Complice

第12話 慣れってこわい

 あっという間に年末が来て、エルチェも休暇をもらった。

 レフィは「エルチェと行こうかな」なんて言ったけど、もちろん許されるはずもなかった。クリスマスノエルは家族で過ごすものだし、エルチェの家で充分にもてなせるわけがない。

 それに。

 エルチェは家に戻っても、ゆっくりできるとは思っていなかった。疲れに帰るようなものだ。


 家族へのお土産を買って、古着屋で手に入れた服を着て帰る。見慣れた町のはずなのに、その土を踏んでももう他人行儀な感じがした。

 家族の中にいればそれも薄れるのだけれど、荷物持ちに駆り出された先で路地裏組の少し拗ねたような視線を感じると、そっと空を仰ぎたくなる。

 年が明け、朝一番で母親が焼いたガレット・デ・ロ *を口にして、変わらぬ味と、そら豆が入ってことにホッとしてしまったのには、エルチェ自身も苦笑してしまった。

 どこまでも従者気質だ。


 母の編んだ帽子を被って、弟妹達に別れを告げ、エルチェはまた壁の中へと戻っていく。

 ガレット・デ・ロワは兵士や使用人の間でも盛り上がりを見せていた。何度か巻き込まれ、エルチェも雑用を押し付けられたりした。

 そうやって浮かれた雰囲気は一週間もすればさっぱりと無くなり、また訓練と勉強と、時々変態画家のモデル。そんな生活がエルチェの当たり前になって、一年と半年が過ぎていった。



 *



 春に十四になったエルチェは、また大きくなっていた。まだアランに追いつかないものの、時々顎周りに髭が顔を出す。つまんで抜いてしまおうとするのだが、上手く掴めずに放置していることも多かった。

 目つきの悪さは健在で、最近は女性どころか気の弱い従僕なども寄ってこない。

 剣の腕も上がってきたので、もう気軽には喧嘩を売られなくなっていた。


 対してレフィは背は伸ばしたものの、相変わらず涼やかな見目を保っていた。体質もあるのだろうけれど、画家の理想のモデル像を壊さないようにしているのか、兄への謀反を疑われないためか、レフィならそんなことも考えてるような気がする、とエルチェは思っていた。

 最近は視力の悪さも進行したのか、主従して目つきが悪いなどと揶揄されもする。レフィにエルチェの口の悪さがうつってきたこともあって、ベルナールにはちくちくと嫌味も言われていた。


 初夏だというのにもう本格的な暑さで、額から流れる汗が目に入ったエルチェは、一瞬目をつぶった隙に練習用の剣を叩き落された。

 普通に対峙すれば力押しでエルチェが勝てるのだが、少し気が逸れるとレフィにつけ入られる。すばしっこさと、ここぞというタイミングを逃さないところは、レフィに敵わなかった。

 ふふんと満足そうに笑うレフィに舌打ちを浴びせて、エルチェは肩で汗を拭った。


「……あちぃ……!」

「続きは夕方にしようか。先生のとこでレモネードでも飲んでくる?」

「いいな。ちょっと、水被ってから」


 先生の教室は北向きになっていて、少し涼しいのだ。

 中庭の井戸から水を汲み上げ、手桶でざっと頭をすすぐ。レフィは黙って見ていたが、同じように動いたのに涼しい顔でいるのが癪に障ったので、エルチェはもう一杯すくった水をレフィにかけてやった。

 涼し気なアイスブルーの瞳が苛立ちにさらに冷えた。もう一本あった手桶を引っ掴むと、桶からかき出すようにしてエルチェにかける。

 にやりと笑ったエルチェがさらに応戦して……結局最後はレフィが桶ごと持ち上げてエルチェの頭にひっくり返した。

 ベルナールに呼ばれて席を外していたアランが戻ってきて呆れている。


「何やってるんですか。いつ剣から手桶に持ち替えたんです? 暑いといったって、すぐ冷えてきますよ」


 半袖シャツの裾を絞りながら、エルチェは辺りを見渡した。建物の中や少し遠巻きにこちらを見ている者たちがいる。


「レフィに水かけるやつっていなかったの?」

「いませんよ」

「負けず嫌いだってバレたな」

「エルチェが命知らずだと改めて皆に刻まれただけですよ」

「バカなんでな」


 肩をすくめれば、レフィが鼻で笑った。

 そのまま髪を後ろに撫でつけて、踵を返す。


「じゃあ、バカ、巡回してこよう」

「レフィ様、そのまま行かれるのですか?」

「僕はすぐ乾くし、バカは風邪ひかないだろ」

「くっそ腹立つな」

「そっちが仕掛けたんじゃないか」

「暑いのが悪いんだよ」


 レフィを追いかけるようにしてついていくエルチェの背中に、アランが声をかける。


街中まちなかで喧嘩しないでくださいよ!」


 エルチェがひらひらと手を振って応えれば、アランは小さくため息をついた。

 最近は市街地を巡回を兼ねて二人で行動することも多くなった。巡回といっても、騎士見習いが出来るのは、異常を感じたら近くの兵士に報告するだけだし、手は出せない。必ず複数人行動で帯剣も認められておらず、小さなナイフくらいしか手持ちはなかった。

 訓練の一環なので城を出る口実にはもってこいだが、見習いが行ける巡回コースは決まっているので(目が届きやすいのだろう)あまり勝手は出来ない。何かあっても、兵士が飛んでこられるのだ。

 ごろつきのひとりやふたりなら、エルチェも負ける気はしていなかったが。


 先生の教室に押しかければ、珍しくアルコールの匂いがしていた。少々警戒したものの、淀んでいた目もレフィを見て光を取り戻したし、スケッチブックに向かえばもういつもの先生だった。

 脱ぎ慣れたレフィの湿った服を拾い集めて教室の隅に干してから、エルチェはついでに自分のシャツも脱いで干した。元々エルチェには興味が薄い先生だったけれど、たまに添え物のようにポーズを求められる。必ず上半身を脱ぐように言われるので、すっかりエルチェも慣れてしまっていた。動かないでいる時に使う筋肉はまた違うのか、体幹も鍛えられている気がするのが不思議だった。

 先生かレフィか、声をかけられるまで適当に座り込んで眠っている。それがエルチェの「いつも」。ひかれたカーテンを揺らす風が心地よかった。




「あれ? 先生、今日はないの?」


 いつもの場所に手を突っ込んだレフィが訝しげに振り返った。


「ああ……すまん。そうだった。次にまとめて……」

「『次に』は、なしって言ってるじゃない。じゃあ、久々に没収!」

「ああああああああ」


 レフィは、スケッチブックから先ほどまで描いていたデッサンを無情にも引き剥がしていく。床に崩れ落ちてエルチェに殴られた頬を抑えている様子は、酒乱の夫に隠していたお金を持っていかれる、故郷の三軒向こうのおばさんを思い出させた。

 くるくると巻いた紙をレフィはエルチェに手渡して、「レモネードごちそうさま」と、意地悪く笑った。



====================


* ガレット・デ・ロワ

 新年に食べるパイ生地のお菓子。フェーヴと呼ばれる陶器の人形や、そら豆などが切り分けたピースに入っていると、その日一日“王様”になれる。エルチェの家では子供たちの激しい争奪戦が繰り返されていた……のかもしれない。

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