第8話 言わないよ

「あの時は人手が足りなくて本当に大変でした。誰かの熱が下がってやれやれと思えば違う者が倒れ、廊下を走り回っても注意をする者もいませんでした。ほぼ同時に熱を出されたエーリク様とレフィ様でしたが、レフィ様は五日ほどで熱も下がり始めましたので、それほど心配はありませんでした。問題はエーリク様です。熱が引かず、呼吸音もどんどん苦しそうになっていきました」

「当時まだ見習いだった僕もあちこち走り回った記憶があります。しまいにはお医者様も熱を出してしまったり、薬が足りなくなったり……」

「じゃあ、その病でエーリク様は?」


 エルチェの質問に一拍間を開けてから、ベルナールは頷いた。


「おそらく。肺炎を起こしていましたから……ただ、エーリク様が息を引き取ったのをしばらく誰も気付かなかったのです」


 小さく眉を寄せたエルチェに、レフィが小首を傾げながら付け足す。


「静かな朝だったよ。誰もいなくて、すっかり熱が下がった僕は人を探しに部屋を出たんだ。エーリク兄さんの部屋には常に誰かいたから、自然と足が向いた。兄さんのベッドにはダニエルが突っ伏していてね」

「君たちを害そうとした彼だよ」

「彼に声をかけて揺り起こした時には、すでに兄さんの息はなかったようだった」

「前日の夕方からイアサント様と周囲のものたちも熱を出していて、レフィ様が眠ってからは皆、そちらの応援に駆り出されたんだ。エーリク様からは目を離せなかったから、交代で誰かひとり必ずついていたんだが……」


 ふとした気のゆるみ、あるいは、蓄積した疲労からの偶発的な……容体が急変してあっという間に、なんてことは確かによくある。

 エルチェのいた町でも育たない子供は何人も、と沈痛な面持ちで視線を下げようとして、エルチェは違和感に首を傾げた。


「なんでそいつがレフィ……さま、を襲う?」


 国境警備に飛ばされたのだとしても、自分の失態だ。ただ自分を起こしただけの子供を、しかも、そうだ、四年も経ってから? そんな気があるのなら、誰の目もないその場でどうにかしているはずではないのか。

 エルチェの疑問にベルナールは小さく頷いて、そこです、と吐息とともに吐き出した。それから、少し厳しい目でレフィを睨む。


「ダニエルは戻ってきてレフィ様の護衛につく予定だったのです。レフィ様が少々渋っていて……かと思ったら、突然一般の、それも、なるべく年の近い子供を雇いたい、と」


 レフィはエルチェと目が合うと、にっこりと笑った。


「では、一番歳の近いアランも配置してはどうかということになって、打診もしたのだが、護衛は二人も要らない。従者は欲しいから気の合いそうな者を自分で探しに行く。ちょうどいいから、その護衛ぶりを見て、アランとダニエルのどちらかを選ぶことにする、などと生意気な……あ、いや。人を試すような、だな……」


 アランは苦笑しているけれど、ベルナールは気を取り直すようにひとつ頭を振ってまた厳しい表情に戻った。


「それで結局、二人で待機させていた時に、ああいうことが起こってしまった。二人の間に何かやり取りがあったということは間違いないのだが、ダニエルもレフィ様も頑として口を開かない。君は、二人が会話するのを何か聞いていないかな?」

「いいえ。何も」


 思い出すまでもなかった。

 ダニエルとやらはレフィの名を呼んだのも一度きりだったし、レフィはエルチェに知らなくてもいいと言った。

 そうか、と予想はついていたような顔をして、ベルナールは深く息を吐き出した。


「ダニエルは武器を手にはしなかったようだし、レフィ様が「死刑は望まない。城壁内に居なければいい」というので、炭鉱送りが妥当かと思う。その話はそこで終わりだろう」


 頷いて、エルチェはたいした話じゃなかったなと腰を浮かせた。が、他の三人は動かずに黙ってエルチェを見つめている。


「……あ?」

「前座は終わり。ここからが本題だよ」


 なげーよ!

 と、レフィだけなら返していたところだろう。大人二人の真面目顔に、エルチェは頭をかきながらもう一度腰を下ろす。


「ダニエル様はレディ・ヴォワザン……レフィ様のお母様ですね。の、親戚筋の者なのです。近しいわけではありませんが、あちらの一族は先代の宰相だった奥様のお父様をとても誇りに思っている方が多く……言い方は悪いのですが、レフィ様贔屓なところがございまして」


 登場人物が多くなってきて適当に頷き始めたエルチェを見越したのか、レフィが笑った。


「ちょっと話したよ? 『冷血宰相』」

「……ああ! えっと、レフィが似てる、から?」

「そこまで似ているとも私は思えないのですが、沈着冷静に物事を判断するところなんかをそう重ねているようですね。イアサント様がいなければ、露骨にレフィ様を推していたかもしれません。彼らはよくエーリク様の廃嫡を進言していましたから」

「僕は望んでないのにね?」

「廃嫡……? え……それって……」


 可能性に気付いて、エルチェはぶるっと体を震わせた。

 ダニエルが、何らかの手を下した可能性がある?

 ベルナールはうん、とも、いいや、とも示さずに軽く目を伏せた。


「レフィ様がそれを指摘したからあのような行動に出た、というのならわかるのです。でも、どういうわけか二人とも答えません。その上、レフィ様は彼を許すような証言をしている」

「そういうつもりはなかったんだけど」


 キッとベルナールはレフィを睨みつけた。


「貴方にはなくとも、周囲はそうは思わない。小さな疑心暗鬼が怪物を生んだりするのですよ?」

「えっと、ごめんなさい。どこがいけないのか、わかりません」


 エルチェはできるだけ丁寧に割って入った。

 許してはいけない、のだろうか。

 無罪放免ではない。炭鉱は危険も多い、キツイ仕事だ。


「エーリク様の死後、彼らは堂々とレフィ様に近づきました。残された弟を盛り立てよう、と。間違ってはいません。けれど、兄弟の対立を煽るような言動もちらほら増えました。お二人は幸い、仲がよろしく、意に介していないようですが……背後ではいろんな憶測が飛び交ってもいるのです。レフィ様はすでにあちらに取り込まれていて、跡取りの座を虎視眈々と狙っている、とか」


 ちら、とレフィを窺ってみる。

 相変わらず澄ました坊ちゃまだ。こいつならやりかねない。

 エルチェでも、そう思うのは難しくなかった。

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