第2話 心だけで現実を図るものではない
米津玄師という名前を知った。あいみょんという名前は不思議でどんな女の子だろうとテレビに映る顔を覗き込んだ。
でもそんな程度で、わたしはほとんどテレビを見なかった。
フリースクールではテレビはNHK以外禁止でほとんど見なかった。だけど二十歳を過ぎる頃、ミュージックステーションなら見ていいと言われ見れるようになった。フリースクールではリクレーションもしくは人前に立つ訓練としてカラオケをすることもあったから歌を覚えるためだろう。その頃のわたしは、簪先生に対する不信感を心の奥底で感じていて、愛情を与えられない苦しさを"そんなことはない”と自己暗示し押し込めていた。Mステを見れるようになって、大好きな浜崎あゆみさんの出演を楽しみにしていたし、ジャニーズなど男の子の動向が気になって仕方なかった。
こんな綺麗な顔とスタイルの子がいる、こんなに声が…胸をときめかせてくれる人がいる、こんなにわたしの心を笑わせて慰めてくれる人がいる。アーティストの名前をひとりひとり覚えることはできなかったけど、わたしはとにかくそのときめきを吸い込むように眺めた。そうして頭の中で何度も男の子と隣にいる自分を描き、そして心の中で熱愛していた。
「ジャニーズの子トークが下手糞だ。」
簪先生はそういって否定していたけど、わたしは自分を生かす道を探すのに必死だった。
「自分は命を削って面倒を見ているんだ。」
と簪先生は言い何度も寮生を長々と説教したり、人前で叱ったり、冷たかったり、勉強を教えてくれなかったりの…、本末転倒な場所、そして家に帰っても社会復帰を想像できない自分と、
「結婚できればそれだけでいいんです。」
とだけ簪先生に伝え、将来の進路や就職のことも、実際に今に至るまで結婚の面倒も見てくれない両親との間で、わたしは絶望的な葛藤をし、それから逃れる心の安らぎや愛しく思う心を、Mステのアーティストから得ようとしていた。
わたしは、フリースクールを辞めてから、しばらくは派遣で週に数日働き通信制の大学の勉強をしていたが、勉強が難しいのと情緒不安定なこともあって卒論だけ残して大学を辞めた。その後、就活をした。事務仕事の方が不器用な自分には合っていると思ったし、正社員になる必要があると思った。だけど10件くらい不採用で、
「さすがに通信制高校卒の通信制大学中退のわたしなんて履歴書だけで落とされるわ。」
と確信し、アルバイトを探し働き始めた。
履歴書を書く度にも、仕事場やSNSなどで出身校を聞かれる都度、中学校生活を途中から破綻させ人に嫌われていたこと、そういえば小学校の時も新しいクラスに変わっても1学期中は絶対ひとりぼっちで取り残されていたことも思いだされたが、どうにかその事実に触れないように神経を尖らせていた。
(そんな過去、今に必要ない、わたしは働ければ生きていけるの。)と自分に言い聞かせ、不足ない人格を演じることに集中していた。
SNSでは友達がたくさんいるリア充を眺めながら、現実にわたしは友達になっても無視されていく現状に目を瞑りながら苦しんでいた。
30過ぎて、アルバイトも続かなくて破綻し、(自分は精神障害者なんだ。)と割り切って障害者雇用で就職を始めていた。わたしには既に統合失調症という診断が下っていた。就職の支援として頼った福祉サービスでは、想像以上に偏見はなく1人の人として扱ってもらえ、今までしばらく耳にしたことないような褒め言葉をもらっていた。就職先でも親切に気を遣われ、その優しさに
(もしかして、前世わたしの親友だったの?それとも今の友達がお化粧して名前を変えてわたしの目の前にいるの?!)と戸惑うほどだった。
どんなに障害者であるわたしを受け入れてくれる環境をいただいたとしても、
「あなたは高校生の時から変だったじゃない。」
と就職問題やフリースクールのことを愚痴ったり相談したりしたら、そう言ってくるのが母親で、苦しさを堪えきれずに
「しにたいしにたい…。」
と何度も口ずさめば、
「しのうか。」
と一言言ってしまうという母親だ。それを後から訂正されても出てしまった言葉は元には戻らない。
「わたしは親に愛されなかったんだ。」
そういう思いは潜在的に自分を否定し、自分なんて存在価値ないという絶望感から逃れることはできなかった。
数少ない友達と喧嘩したり連絡絶ったりして別れていった末に友達ができた。辞めていったアルバイト先で連絡交換した人で、それでも最初はそんなにやりとりはしていなかった。
(ちょっと前まではわたしは荒れていたからな。)と統合失調症という現実を受け入れられないで悪夢から逃れたくって断薬していたことを振り返った。現実を割り切り始めて落ち着き始めたら、友達と前より仲良くなっていった。
友達は二人で遊んでいる時に、カラオケで男性の歌を歌い始めた。ディスプレイには男性が映し出され、少し髪で顔を隠した上品な出で立ちだった。それは『Lemon』、米津玄師さんの歌。
(そういえば流行っていたなぁ、何度も名前を聞いたけど、きちんと見るのははじめて…。)
綺麗な女の子が舞い、そしてそれを見つめる米津玄師さんの視線…。周りに少しもつれるような情動を演じているかのような群衆がいても、少し顔を隠したその姿は曇ることを知らなかった。
(恥ずかしいな。それで今までも…見れなかった。)
友達の少しハスキーな声は4人掛けの狭い薄明りの個室の空気を揺らし、わたしをそっと…いつかのきっと…幼い頃に抱いていただろう淡い夢心地を蘇らせてくれるようであった。
(友達ならゆるしてくれると思った。)
というのは同性だけには甘えたい、そうでなければ生きられない自己防衛的な価値観だった。だから病名を説明しても、身の内、生い立ちなどはほとんど省いていて、そうやって付き合っていこうと思っていた。
だけども、もしも恋をするのなら、自分の周りの人間関係も経歴も相手に説明しなければならないのは必要なことだとおもっていたし、そしてまたこんなダメな生き方をしてきたわたしにいい相手なんてずっといなかった。
米津玄師さんを目の前にした時、その歌に身を寄せる時、わたしは、なんにも悪いところなんてないんですという態度ではいられなかった。それがただのファンになることしかできなくても、もしもコンサートか何か…で目が合ったときに、
「わたしも『Lemon』のように人に深い愛情を抱いたことがあるの。大切な人がいたんです。」と何かしら少しでも分かち合える自分でいなければ、彼を好きになることはできなかった。
わたしには友達はたった一人しかいません。どこまで分かち合えるか、長続きできるかも知れません。わたしは統合失調症という精神障害者で、配慮していただかなければ仕事はできません。つまり一般の人と同じように生きることも出来ません。恋人もいません。そうして、暗い過去さえ隠して生きています。
それを、ほんの少しだけ、彼の耳元に…一生懸命綺麗な言葉を探して編んで触れてもらえられることを望んでみようか。
だから、もし、わたしが何かを口ずさむとしなら、
これは身を洗い流すためであり、
そして、愛そう(愛すことで苦しみから逃れたい)と決めた米津玄師さんへの思慕を思い描くものであり、少しずつ自分の短所を磨き直していつか来たる本当に友達を大切にできる自分を作るためだったのかもしれない。
ふっと息を吸い込んだ。梅雨を目の前にして、手探りでCDを触れる手は、痛みを感じないようにするためであり、流した『rainy day』浜崎あゆみさんの一曲、その世界に心を埋没させ、捨てたはずの醜い(と否定した)自分を迎えに行った。
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