第11話 凡人じゃないよ

 布に明かりが透けて、レフィの身体のラインを浮き立たせていた。少年らしく小柄で細身だけれど、思ったよりもバランスよくつく筋肉で均整が取れている。ライトアップのおかげもあるのだろうか。エルチェでも一瞬見惚れてしまいそうになった。


「エルチェ」


 再度呼ばれてハッとする。なんとなく気まずくて、エルチェはレフィから視線を外し、画家を窺った。画家は立ったままスケッチブックを抱えて、手元とレフィを交互に見やっている。


「絵を習うんじゃなかったのかよ」

「僕が習うとは言ってない気がするけど。まあ、バレたらまずいのは解ってるからエルチェも黙っててよ。ここでの君の仕事は、部屋の温度を下げないことと、彼の集中が極まって僕に触れそうになったら殴って正気に戻すこと」

「正……大丈夫なのかよ。そういうの初めてじゃないってことだよな? 今までどうしてたんだよ」


 部屋の温度を下げるなと言われたので、エルチェは暖炉に薪を追加するために移動した。レフィはそのエルチェの姿を目で追って、口元に笑みを作る。


「レフィ君、そのまま」


 ピタリと少し無理な体勢で動きと表情を止めて、画家の声に従うレフィ。それでも口は止めなかった。


「僕が殴ってたね」

「じゃあ、自分で殴ればいいだろ。その方が早い」

「僕が殴ると喜ぶんだよ。嫌じゃないか」


 薪を手にしたまま、エルチェはレフィを振り返る。


「何でそんな変態のモデルやってるんだよ!?」

「僕の価値にお金を払ってくれるからだよ? 君のバイトとそう違いはないと思うけど」

「だいぶ違う!」

「集中しすぎてちょっと正気を失う瞬間があるけど、対処できないほどじゃないし、普段は卑屈なくらいの人間だ。才能を引っ張り出す代償としては軽い方だと思ってるよ。僕が通うことで他の子供たちに手を出したりしてないし、まあ、もう何年かしか保たないだろうけど」


 声のトーンも落とさないレフィに若干不安になって、エルチェは薪を放り込みながら身体を傾けて画家を覗き見る。彼は一心不乱に鉛筆を走らせていた。


「ああなると何も聞こえてない。エルチェ、そのくらいでいいんじゃない?」


 レフィの言葉に手を止める。

 自分とは無縁だった芸術とか倒錯の雰囲気に、エルチェは知らず飲まれていたようだ。平静を保っていたつもりだったけれど、体温が上がっているのが火の傍にいた熱さのせいだけとは思えなくなっていた。


「ああ、くそっ」


 首筋を流れた汗の感触に悪態をついて気を取り直し、セーターを脱いでシャツ一枚になる。


「長くても小一時間くらいだから、適当にしてていいよ。その辺にクレヨンとかあった気がするから、落書きでもする?」

「しねぇ」


 エルチェに絵心などあるはずもない。

 所在なく、あちこちに無造作に置かれている子供たちの描いた絵を眺めていたエルチェは、しばらくして小さく唸る声に画家を振り返った。様子を見ながらレフィの傍による。

 いつの間にか手を止めていた画家が、つとエルチェに視線を向けた。


「レフィ君、、君の友達?」

「そんなもんです」


 「ふむ」とか言いながら、画家はエルチェに手招きした。戸惑うエルチェに、レフィは笑いを滲ませる。


「会話が成立するうちは大丈夫」


 エルチェが画家の前まで行けば、彼はじろじろとエルチェを眺めまわして、不意にシャツをめくり上げた。わずかに輝いた瞳に思わずこぶしを握ったエルチェだったけれど、画家はくるりと背を向けて何かを探し始めた。なんだかわからないガラクタの山の中から木剣を探り当てると、満面の笑顔でそれをエルチェに押し付ける。


「シャツ脱いで、これを構えて」

「……は?」

「レフィ君の前で。はやく」


 吹き出したレフィを画家はきつく睨みつけた。


「動かない!」

「はぁい」


 イライラと顎で示されて、エルチェは仕方なく従った。シャツを脱ぎ、画家に向かって構えるけど、彼は首を傾げて「ちがう」というだけ。振りかぶったり、振り下ろしたり、いくつか構えてみたものの、画家はどれにも頷かなかった。


「レフィ君を向いてみようか」


 従えば、にやにや笑うレフィの顔が目に入った。

 エルチェは思わずその顔の横に剣を突き付ける。


「それ!!」


 ビクッと全身が震えた。


「もう一歩近づいて、そう、そのまま」


 しばらくは良かったけれど、五分もすればエルチェの腕が震えてきた。画家からは「動かないで!」と容赦なく喝が飛んでくる。背中を向けているのに、線を引く鉛筆の音と注がれる視線を感じて、どんどん身体が強張っていく。

 どのくらいそうしていただろうか。ある瞬間に、ふと全てのしがらみがほどけた。大きく息を吸い込んだエルチェに、レフィもゆっくりと首を回しながら声をかける。


「終わりだね」


 薄布を取り外し、アイスブルーが正面を向く。

 エルチェが振り返れば、画家が恍惚とした表情のまま手を差し伸べて、ゆっくりとレフィへと近づいていった。

 エルチェは軽く肩を回す。そんなに長い時間ではなかったのに、体のあちこちがバキバキいっていた。


「ほんとに殴って大丈夫なんだよな?」

「手加減はしてよ。才能まで吹き飛ばしたくない」


 めんどくせえな、と、エルチェは握ったこぶしを開いて、画家とレフィの間に身体を滑り込ませ、その頬を張った。

 小気味いい音が響いて、画家は床に倒れ込む。

 その横にレフィが飛び降りて、さっさと着替えを始めた。

 画家はひとつふたつ頭を振って、にへら、と笑う。


「あ~……終わり、かい?」

「うん。また来るよ。じゃあね」

「じゃあね」


 画家は座り込んだまま片手をあげ、レフィは教室の隅にあった机のひとつから銀貨を数枚取り出して手を振った。


「古着の分くらいにはなったかもね」


 エルチェの分だと言わんばかりに指先でコインを振って見せて、銀色はレフィの懐に消えていった。

 これで領主にも請求を回す気なのだとしたら、ずいぶんあくどくないか?

 声に出さなかったエルチェの感想だったけれど、後日あの画家が描いたものだという絵を城で見せてもらって、彼はレフィの言った画家の才能を思い知ることになった。


 天使が、悪魔に追われ泣いている美しい少年に手を伸ばしている。

 その顔は慈愛にあふれ、少年も天使に手を伸ばそうとしている。

 けれど、天使の真っ白な羽の陰に真っ黒な蝙蝠のような羽が隠れているのだ。

 エルチェはその天使がレフィだと疑わなかった。

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