Rival

第19話 思春期なんてものは

 手のひらから血を流しながら、レフィに殴られている姿を見て、アランは血相を変えて止めに入った。一瞬、エルチェが解雇されることも頭をよぎったらしい。あまりにばかばかしい理由なので、二人とも多くは語らず、怪我もオレンジを剥こうとして間違って切った、ということになった。

 数日もすれば傷も塞がり、秋が来ると、アランはベルナールの下につくことになってレフィの護衛を離れた。新しく配置されたのは三十手前くらいの真面目な男で、名はテオフィルと言ったが、周囲には「テオ」と呼ばれていた。栗色の髪に明るい茶の瞳。静かに諭すような語り口に、エルチェは少しずつ体裁の取り繕い方を学ばされていくのだった。



 *



 先生の元へ通わなくなって、二年。レフィも少しおとなしくなった。少なくとも、傍目には。

 もう子供だからと目こぼされる年齢ではなくなってきたこともあるし、テオを見定めるためだったのかもしれない。エルチェにしてみれば、レフィはわざと子供っぽくふるまっていた気もするから、特に何も思わなかったけれど。

 黙っていれば美少年だったレフィは、眼鏡をかける時間も増え、インテリの雰囲気が増していた。図書館などに行くと、女性の視線を一身に集めている。本人が素っ気ないのと、エルチェがだいたい傍にいるので、そこで声をかけてくるような気丈な人物は少なかったけれど。


「あの……これ……」


 街で巡回中に時々こうして袖を引かれることがある。レフィは横目で見てさっさと先に行ってしまうのだが、顔も上げられずに手紙を差し出すお嬢さん方のターゲットはレフィだ。

 彼が辺境伯次男(実際は三男だが)だと知っている者も、知らない者も、遠慮なく近づけるこの機会を狙っているらしい。エルチェは小さく息をついて、もう言い慣れた断り文句を口にする。


「仕事中だ。受け取れない」


 もちろん、体のいい言い訳だ。巡回中に堂々と買い物したりもする。だから、断る方も断られる方も、裏のニュアンスはちゃんと解っているのだ。

 中に数人、レフィではなくエルチェにと差し出されたこともあったのだけれど、ことごとくがレフィに近づくための口実だったために、それが誰に宛てたものだろうと聞く前に断ることにしていた。

 涙ぐんで走り去る背中に罪悪感が湧かないわけではない。


「久しぶりだったな」


 エルチェがレフィに追いつけば、彼は素っ気なく言う。


「……自分で断れよ。なんで俺が罪悪感感じなきゃなんねーんだよ」

「手紙はお前に差し出されるんじゃないか。断りようがないだろ」


 エルチェは一度だけ、レフィが正面から断っているのを見たことがある。差し出された手紙の前に手のひらを突き立て、「申し訳ないが、貴女に全く興味が湧かない」そう一刀両断にしていた。見ていたエルチェが胃を押さえたほどだ。だから、自分で断る時も、レフィは罪悪感など抱かないのかもしれない。

 容姿の好みをレフィの口から聞いたことはない。エルチェがわずかにある好みの優劣を語る時も、鼻で笑われるだけ。一皮むけば、そう変わりない、と。じゃあ、どんな人がいいのか聞けば、首を傾げてしばらく考えていたが、「馬鹿じゃないヤツ」と答えられたので、うっかり手が出て、そこからひと汗かくことになってしまった。

 そんなことを繰り返しているから、レフィは下手な兵士よりよっぽど強い。兄を騎士になって支えるというのも、口だけではないのだ。


「親戚のお嬢さんだかはどうなった?」

「どれかな? まあ、みんなつまらない子だったから、親に個人的にはもう会わないって断った。変に期待持たせるのも嫌だし。そのうちサロンや舞踏会にでも行けば、嫌でも顔合わせるし」


 レフィなら、黙っていても縁談は降ってくるに違いない。それで、適当にくじでも引くのだろう。エルチェは会ったこともないその親御さんと、いつかの未来の花嫁に、心の中で「ご愁傷様」と手を合わせた。




 マラブル卿との一件以来、レフィの周囲は静かだった。妙な圧力をかけられることもないし、レフィの兄への不穏な噂も、エルチェの異動の話も消えた。そのかわり、レフィをイアサントの従騎士に、という話がとうとう決まったようだ。次の秋には任につくだろう。自由にできるのも、もう半年切っている。

 エルチェはといえば、少々持て余されていた。実力的には申し分ないので手元に欲しいという人もちらほらいるらしい。が、レフィが手放す気がないし、本人も上へという欲はない。年齢的には叙任されてもおかしくないが、それでレフィの騎士としてしまうのは不都合が多かった。


 大人たちが勝手に悩むのをのんきに眺めて、二人はこれから来る最後の自由な夏を楽しむつもりでいる。

 巡回から戻って、厨房でつまむ物をくすねてから、乗馬の練習を兼ねて競争しようと厩舎に向かう途中だった。勝手口の方から、女性がよろよろと花の咲いた木の鉢を抱えてくる。前が見えづらいのか、首を傾けて覗き込むようにしているけど、足元は見えていないに違いない。作業途中のシャベルが転がっている方へ進んでいくので、エルチェは軽く駆け寄って鉢に手をかけた。


「貸せよ。足元、あぶねーぞ」

「えっ。あっ。ありっ……!!」


 女性はエルチェを見上げて声を引っ込め、やれやれという顔で近づいてきたレフィを見て硬直してしまった。


「これひとつか? どこに運ぶんだ?」

「ま、まだ、あの、手押し車に乗せて……えと、」

「レフィも手伝えよ。すぐ終わるだろ」

「あ、あの! レフィ、様、にお手伝い、なんて!!」


 青くなって手をぶんぶん振る女性を見て、レフィはエルチェに笑い顔を向けた。


「だって。エルチェ、頑張って」

「ぶっとばすぞ」


 鉢を手押し車に乗せて、転がっていたシャベルをどかし、エルチェはレフィの腕をとって勝手口の方へ向かう。


「こっちか?」

「エルチェ、他人の仕事をとるのは良くないと思うな」

「ひとつならまだしも、女一人でやるにはちょっと、だぞ。他のやつはいないのか?」

「えっと……急用で、それで……」


 エルチェがずんずん行くので、女性も慌てて後を追ってきた。勝手口の横に土か肥料の袋が四つと、鉢植えが四つ置かれている。さすがにそれを見て、レフィも口を閉じて袖をまくり上げた。

 袋をひとつ女性に任せて、残りはエルチェが抱える。レフィには鉢をひとつ持たせて、二往復で終わらせた。が、手押し車を押す女性のへっぴり腰に、エルチェが切れ気味に横から手を出したので、レフィはこれ見よがしな溜息をついた。

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