんだから、前からもっと真面目にやればいいのに」
「うるせーよ」
「今日はイアサント様も森に入っているはずだから、誰かに会ったら聞いておく」
「お願いします」
テオはひとつ頷いて、馬を駆るのだった。
森に入ると、どことなくいつもと空気が違った。
しばらく進んで、テオが眉を顰める。馬の足を止めてじっと耳を澄ませると、森の奥から笛の音が聞こえてきた。鋭く刺さるような音は火急を知らせる合図だ。
「少し、様子を見てきます。お二人はここで待機を……」
テオが言い終わらないうちに、視線の先の草むらから誰かが飛び出して行った。テオは反射的に剣を抜いて、誰かが飛び出した辺りまで駆け寄った。
「レフィ様! 一人倒れているので後を任せます! 動かせそうなら、森の入口まで戻っていてください!」
返事を待たずに、さっき飛び出した人物を追いかけていく。テオが吹いたらしい笛の音がすぐに聞こえた。
レフィとエルチェは草むらまで移動して馬を飛び降り、倒れている人物を確認する。一般の兵士の服装で大きな怪我は無いようだが、意識はなく、装備品はほとんど残っていなかった。
「盗賊、か?」
「かもね」
エルチェが背負って行くからと背を向けて屈む。レフィが慎重に抱え起こそうとして、人の気配に振り返った。
迫る二本の腕をとっさに避け、腕の一本を絡めとって自分の身体ごと背後に倒れこむ。途中で身体を捻って、襲撃者をサイドへと転がした。すぐに馬乗りになるようにして腕を捻り上げ、うめき声を上げる男の腰から短剣を取り上げてエルチェの方に放り投げる。
そこまでの流れるような動作に、襲撃者は苦痛に顔を歪めつつ、ぽかんとしていた。インテリ風の見かけに騙されて、金持ちのボンボンなど素手でもどうにかなると思ったに違いない。
「どうしようかな。面倒だから、手足折っておこうか」
ひっ、と男は青ざめた。ギリギリと軋む骨の音に掠れた悲鳴が重なる。
レフィが言うと脅しじゃないところが怖い。
「やめとけよ。喚かれるとうるさいだろ」
同情はしないけれど、自分たちに命じられたのは待機だ。あまり余計なことはしない方がいい。そう思って、エルチェは自分のベルトを一本外してレフィに渡そうとした。
視線をベルトに落としたその目の端に、黒っぽい塊が動く。
視線を戻しながら、もう身体は屈みこんでレフィが投げてよこした短剣を拾いに行っていた。肩越しに振り返ったレフィに短剣を振りかざした男が迫っている。
前屈みにした身体を蹴りだして勢いをつけ、叫ぶ。
「伏せとけ!!」
レフィの横ギリギリを抜け、エルチェは低くした身体ごと男にぶつかっていった。お互いの勢いで深く刺さった短剣を手を返して回転させる。短く悲鳴を上げた男の手から刃物は零れ落ちた。そのまま崩れ落ちる相手の身体に任せて短剣を横に引けば、パッと鮮やかな赤が散った。
腹を抱えてうずくまる男がまだ脅威になり得るのか、他の仲間はいないのか、暫くのあいだ警戒していたエルチェの背中に、レフィの呼びかけが届く。
「エルチェ……」
ちらと振り返れば、レフィは少し青ざめていた。
男の持っていた短剣を蹴り飛ばし、血の付いた短剣を遠くへ放り投げて、ベルトを外しながらレフィへと近寄っていく。
「なんだよ。怖かったか?」
「まさか。そうじゃない。……お前、人に真剣向けるの、初めてだろう?」
「それが?」
「あのタイミング、少し躊躇ってたらお前も刺されてた。よく……」
「武器を向けてくるのは、自分にも向けられる覚悟があるからだろ? 躊躇ってたらやられるのは道理だ。自分の仕事を全うできないのもごめんだし、みんな知らないかもだけど、俺は牛や豚の解体はやってるから肉を切る感触には慣れてんだよ」
「なる、ほど……?」
ベルトを受け取ったレフィは、それに気付いて、いつものように口の端を上げた。
「……手、震えてる」
「っるっせーよっっ!!」
小さく笑いながら組伏した男の手を縛り上げ、男自身の下衣を脱がせて足も拘束しておく。
ようやく倒れていた兵士をエルチェの背に乗せたレフィは、珍しく殊勝に「ありがとう」と礼を言った。
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