第23話 噂なんてものは

「レフィ! お前、何余計なこと言ってんだよ!!」


 乱暴に開け放たれたドアに、冷たい視線が投げられる。


「何の話?」

「ローズが俺をサボらせるって、なんだよ?」


 レフィは少し眉間に皺をよせてから、ああ、と呆れた顔をした。


「あれは、真偽不明の噂を聞いたから、ちょっと確かめただけで」

「噂? どんな?」

「『エルチェが惚れた女を脅して無理やりヤリまくってる』」


 ぽかんと口を開けて、エルチェは一瞬動きを止めた。


「……はぁぁぁぁぁぁ?!」

「まあ、そんなことはないと思ったけど。通ってるのは事実だったし」

「いや、待てよ。内容もだけど、そのままローズに聞いたわけじゃないよな!?」

「少しは遠回しにしたよ」


 オランジュリーを出る時のローズの慌てた様子を思い出して、エルチェは頭を抱えた。


「ねぇよねぇよねぇよ!! どこのどいつだ!? ってか、そんなんローズに失礼だろ! くっそ……レフィ、来いよ! 謝らねーと!」


 エルチェに腕を掴まれたレフィは小さく抵抗した。


「なんで僕も謝るのさ」

「憧れの人にそんな風に見られてたのかと思ったら、ショックだろ!」

「いや、どうとも見てないし。だいたい、エルチェが急にらしくない行動するからだろ? ローズとはずいぶん親しそうにしてるじゃないか」

「ん? 変わらないと、思うが。ローズは俺をあまり怖がらないから、そう見えるのか?」

「呼び捨てにしてるし」

「? 妹と同じ名前だから、つい」

「あー……いもうと……」


 眉間に指を当てて、レフィは深いため息をついた。


「いや、わかった。じゃあ、話をつけよう」

「お、おぅ?」


 謝るんじゃないのかと、少し不思議に思いつつも、エルチェは再びオランジュリーへと足を向けた。

 ローズは待っていたわけではないのだろうが、薔薇の花がらを摘む作業をしていて、二人の気配にゆっくりと振り返る。


「少し、いいだろうか。ようやく少し周りの見えたこのバカも交えて情報を整理したい」


 ローズは緊張した面持ちで、頷いた。


「二人の間には、男女の関係はない。これは変わってないと思うんだけど」

「ねぇって」

「エルチェが一方的に友人的なふるまいをしているわけでは?」

「友人、というほど親しくはないですが……作業の手伝いはよくしてもらってます」

「作業?」

「花壇の草抜きとか、土や肥料を運んだり、足したり」

「エルチェ、聞いてない」

「なんで休憩時間中の行動まで報告がいるんだよ」

「じゃあ、作業がメインで彼はここに通ってる?」


 ローズもエルチェも頷いた。


「昼休みや自由時間に終わるようにしてるし、そりゃ、この間はちょっと寝過ごしたけど、そう問題じゃないだろ?」

「問題だろ。突然女の元に通い始めたら、世間はそういう関係だと思う年頃じゃないか……!」

「勝手に思うなよ。ローズのところに通ってるわけじゃないぞ。オランジュリーに通ってるんだ」

「……それだ。花とエルチェが結びつかないんだよ。オレンジはまだなってないし、口実だと思うだろ。ここにきて何年になる? 最近まで近寄りもしなかったのに」

「身の振り方が宙ぶらりんになったから、実家の作業を思い出してたんだよ……」

「帰るつもりだったのか?」

「帰らされたら困るだろ」

「勝手に帰させるもんか。エルチェは僕のだ。だけど、突然女にうつつを抜かし始めました、なんて……あり得すぎて信じるだろ!」

「なんでだよ! そこは俺を信じろよ!! だいたい、お前、さっきと言ってることが」


 ぽかん、と口を挟めずにいたローズが、ぷっと吹き出した。小さく笑い続ける彼女に、レフィが冷静さを取り戻す。


「……違わない。エルチェはバカだけど無理やり人を従わせるタイプじゃない。でも、惚れたらたぶん一途だ。そういう可能性はなくはない」

「変だと思ったら本人に聞けよ……」

「人の色恋沙汰にクチバシ突っ込んでも碌なことはない」

「……お二人は、仲いいんですね。初めて話した時も思いましたけど……レフィ様のイメージが変わりました」


 レフィはしかめっ面をして、嫌そうにローズに目を向けた。


「仲良くない。イメージは変えなくていい。今回は僕も少し早計だった。その面で不快にさせたなら謝罪する」

「なんで謝ってるのに偉そうなんだよ……」


 レフィの目礼にうっすらと頬染めたローズは、エルチェのぼやきにまた小さく笑ったのだった。



 *



 噂は広範囲に広がっているわけではなかった。ローズとエルチェが会っている時間は長くなかったし、ローズがエルチェに怯えている様子もない。周囲がこっそりローズを心配すれば、彼女は否定した。

 それでも、と、レフィは嘆息する。

 エルチェは言いたい奴には言わせておけと、積極的に噂を否定する気もない。そういうからりとしたところは、彼のいいところでもあるけれど、今、騎士としての資質を疑われるのは歓迎されなかった。


「ともかく、祭は頑張ってくれよ。この後は北の森まで行くからな」


 気分を変えてオランジュリーで勉強会、的な空々しい雰囲気を出すために、レフィまで時々通うことになったので、彼の機嫌は悪い。

 会話を耳にしたローズが、ミントの葉を浮かべたお茶を差し出しながら首を傾げた。


「何かに参加するんですか?」

「騎乗試合の、前座にな。あれは飛び入りだから、うまく相手が見つかればいいけど」

「え? 前座って……一騎打ちの、あれ?」

「そうそう」

「怪我や、死ぬ人もいるって……」


 サッと青ざめたローズに、エルチェはにやりと笑った。


「心配なら、応援に来てくれよ。俺、ローズの前では負けたことねぇから。欲しい景品ある時以外はな」


 ぱちくりと瞬いたローズを見ながら、レフィは半眼でカップを傾けた。

 天然かよ、という呟きは、ミントの葉に隠されてレフィの胃の中へと落ちていった。

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