秘境駅で泣いていた少女

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第1話

軽快な機械音を鳴らしながら、電車は山の中を駆け抜けていく。

ふと窓の外を見れば、山と山の間にある土地に、小さな集落があり、ここが自然豊かな土地であることを表している。

野岩鉄道会津鬼怒川線は、関東三大名湯の一つ鬼怒川温泉から、雄大な自然が広がる尾瀬・会津高原を結ぶ、ローカル鉄道だ。

栃木県と福島県の県境に大きく広がる山を越えるため、利用客はかなり少ない。

実際、星村翼が乗車している列車はたった2両編成しかないのに、乗客が3人のみであった。

3人ってなんだよ、ほぼ車内がほぼ空気じゃないか。

プオーン

間抜けな警笛音が聞こえたと思ったら、進行方向の線路を猿の親子が横断とは……。

翼は、流石にここまで自然豊かだとは想像していなかった。

しかし、普段はこういうところに来ない分、なかなか新鮮であった。

「まもなくー、男鹿高原、おじかこうげんに到着します」

車掌が案内を告げると、翼は降りる準備をした。


「北千住から快速と普通列車を乗り継いで3時間ちょい。ようやくこの秘境駅に辿り着いたぜ」

翼の今回の旅の目的地は、山と山の間にある秘境駅男鹿高原である。

都心から一番近い秘境駅として名を轟かしているこの駅は、一部の鉄道ファンの方々の憧れの駅となっている。

「さて、駅周辺を散策する前に、日光で買った駅弁を食べるとするか……」

「グスン、グスン……」

えっ、何今の泣き声。

心霊現象!?

翼は、声のした方を振り向くと、待合室で一人の女の子が泣いていた。

見た感じ、中学生くらいだろうか……。

ダウンジャケットを羽織り、暖かそうな恰好をしたボブカットのその子は、顔を手で覆って、泣いていた。

「……うん、あれは心霊現象に違いない。まだ日も昇りきってない午前中だが……まあ秘境駅だしあり得るだろう」

翼はそれを無視して、弁当を食べることにしたが……。

ゾワッ

な、なんだ!?

すごい熱い視線を感じるぞ。

振り向くと、さっきまで泣いていた女の子がこちらをじっと見つめていた。

なんだかまるでお腹を空かせた小動物に見つめられている気分だ。

グー。

彼女のお腹の音だった。

「あの、駅弁食べますか?」

「……いいの!?」

いや、となりから視線を感じながら食べる弁当とかまずそうだし。

「俺、非常食用にカロリーメイト持ってるんで」

「やったー!」

そして翼は駅弁を渡した。

「いただきまーす!」

翼は気付いてしまった。

この駅弁、実は1000円以上したということに。

そして、彼の昼飯がたった200円くらいのカロリーメイトにいつのまにかかわってしまったことに……。

翼は心の中で大泣きした。

何が悲しくて、1000円を払って、カロリーメイトを食べなくてはいけないのか。

おかげで、星村翼は、彼女……水上春との出会いが強烈に記憶に残ることになってしまった。


「ふう、お腹いっぱい。ごちそうさま!」

「それは良かった」

翼は、ぶっきら棒に言った。

「なあ」

「何?」

「なんでお前は、ここで泣いていたんだ?」

初対面の人にため口になっていたが、駅弁のショックで、翼は気にすることができなかった。

「えっとね、実はおばあちゃんちに行くために、『とちぎ』っていう駅に行こうとしたんだけど、途中で眠っちゃって、気づいたらこの駅にいたの」

「ふんふん……えっ?」

「ここがどこだかわからないし、周りに誰もいないし、電話もつながらないし、お腹もすいて悲しくなったんだ」

なるほど、要は寝過ごしたら山奥に来ちゃったってことか。

実はこの男鹿高原駅、東京から一番近い秘境駅と言われるだけの理由がある。

それは、東京の大繁華街浅草から、特急リバティまたは快速・区間快速を使えば、乗り換えなしで到達が可能であるということだ。

そして、彼女が言っていた栃木駅も、その到達可能範囲内にある主要駅の一つだ。

「しかし、結構な距離を寝過ごしたんだな……。ここから栃木まで、特急を使っても1時間以上かかるぞ」

「えっ、そうなの?」

「ああ、まあ次の電車だったら、お前の目的地まで行けるだろう」

「おお! すごい詳しいね」

「ああ、まあお前には駅弁あげたし、あとは自分で何とかしろ」

翼は持っていたカロリーメイトの残骸をゴミ袋に入れて、ウエットティッシュで手を拭くと、立ち上がった。

「どこに行くの?」

少女が悲しそうな目をして翼に聞いてくる。

「あ? 俺は、この駅周辺を散策したら、隣の駅まで歩くんだよ。じゃあな」

翼は、駅の出口に向かおうとした瞬間だった。

「ぐえっ!?」

「やだやだやだ! 行かないで! 私をこんなところで一人にしないで!」

「わ、わかったから、首を絞めるな。苦しくて息ができん」


ふう、確かにこんな山奥の秘境駅で、電車が来るまで一人ボッチっていうのも、慣れてないときついのかもな……。

「ねえ、名前なんていうの?」

「俺は、星村翼。都内の高校に通う、いたって平凡な高1だ」

「なるほど! 私は、水上春。中学3年生です。よろしくね」

「よろしくって言っても、今日が終わればもう2度と会わないと思うけどな」

「でもでも、私も東京の学校に通っているから、また会うかもよ?」

「いや、それはないだろ。第一俺は高校生だし、お前は中学生だ。そもそもの学校が違うだろ」

この時、誰が未来のことを想像できただろうか。

まさか、この会話が後々のフラグになっていたなんて。

この時翼は、自分が中高一貫の学校に通っていることをすっかり忘れていたのだ。

……が、それはまた別の話である。

プオーン。

遠くから、電車の音が聞こえた。

「おい、もうすぐ電車が来るぞ。荷物の準備をしなさい」

「はーい」

そして、電車が入ってきて、扉が開いた。

「じゃあな、元気で……うおっ!?」

春に手を振って別れを告げようとした瞬間、翼はその手を彼女に握られ、電車の中に引きずりこまれた。

「あっ、ちょっと!」

プシュー

あっという間にドアが閉まり、電車が発車してしまった。

「なんで俺まで電車に乗せられなきゃいけないんだ」

「えっ? ダメだった?」

きょとんとするな。

「ダメに決まってるだろ。俺の旅行プランが崩壊してしまったじゃないか」

「えー、そんな」

「それは俺のセリフだ!」

「あの、お客様。どちらまでご乗車になられますか?」

声がする方を振り返ってみれば車掌さんがいた。

「あっ、車掌さん。えっと、川治湯元駅まででお願いします」

「川治湯元ですね。そちらのお客様は、どちらまで行かれますか?」

「東武線の栃木です」

「わかりました。こちらの切符をお降りになる駅でお渡しください」

「あ、いえ。俺はフリー切符を持っているのでいりません」

「わかりました。失礼します」

ふと、春の方を向いてみれば、キラキラした目で翼を見つめていた。

「翼君すごいね! そんなに簡単に車掌さんと話せるなんて」

「いや、これくらい誰にでもできるだろ」

「そういえば、翼君はこれからどこに行くの?」

「俺は、これから温泉に行くんだ」

「温泉!? ねえねえ、私も行ってもいい?」

「いや、別にいいけど。時間とか大丈夫なのか?」

「大丈夫」

「着替えとか持ってるのか?」

「大丈夫!」

「……ホントかよ」

どうやら俺は今日、とんでもない奴と出会ってしまったらしい。


無機質な音がして、扉が閉まったと思ったら、俺達が乗ってきた電車は走り去った。

「なんかもう疲れた……」

「翼君大丈夫?」

お前のせいで大丈夫じゃない。

というか、今更だがなんでハルまで温泉についてくるんだ。

こいつの頭の中は、お花畑でも広がっているんだろうか?

「まあ、なんにせよ。ここまで来たからには温泉はもう目と鼻の先だ」

「温泉おんせーん!」

ここは、川治温泉の中心地。

川治温泉は、古くから奥鬼怒川の観光地の一つとして秘境めいた土地ではあったが、野岩鉄道の開通により、鬼怒川温泉からさらにここまで足を延ばす観光客も増えたとか。

「あれ……?」

翼の目の前にあった看板に書かれていた言葉。

「あれ、今日定休日なんだね」

定休日なんだね、じゃない。

マジかよ。

何で今日に限って定休日なんだよ。

一番安い公衆温泉だったのに。

……まあいいや。

いつ何があってもいいように、翼はお金を多めに持ってきていた。

幸い、近くの温泉旅館で日帰り入浴できるだけのお金はある。

だがしかし……。

翼は、隣にいるハイテンションな少女を見て溜息をついた。


「すみません。日帰り入浴2名でお願いします」

「わかりました。2000円です」

「あ……はい」

翼は財布から1000円札2枚を取り出した。

「翼君。自分の分は自分で払うよ」

「そのセリフは、駅弁代を返してもらってから聞きたかったな」

横でガーンってなってる女の子を無視して、翼は支払いを済ませる。


「それでは、ごゆっくりください」

「ありがとうございます」

「ありがとうございまーす!」

従業員の人が立ち去るのを見届けてから、翼はハルに伝えた。

「早く出たら、このラウンジで待ってなさい」

「了解しました!」


露天風呂からのんびり景色を眺めた翼は、今日起きたことを振り返った。

「あーあ、本当は今日芦ノ牧温泉まで足を延ばす予定だったのに、あいつのせいで台無しだよ」

翼は、わざと感情をこめて独り言をつぶやいた。

もう疲れたから、この後の特急リバティで東京まで帰ろう。

彼はそう決意した。


「あれ、翼君温泉から出てくるの早いね」

ハルは若干にやけ顔で翼を見た。

「そうでもないさ。……ところで」

翼は、ハルの顔を眺めながら言った。

「君はいつ、栃木まで戻るのかな? 君の祖父母や親が心配してるだろう」

「あ、えっとそれなんだけどね。さっき、お母さんに電話したら、駅まで車で迎えにいくから、この後の電車で来てねだって」

「そうかそうか……。えっと、次の電車は……ジャスト1時間後か」

「それまで何してる?」

「何をしてもかまわんぞ。俺は、ここで本を読んでるから」

翼はそう言って手持ちの文庫本を取り出そうとすると……。

「えー。なんか、面白い話をしてよ」

翼は心の中で溜息をついた。

面白い話か……

翼は昔、弟と一緒に劇で遊んでいたことを思い出した。

「わかった。いいぞ」

翼は昔、父親に買ってもらった二体の人形を取り出した。

「クマさんと、ヒーロー……?」

「ああそうだ。面白い話をすればいいんだろう? 俺と弟が昔考えた物語を話そう」

正確には、俺が弟のために考えた物語だが……。

その話は、とても愉快な話だ。

物語は、最初ヒーローが悪いことばかりするクマさんを倒そうとする。

でも、クマさんには悪いことをしてしまう理由があった。

クマさんは、産まれた時から一人ボッチで友達が欲しかったのだ。

それを聞いた、ヒーローはクマさんを倒すことをやめた。

そして、ヒーローはクマさんと友達になって、クマさんの笑顔が増えていく……。

そんな、どこにでもありそうな何の変哲もない話である。

「翼君、すごいよ。すごい面白かった」

しかし、目の前にいる少女は、心から楽しんでいたようである。

その姿を見て、ふと翼は、昔の弟の姿が重なった。

「ねえねえ、他の話も聞かせて」

「……」

「……翼君?」

翼は、ハルに顔を覗き込まれて、少し驚いた。

「……わかったよ」


その後、温泉の近くの駅まで戻り、そこから浅草行きの特急リバティに乗車した。

電車が発車してしばらくすると、翼の隣でハルは小さな寝息を立て始めた。

「起きている時は、あんなに元気だったのにな」

まあ、今日が終われば二度と会うこともないだろう。

なんだか今日は不思議な一日だった。

日光で買った1000円の駅弁は、200円のカロリーメイトに変わってるし。

今日行きたかったところにも全く行けなかった。

でも、不思議と楽しかったな。

翼は、鞄の中から日常ミステリーの文庫本を取り出して、読み始めた。


「おい、ハル。もうすぐ栃木だぞ。起きて降りる準備をしなさい」

「むにゃ……もう食べられないよ」

「はいはい、何の夢を見てるんだか」

翼は、トントンとハルを起こす。

「あれ、ここどこ?」

「もうすぐ、お前の目的地だ。早く降りる準備をしなさい」

『ご乗車ありがとうございます。まもなく栃木、栃木に到着します』

車内放送が流れ終わると、彼女は寝ぼけ眼のまま、荷物を持った。

「じゃあ、気をつけろよ」

「うん、バイバーイ」

扉が開くと同時に、彼女はホームに降りて、改札口に向かった。

すぐに扉が閉まり、あっという間に電車は動き出す。

ったく、あいつ本当に大丈夫なのかよ。

翼は、そう思いながら小説の続きのページを開いた。

本当ならここで、物語が終わるはずだった。


ああだるい。

長期休暇明けの学校とかだるすぎだろ。

荷物は重いし、体もだるい。

しかも、天気は嫌みなほどの快晴ときた。

これほど憂鬱な日は、一年間の間でもあまりないだろう。

だが翼も、世の中の憂鬱さにあらがえずに、午前7時30分、学校の最寄り駅で電車を降り、駅から徒歩1分の場所にある学校に向かっていた。

朝のホームルームまで1時間近くあるが、これが翼の普通である

ドドドドドドド

なんだか、後ろから誰かが元気に走ってる音が聞こえるな。

翼は嫌な予感を覚えたが、気づかないふりをした。

ドドドドドドドン

「グエッ!?」

翼は、ぶつかってきた相手を確認しようと後ろを振り返る。

「あ、ごめんなさい……」

「ゲッ……」

思わず、そんな言葉が出てしまった。

水上春は、とても嬉しそうな顔をした。

「同じ学校だったんだね、翼君!」

その瞬間、星村翼は重い荷物を抱え、全力で走り出した。

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