第21話 縁なんてものは
同室の青年に両手を合わせて拝まれたのは、鉢を運ぶ手伝いをしてから一週間ほど後のことだった。
午前中で終わるはずの仕事が、午後まで延長になったらしい。昼食の時に捕まって、午後は別の予定があるからと拝み倒されたのだ。エルチェはレフィの従者ではあるが、レフィに午後からの予定が無ければ意外と自由が利く。エルチェの出自を知る者は皆、頼みやすいとみえて、城内での雑用に時間を割くこともままあった。
「高いぞ」
なんて冗談を言って引き受けてやる。テオとレフィにその旨を告げに行ってから作業場所に向かった。
実は、その作業に少し興味があったから、エルチェの足は軽かった。
オランジュリーの前では大勢の人が鉢を抱えて動き回っている。責任者が誰か聞いて、交代してきたことを告げれば、入り口でオレンジの鉢を受け取って庭のあちこちに配置するように言われた。
鉢を渡す係の中に、先週手伝った女性の姿があって、少し驚いた顔をされる。エルチェは素知らぬ顔で、しばらく黙って作業を続けた。
「もういいぞ」と解散の声がかかってから、オランジュリーの中を覗いて彼女を探す。オレンジの鉢が無くなってがらんとした温室内で、バラの咲く一角に彼女はいた。汗をふきふき出て行く人の波に逆らうようにして、エルチェは彼女へと近づいた。
「何してるんだ?」
「花がらを摘んで……え? きゃぁ!」
腰をかがめていた彼女が首を捻り上げるようにして振り返ったので、それを覗き込むようにしていたエルチェに彼女は驚いた。拍子によろけて薔薇の茂みに突っ込みそうになる。
「おっと。悪い。すぐ
女性の腕を掴んで支えると、エルチェは反対の手でバツが悪そうに頭を掻いた。
「あっ。いえ……ごめんなさい。私こそ、驚いたりなんかして……」
言いながら、その視線は周囲を確認していた。
「ああ、すまん。今日はレフィはいない。別口で頼まれたものだから」
「えっ……いえ、あの……そ、そういう、つもりじゃ……」
カッと赤らんだ顔から、一瞬期待したのだろうということが窺えて、エルチェはニヤニヤしながら彼女の腕を放した。そういう反応をする女性は多いし、気の強そうな女性だと「今日はいないのか」と直接エルチェに食ってかかる。みんな自分がレフィとどうにかなるとは思っていないので、見るだけが楽しみなのだとさんざん聞かされていた。
彼女は気まずさを振り払うように、エルチェに向き直る。
「……それで、何か?」
「まだ作業があるなら、少し手伝わせてほしくて」
彼女は訝し気に首を傾げた。
「これから少し肥料を足す作業はありますけど……レフィ様の
「俺はまだ
「え?!」
「みんなよく勘違いしてくれる」
肩をすくめるエルチェを彼女はぽかんと見つめていた。
「経緯が特殊だから、色々あってさ。どうなるのかよくわかんねーんだ。もしかしたら実家に戻るかもだし、なんて考えてたら久々に土を触りたくなって。花はわかんねぇけど、実のなるものなら近いかなと」
「え? え……? ご、実家?」
「そんな大層なとこじゃねえって。農家だよ。麦とか芋とか家で食う野菜も少し作ってた」
目を見開いて、彼女はポン、と手を打った。
「『摘果』なんて言葉、よく知ってるなって!」
「そっちこそ、どこかのお嬢さんだろ? この仕事長いのか?」
「え? えーと……我が家は、名ばかりで貧乏だから。敷地内の庭でこっそり家庭菜園作ってるような……そのスキルを見込まれて、と、いうか……いつのまにかここの担当に……」
女性は重ねた手をそっと握りこんだ。
「じゃあ、安心だな。肥料は? 油かすか?」
「え? あ、そう。厨房からもらったのが、あっちの袋に」
「りょーかい」
腕まくりをして指差された方に向かうエルチェの背中に、女性は思わず呼び掛ける。
「エルチェ、さん!」
彼が振り向いても、彼女は何を言うべきなのか思いつかなかった。沈黙が流れる中、エルチェが小さく眉を寄せる。ああ、何か言わなきゃと焦る彼女に、先にエルチェが口を開いた。
「エルチェでいいって。そういえば、あんた、名前は?」
女性は少しためらって、それからちらりと横を向いた。
「ローズ……」
ぷっとエルチェが吹き出したので、女性は目を吊り上げてエルチェを睨みつけた。
「ど、どうせ似合いませんよ! 名前に似合わず、お前は地味で、薔薇じゃなく土の匂いがするって……」
「ごめん。違う。うちの妹と、同じ名前。考えたら、背丈も今、同じくらいだ。どうりで、親近感。鉢持ってよろける姿、デジャヴだったんだよな!」
「え……えぇ……?」
くっくっ、と笑いながら油かすの入った袋を持ってきて、エルチェは少し屈みこみながら唐突に彼女の首筋に顔を寄せた。ローズの身体が驚いて強張る。すんっと息を吸う音がして、エルチェはすぐに離れていった。
「薔薇でもミルクでもねえけど、いい匂いしかしねぇ。そいつ、鼻悪いんじゃね?」
声も出ず、顔を紅潮させたローズに、エルチェは少し不思議そうに首を傾げた。
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