天地天命、人として生く

夏の陽炎

第1話 ふたつの相反する心

 「次会ったときも笑顔で挨拶できる関係でいれるようにしよう。」

 フリースクールの男性先生が言った。

わたしは、いつも通りなんと反応していいのかわからない。ただ必要な愛想をして別れの挨拶をした。


 ことの発端はわたしが、うつ病で不登校になったせいだった。

わたしには2つ年上の兄がいたが、兄は統合失調症を発病し、その後亡くなっていた。

 「わたしには優しい両親がいて海外旅行にも連れて行ってもらえる贅沢もあるの。」

 いわゆる中流階級の家庭で父は課長になったことを自慢していた。わがままは聞いてもらえていると思ったし、母は優しい言葉をかけてくれ家事とパートに勤しんでくれていた。

 でも、そんな家庭もいつしか夜は兄を叱る母の声が響くようになり、また兄は学校で問題を起こしたりもしくはいじめを受けたりして学校の先生たちが何回か家を訪れていた。

 兄とは喧嘩もたくさんしたが、優しかったと思う。わたしのように人に物をねだったりせず遠慮する人で、親戚にもお兄ちゃんは優しいと評されていた。上品の顔立ちのお兄ちゃんは幼い時に、一緒に洗濯物の畳み方を教えたり、不器用なわたしの爪を切ってくれたりした。学校のない日曜日の朝は一緒に起きて流行っていたテレビゲームをしたり、カブトムシを探したりした。一緒にいることが当たり前でそうでないことが起こりうるとは考えもしなかった。

 

 だけど兄は15歳の時に発狂した。

 「誰かが監視している!」

 とか、

 「お前のせいだ。」

 と叫んだりして暴れ始めた。表情は今までにない恐ろしいもので家の物を壊し、わたしの部屋の扉にひとつ拳の跡を残した。

兄は中学卒業後、通信制高校に入るもほとんど何もしなかった。

 「勉強なんてできない!」

 と勉強することを勧める母に叫ぶ様子は悲痛なものだった。兄はテストの順位が二桁の時もよくある成績で勉強が全くできないわけではなかったのに。

わたしはこの統合失調症を“呪い”だとさえ感じた。

 

 わたしは中3になった頃には既に、家庭の問題も重なり学校生活が苦痛だった。部活に宿題、テスト勉強に塾、とても要領よくこなせなくて、宿題が終わらないまま夜、リビングのこたつで寝入ってしまうことがしばしばあった。

 ふと目覚めた先に兄がいた。

兄は、右手で何かを握り天井へ振り上げていた。

それが何だったのか分からなかったわけではないが、わたしは発病して高校生にもなれない兄に同情していた。そして疲労と現実逃避でそのまままた寝むってしまった。

再び目を覚めれば、兄はわたしの横で添い寝をしていた。ちょうどわたしは右わきを下にして横に寝そべっていて、その背後に兄がいて兄が腰をくねらせていた。何かが背に当たったかあたってないかそんなすんでの行為にわたしはどうしたらいいかもわからずに…たぶんまた疲れて眠ってしまった。

 何事もなく朝起きた。母に苦情を言わなければと昨晩のことを言う代わりに以前、兄が私の目の前でエロ本を広げて見せてきたことを伝えた。わたしは困っているんだと伝えたかったのに、母は話をきちんと聞かずに言った。

 「ふたりでエロティックな思いでもしていたんでしょう!」

 母は睨みつけて言い放った。

母はわたしの身の安全と心の清純さを守ってくれる人ではない…。この頃から、母とも通わせきれない辛酸を感じ始めた。

そして時々暴れることもあり、次いつわたしを襲うかもしれない兄、に、どうしていいのかわからない恐怖を感じた。

それでも、兄が体調がいい時は一緒に音楽を聞いていた。言葉もなくただ聞いていて、兄との間には互いの幸せを祈る信頼関係があったような気がした。なんともいえない暖かな空気がふたりを包んでいた。


 兄は17歳にして亡くなった。

わたしは死を受け止めなんとか生きようと思った。きっと母と父とうまく暮らしていけると思った。

なのに言い表せないほどの喪失と恐怖が襲う。母と父とどんな喧嘩を交わしたかは記憶にさえ残らないが、わたしもまた家の物を壊しては、恐らく父母に愛情を求めた。なぜそんなことが必要になったのか分からない。

そして学校生活もうまくいってなかったので結局不登校になった。

その先の行く道も見つけたのは母親だった。

近くのフリースクールに行くことにした。高校を中退した夏のことだった。


 フリースクールは寮制でそれがわたしの選んだ決め手ともなった。だって高校を休学中に、街で同級生に睨まれてもう地元にはいたくなくなったから。

だけどそのフリースクールの男性先生は、入寮してすぐ怒鳴った。

 「挨拶の仕方がゆっくりで良くない!」

 とわたしが泣くまで叱り、泣き止んできちんと謝れるようになるまで許さなかった。そして入寮して数日後の朝には、目が覚めると目の前で男性先生がわたしを見つめていた。

 「あー。」

 わたしは変な悲鳴をあげたが、

 「変な声を出すんじゃない。」

 と叱られた。

夜中に全員を起こして説教をし始めることもあった。

朝はサイクリング、昼もジョギング、プールにも通わされとにかく運動づくめで日々疲れていた。そして通信制の高校に編入手続したが、高校の勉強はせず、小学校の勉強をさせられた。そして食事の準備や洗濯などの家事もこなした。

こんな毎日だったが、いつかきっと社会復帰もしくは理想の自分になれるんだと思った。ここにはフリースクールの先生のコネがあり、わたしを幸せに導いてくれるんだと信じ切ってひれ伏してしまっていた。共同生活は賑やかで、就職など大人になる恐怖も寂しささえも紛らわせくれていたから。


 ある日の朝方、唇に触れるものがあった。

目を開けると目の前にフリースクールの男性先生がいて唇が重なっていた。

 「先生のことが好きです。」

 わたしはなぜかそう言った。先生は微笑んだと思う。その瞬間気を失う様に眠ってしまった。疲労してたんだと思う。

それから、先生はわたしを愛してるんだと思ったし、先生も特別な目で少しの間わたしを見つめてくれていたと思った。だけどその愛は実際に何もなさずに残酷な現実をつきつけられた。


 通信制の大学生になっていたわたしは、でも6年目に突入しても卒論の書き方がわからずに混迷していた。勉強はほとんど自力で勉強の面倒はほぼ見てもらえなかった。食事作りなどをすることは頼まれても。そしてわたしも先生に勉強の相談ができなかった。

そして、傷つけられた心は痛みを増しストレスで怒りっぽくなり、幻聴まで聞き始めていた。他の寮生との人間関係も悪化し、無視され、不安になり、成人過ぎて携帯電話を許可されていたわたしは、男性先生に電話して

 「不安です。」

 と相談した。

それを数回繰り返していると、男性先生と同居している女性の先生が

 「かんざし先生(男性先生)がいいって言ったってみんないいと思っているわけないでしょ。」

 と呟くように冷たく言った。

 彷徨えるわたしは気が狂っていた。本当はもう簪先生がわたしにキスしたのは愛情じゃなかったことにも気づいていて、自分を救うためにカッコイイ男性の幻想さえ見始めていた。

 そしてそれからある日、簪先生の寵愛する女性の先輩の唇に、わたしはキスをした。

冷蔵庫の隣で。食事をいつも一緒に作っているあづさ先輩だった。先輩は以前から不安そうな顔してはわたしにも抱き着いてくることがあった。普段は喧嘩もするし仲がすごくいいわけではないが…。

梓先輩は

 「私のこと愛しているの?」

 と言った。わたしは微笑んだだけだった。まさか梓さんがそう言うとは思わなかったから。だってわたしは妄想だとしても感知しているの、梓先輩には素敵な男性がいるんでしょう?

どうしてそんな言葉をわたしにかけるんでしょう、怒られなくてよかったけれど、それはわたしも理解し始めていた皮肉な現実そのものだった。


 そしてその年の12月23日に梓先輩から

 「簪先生と性行為を何度もしているの。(簪先生は)後輩にも手を出してるの。」

 という話を打ち明けられた。

(やっぱり梓先輩と簪先生の関係はうまくいってないんだね。)

という予感より、ショックの方が勝っていた。


 「背に腹は代えられない。」

 正月休み明けに簪先生のことを他の先輩もいる前で公然と罵る梓先輩に、わたしが放った言葉だった。わたしはおしゃべりが下手だと思う。気休めとか慰めとかうまく言えない。簪先生のわたしに対するいたずらに愛情の返礼を、その証を、求めて苦しみ悶えてきたわたしの前で、愛をいくつも受け取っていたはずの梓先輩が、いとも簡単に罵っていたのだから。

((簪先生と恋愛した)その分、立場を持ち上げられてきたんでしょう?そしてわたしもこの困難な世界で高校卒業資格を得たことに一定の礼を持たなければ生き永らえられないの。)

 

 「二人でこのオムライスを分けて食べないさい。」

 梓先輩と用意した簪先生のオムライスを、簪先生は食べずに、運んできたわたしと梓先輩に食べるように言った。梓先輩は言葉なく訴えるような目で簪先生を見た。

 「ずっと傍にいていい。もうどこにもいかないから。」

 「そうじゃないの。そうじゃ。」

 簪先生と梓先輩の会話は続く。それはまるでだ。

わたしはフリースクールにいた7年間、言葉というものを忘れていたと思う。いつだって簪先生の前では話し言葉を思いつかなかった。今に代弁して言えば

 「わたしは、わたしのことをないがしろにして弁明をしなくても操り人形みたいに  

  思い通りにいるとしか考えられないんでしょう。」

 と簪先生に心の傷に良識を求めたかった。

 わたしは、わたしは、わたしはただ、生まれつき不器用で要領悪く、社会人になれるかどうか自信がなくってそれを学ぶためにそこにいただけだったんです。


 荷物をまとめて母の軽自動車に詰め込んだ日、簪先生は笑顔で別れの挨拶をした。引き止められることを潜在的に恐怖していたわたしは、思いつく今の場に適した最高の表情を繕ってそして去っていた。


 もし、日ごろの運動訓練で健康状態も良くなっていたはずのわたしが、この先も自宅でうまくいかなかったとしたら、

それは運命づけられた家族との不和による疾患なのかもしれない。

頭脳が非合理的で明晰ではないなら、それを、自分のものさしでひとつひとつ解り、生きる為に都合よく図っていかなければならない。

そんな覚悟はまだできていないような22歳の正月明けのことだった。

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