第7話 お気楽じゃないよ
レフィの部屋に戻ると、騎士らしい人物がドアの前で待っていた。よく見るとエルチェの家に来ていたもう一人で、血相を変えて出て行った方だ。まだ若く、二十歳くらいに見える。明るいブラウンの髪を緩くなでつけていて、ライトグレーの瞳は二人を見てほっとしたように細められた。
「レフィ様。夕食前にエルチェさんを部屋へ案内します」
「そうだったね。じゃあ、出るときは一緒に行こう」
「わかりました」
にこりと笑って、彼はドアを開けた。レフィが当たり前に部屋に入っていくので、エルチェは少し戸惑って若い騎士を見上げる。
彼は微笑んだまま、エルチェにも入れと促した。続けて彼も入ってきてドアは閉められる。
レフィは長椅子に腰を下ろしていたが、エルチェはどうすべきかと足を止めた。
「僕はアラン。レフィ様の護衛を仰せつかっている。公の場などでは僕が表に立つから、そう心配することはないよ」
手を差し出され、ともかく握手を交わす。
「えっと……エルチェです」
「その節はありがとう。君がいなかったら僕は今ここに居なかったかもしれない」
「はぁ」
力の込められた手に、そうだろうかと疑問がよぎる。レフィなら別に一人でもどうにかしたのでは。
エルチェは、プロに囲まれ、機転の利く彼が、わざわざ農村部のちょっと腕の立つくらいの少年を手元に置きたがる理由が解らなかった。解らないけれど、レフィは「盾になれ」と、そう言っていた気がするから、ちょうどいい「使い捨て」が欲しかったのかも、と。
もちろん、使い捨てになどなる気はない。
チャンスは掴んどくもんだ。上手く生き延びれば、
エルチェが流されるままここに来たのは、そういう理由だった。
城と言ったって、使用人に囲まれてあれこれ教えを受けてからレフィに再会すると思っていたのに、回された裏口に本人が迎えに来ていて、いきなり風呂に突っ込まれるとは……思考を放棄したくなっても仕方ないというものだろう。
「いきなり連れまわされてびっくりしただろう? ベルナールが帰るまで、基本的な生活を少し説明するよ。レフィ様はお茶でもしていますか?」
「いらない。座って話せよ。頭の上でうるさい」
「……はい。では、失礼いたします」
アランが苦笑して、エルチェも座るよう促した。
「基本、僕たちが黙って座っていることはない。こういう話も、主人のいない場でするのが普通なんだけど……」
そうだろうなと、エルチェは頷いた。
*
説明はだいたい、エルチェの想像した通りだった。ただ、従者は主人の言うことが絶対だ。「君はレフィ様の言う通りにすればいい」と、少し諦め気味に言われたのが不気味だった。
夕食へと三人連れ立って部屋を後にして、エルチェは厨房傍の食堂に連れていかれた。レフィとアランとはそこで別れて、夕食を食べながら今度は執事長からレクチャーを受ける。自室は相部屋だったが、今は一人らしい。新人が入るか欠員が出ればまた変わるということだった。
二段ベッドの下の段に倒れ込んで、大きく息を吐き出す。疲れた気がするけれど、まだ着替えられなかった。
一時間ほどうとうとしたエルチェをアランが迎えに来て、もう一度レフィの部屋へと向かう。今日だけでレフィの部屋の場所を刷り込まされた気分だった。
部屋にはベルナールがいて、簡単に挨拶を交わす。全員が席につくと、彼は一枚の書類をテーブルに置いた。
「まずは、こちらにサインをもらおう。読めなければ、読み上げるが」
ちらと視線を落として、エルチェはそのままペンを走らせた。
レフィがふふん、と小さく笑う。
「……内容はよく吟味した方がいい」
ベルナールの苦い声に、エルチェは肩をすくめた。
「ここまできてサインが嫌だって言ったって、まっすぐ家に帰れると思わない」
「ああ……レフィ様が気に入りそうだ……ありがとう。時間を無駄にしなくて済む。解っているとは思うが、これは異例だ。これから話すことは他言無用。誓いを破れば命をもって償ってもらう、そんなことが書いてある」
エルチェは黙って頷いた。
「私は長子イアサント様の護衛を努めている。だから、他の御子息とも面識はあるが、優先はイアサント様だ。ご兄弟は仲もよろしく、よく聞くお家騒動とは無縁のものだと思っていた」
息をひとつ吐いて、ベルナールは心持ち声を潜めた。
「先日レフィ様を襲った者は、元々次男のエーリク様を任されていた者だ。エーリク様が亡くなって、しばらくここを離れていたのだが……国境警備でも黙々と働いていたようで、冬を前に呼び戻されたところだった」
質問をしていいものか、エルチェは迷ってレフィを窺った。代わりにという訳ではないのだろうが、レフィが口を開く。
「エーリク兄さんは身体が弱かった。暑くても寒くても熱を出し、咳が出始めると止まらない。もちろん発育もよくないから、一つ違いだった僕より小さいくらいだったよ」
「ですから、閣下も奥様もエーリク様のことは隠すわけではなかったけれど、公にできずに様子を見ていたのです。無事に七つを過ぎれば、体力もつくだろうし、少しずつ世に出していくおつもりで。イアサント様がおりますし、レフィ様の方がお兄さんに見えましたから……世間の関心もそんなに高くなかったのですよ」
「弱そうだったから僕を作ったのか、純然たる計算違いだったのか、どっちだったんだろうね?」
「レフィ様……」
苦い顔で額を抱えるベルナールに、レフィは肩をすくめてみせるだけだった。
「まあ、だから五つを過ぎて希望が見えてきて、エーリク兄さんにイアサント兄さんのスペアとしての教育が始まると、僕はそれを支えるために頑張るんだよって言われてきたわけさ。ベッドで勉強漬けより、外で木刀を振り回している方が絶対楽しかったからね。不満なんかなかったよ?」
「エーリク様の七歳の誕生日が近づいた初冬でした。たちの悪い流行病が城の中にも入り込んだのです。使用人から兵士、そしてエーリク様とレフィ様も」
ベルナールは当時を思い出すように窓の外に目をやり、表情を曇らせた。
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