Serviteur

第6話 聞いてないよ

 そこから話がどう転がったのか、エルチェは知らない。

 両親に一応意思を確かめられ(嫌だと言って断れるのかどうかもエルチェは知らない)、「そんなに悪い話ではないと思う」と答えたら、あとは怖いくらいにスピーディに話は進んだ。


 次の週末、エルチェは壁の中のさらに中心部に立つ城の中にいた。

 ほとんど身ひとつでやってきたエルチェをとりあえず風呂に放り込み、着替えを強要したレフィは、風呂から上がって窮屈な襟元を何度も引っ張っているエルチェに、眼鏡の奥から冷たいアイスブルーの瞳を細めて見せた。


「へえ。意外と見られる」

「そうか? 目、悪いんだな」

「どっちの意味で言ってんだかわかんないけど、君がバ……大らかで物怖じしないのは見込んだ通りだね」

「そこまで言うならバカって言い切れよ。気持ちわりぃな。バカを見込む馬鹿に呆れてんだよ」


 フン、とレフィが鼻で笑う。


「即クビ切ってくれないかな、なんて思ってるわけじゃないよね?」

「領主の次男だなんて、聞いてないぞ」


 知っていれば、命を狙われていると聞いたあの時の判断も変わったはずだった。変わった結果が最良のものになるとは限らないけれど。


「言ってないからね」


 ひょいと肩をすくめたレフィは、眼鏡を外して立ち上がった。


「こないだの件で話は通しやすくなったけど、顔を見たいって言われた。父も兄もお人好しだからどうこうはないと思うけど、彼らの前に出たら周りの目もあるから片膝ついて床でも眺めてろ」

「……どこか行くのか?」


 いきなりのことにさすがに不安になって、エルチェの声は小さくなった。


「心配しなくても、「城内を案内していたら狩りに行く彼らを見送ることになる」だけだよ」


 指先でついて来いと示されて、黙って後に続く。

 そんな偶然まですでに決まったことなのかと思いながら、エルチェは天井の高い城の中をあちこち見回しながらついて行った。




 エルチェがこれからお世話になりそうな厨房や倉庫などで簡単な挨拶を交わして回って、それからホールへと進んでいく。マントを着込み、弓や銃を持った一団がいて、エルチェはその中に知った顔をひとつだけ見つけた。あの日、両親の元に来てエルチェの肩を叩いて去っていった男が、こちらを見て傍の男性に耳うちをする。

 いくつかの目が一斉に自分を見るのを感じて、エルチェはそっと視線を下に落とした。少しでも最初の印象をよくしようという彼の精一杯の努力だったが、成功しているかどうかは今までの経験からもよくわからない。

 もう少し近づいて、レフィが彼らに声をかけて立ち止まった少し後ろで、エルチェは言われた通り片膝をついて床を見つめた。


「父上、兄上、これから出発ですか?」

「ああ。今日は残念だ。次は一緒に行こう」

「ぜひ。夕食を楽しみにしております」


 すました会話はわざとらしくはなく、ただ、レフィの瞳のように温度は低い気がした。エルチェに声がかけられることはなく、一団が動き始め、ひとりがこちらにやってくる。


「戻ったら、私も挨拶に伺うつもりです」

「別に、明日でいい。早く行け」

「ええ。では」


 床を見つめたままのエルチェの頭にぽん、と手を乗せて、その人も集団と一緒に外へと出て行った。ふっとレフィが息を吐く。


「もういいぞ。次は兵舎に行ってみるか」


 一団の後を追うように外に向かったレフィをエルチェは慌てて追いかける。


「優しそうだな」


 領主とその長男は二人の雰囲気がよく似ていたからすぐわかった。ダークブロンドの少し癖の入った髪に空色の瞳。


「似てないって言えば?」

「似てなくはない」


 レフィは癖のない髪だし、瞳の色が彼らより薄いから雰囲気が違うだけで。

 レフィは小さく鼻で笑う。


「母方の祖父にそっくりらしいよ。冷血宰相って呼ばれてたって」

「へぇ。カッコイイな」

「君、やっぱバカだろ」

「うるせーな」


 ちらと向いたアイスブルーが笑っていたので、エルチェはどこかホッとしていた。似てないと言われることがレフィにとっていいことか悪いことか、嬉しいのか嫌なのか、そういうことがさっぱりわからない。家族の在り方も違うようだ。知らないことをおもんばかるより、直観的な感想を口に乗せるエルチェをレフィは嫌じゃないらしい。

 それが伝わったので、エルチェはここでもなんとなくやっていけるんじゃないかと、うっかり、そう思ってしまったのだった。




 毎日通うことになる訓練場や勝手口の場所を確認して、城壁にも登ってみた。壁で囲まれた城下町には畑はほとんどなくて、建物ばかりひしめいている。「そのうち行くから」とレフィは軽く言った。


「そんなに気軽に行くものなのか?」

「そのために君を雇ったんだろう?」


 何を当たり前のことを。そう、聞こえてきそうな口調だった。


「まあ、しばらくは僕も我慢するよ。基礎的なことを叩きこまないと、周囲も納得しないしね。ていうか、いまさらホント迷惑。跡取りの兄さんがピンピンしてるのに、三男の僕がなんで縛られなきゃいけないの」


 大仰な息を吐くレフィにエルチェは眉をひそめた。


「三男?」


 聞いた話と違う。レフィは次男だと。


「本当はね。もうひとり兄さんがいたんだ。四年前に亡くなってるけど。ベルナールはその話をしに来るんだと思う」

「ベルナール?」

「兄さんの護衛騎士で、僕たちの先生になる人だよ。ホールでちょっと話した」


 ああ、と顔を思い浮かべて、エルチェはやはり少し首を傾げた。

 四年も前の話を、わざわざ?

 エルチェの疑問を見透かしたように、レフィは口元にだけ笑みを浮かべたのだった。

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