第10話 正気じゃないよ

 農村部と違って、城の周辺は建物と人しかいない感じだった。城に近いほど、高級そうな店が並び、人の歩みもゆったりしていた。道を一つ越えるたびに気安さが増し、城から遠い場所ほど治安が悪い。街の外側にも高い壁が立っていて、強固な城郭都市を形成していた。

 さらにその壁の向こうに農村部が広がっている。エルチェの育った町も、馬車で数時間の距離にあった。


 子供の走り回る姿が増えて、人々の服装も堅さが取れてきた辺りで、レフィは「ここだよ」と店に入って行った。

 アランが慌てたように後に続いたけれど、周囲を見たって付き人にドアを開けてもらうような人はいない。下手に気を使うと逆に浮いてしまいそうだった。

 エルチェがそっと中に入った時には、すでにレフィが両手に服を持っていて駆け寄ってくる。服を押し付けられ、ペラペラのコートを引っ剥がされて、着てみろと急かされた。サイズを把握してしまえば、あとはエルチェの好みなどお構いなしに決まっていった。


「レフィ、くん、楽しそうだね」


 外では『様』は禁止と言われているので、ややぎこちなくアランが呟く。

 確かに、お出かけに浮き立つ子供のようにはしゃいでいるように見える。


「何が楽しいんだろうな」

「エルチェは選ばなくていいのかい?」

「女物でも持ってこない限りは任せておくよ。レフィの方が無難に選ぶだろ」


 毛織物のコートにマフラーに手袋まで。帽子は手紙で母親に頼んであったので戻しておいた。支払いを済ませた一式は試着室で着替えさせられる。まだ大きくなることを見込んでか、袖や裾が長かった。エルチェは折り返して整えながら、狭い中で軽く腕を回したり、屈伸してみたりして、違和感がないか確かめる。

 外でエルチェを待ち受けたレフィは、抱えた包みをエルチェに押し付けて「じゃあ、次」と歩き始めた。


「レフィ、これは?」

「もう一揃え。同じのじゃ痛むのも早いから」

「俺、給料そんなにねぇぞ」

「従者に情けない格好させておけないだろ。必要経費だよ。あとで請求回しておくから心配ご無用」


 領主に回す気じゃないだろうな?

 喉元まで出た質問は、アランと二人、視線を合わせて飲み込んだのだった。



 *



 一休みできるカフェや市の出る通り、噴水広場から公園へと至るまでをそぞろ歩く。表通りから建物の間にある路地に目を向けると、何人か子供が駆けていくのが見えた。こういうところにも、路地裏組のような子供たちがいるのかもしれない。


「気になる?」

「まあ、どこに続いてるのか、とか」

「細かい地図はないんだよな。後でどこを歩いたのか地図で照らし合わせてあげるよ」


 土地勘が無いのは逃げるにも追うにも不利だ。アランの申し出をエルチェは素直にありがたいと思った。


「今日のところは路地には入らないよ。雰囲気と大雑把な位置だけ覚えてよ。この辺はよく来るから」

「そうなのか? 何しに」


 足取りも軽いレフィはふふん、と軽く笑って何も答えずにまた前を向いた。

 それから少し城の方に戻ったところにある画材屋の前でレフィは足を止めた。色々な大きさの額縁が乱雑に並んでいる奥にキャンバスやパレットや筆が見える。が、レフィは店ではなく、二階を見上げていた。

 しばらく目を細めていたけれど、やがて足元の小石を拾って投げつけた。何の反応も、と思ったところでのっそりと誰かが覗く。レフィが笑って手を振ると、窓から覗いていた人物が慌てて引っ込んでいった。


「彼、割と有名な画家でね。城にも出入りしてるんだけど、子供に絵を教えてくれるんだ。ただ――彼、大人の男の人は怖いって教室に上げてくれないんだよね。アラン、悪いけど一時間くらい暇つぶしててくれない? エルチェは連れてくからさ」

「え? 暇? そんな。離れるなど……」

「じゃあ、ここで待っててくれてもいいけど。エルチェが役に立たなかったら呼ぶよ」


 二階へと続く外階段の下を指して、レフィは肩をすくめた。

 アランは真面目に頷いて、立哨さながらにビシッと背筋を伸ばす。


「いや。目立つから。いてもいいけど、怪しまれないでね?」

「え? えぇと……」


 アランが困惑しているうちに、二階からがやがやと子供たちが降りてきた。ちょっと文句を言っているのは、突然追い出されたかららしい。一番最後に小柄で痩せた男が顔を出した。

 癖のある長い髪を後ろで一つに纏めていて、ガウンのような服には、いろんな色が染みついている。猫背でエルチェと同じくらいの背丈なので、確かに少し大きな大人に見下ろされるのは怖いのかもしれなかった。


「レフィ君!! 久しぶりじゃないか」

「先生、お久しぶりです。一時間くらいなんですけど、どうでしょう」

「もちろん、大丈夫さ。ささ、上がって……」


 言い淀んで、彼はエルチェとアランにおどおどと視線をさ迷わせた。


「エルチェはまだ十二だし、アランはここで待つって言うから、いいでしょ?」

「じゅう、に?」


 おどおどしていた瞳は、そう聞くと急にぴたりと焦点を結んで、灰緑色の瞳でじっとエルチェを観察し始めた。


「……うん。うん。大丈夫、だ。じゃあ、早く」


 くるりと踵を返して、部屋へと戻っていく。その姿を見送っていたアランが、あの様子ならレフィにも敵わないと踏んだのか、エルチェの背をぽん、と叩いて「よろしく」と言った。

 画家はドアのところで待っていて、二人が部屋の中へ上がり込むと鍵をかけた。エルチェが振り返って眉を顰める。


「大丈夫だよ。いつものことだから。先生、絵は本当に素晴らしいんだよ」


 レフィがそんなことを言っている間に、画家はカーテンを全て引いていった。教室の机を寄せ集め、大きな一枚布をそこに被せる。次には隅にあったランプを衝立にかけて、ムードある照明に仕立てていった。


「いいぞ」


 画家の一言で、レフィは自分の服に手をかけた。

 上着、シャツ、下衣……下着と靴まで脱ぎ去って、衝立にかけられていた紗の薄布を手に、まるで小さな舞台となった机の上へと登っていく。

 呆気に取られているエルチェを見て、レフィは薄衣を纏うようにしながら微笑んだ。


「エルチェ、お願いがあるんだけど」

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