第6話 三人目の犠牲者と狂変の令嬢

「ほら!ボクは大丈夫だっただろベスレ!!」

 恋人を元気づけるつもりで放ったそのセリフは、どう考えても最低な内容であった。幸いにもベスレの耳に入ってはいなかったようだが。

「次は私よ!!私なのよ!!!!嫌ッ……嫌ああああ!!お願い許して……!!!!ごめんなさいぃいいいいいいい!!!!!」

 ベスレが狂気じみた怯えを見せるのも仕方のない事だった。

 父親のあまりにも悲惨で恐ろしい死に様は、屈強な衛兵が見たとしても気分を悪くするだろう。ましてや体調をくずし気味だった実の娘がそれを目撃したとなれば、精神に異常をきたす程の衝撃が走ってもおかしくない。

 女中のスルアがベスレの狂った悲鳴と暴走を必死に押さえつけているが、元武官相手に体調の優れない細くて小柄な娘とは思えないほどの底力を発揮され、あちこちを殴打されていた。

「お嬢様!失礼いたします!」

 パッとベスレの身体を離す。

 次の瞬間、スルアは敬愛する令嬢の頬を思いっきりぶっ叩いた。それは平手打ちというよりは鋭い右直行打ストレートであった。

 見事に脳を揺さぶられたのだろう。ベスレは数歩千鳥足を見せ、気を失った。

 倒れ掛かるベスレをスルアは柔らかく抱きとめる。

「お、お見事ですスルアさん」

 言葉を聞くやスルアは突き刺すようにエパテヴィーロを睨みつけた。

「うっ」

 思わず後ずさるエパテヴィーロ。

「お嬢様を愛しておられるなら、もっと言葉は選ぶべきでありましょう」

「で、でも聞こえてなかったみたいだし大丈」

 殺意を込めた眼差しで一歩踏み込むスルア。音が聞こえる程に右の拳を握りしめる。

「すみませんでした!気を付けます!!」

「……今日の所は、もう、お帰り、くださいさっさと消えろ

 エパテヴィーロは返事もせずに脱兎のごとく屋敷を飛び出して行った。

 火竜の炎を思わせる溜息を深く吐き、己を鎮めるスルア。そして二階の小広間からベスレの自室へと向かう。一部始終を見守っていた他の女中達も付いてくる。

「あなた達はお嬢様の傍に居てあげてください」

 ベスレを優しくベッドに寝かせたスルアは女中達に告げた。

「スルア様はどうされるのです?私達よりも、あなたが居て下さった方がお嬢様も……」

 武官女中スルアはかぶりを振った。

「お屋形様の様子を見て参ります」

「あ、あの部屋に行くのですか!?」

「ご心配なく。犯人を突き止める為にいろいろ調べておきたいのです。できれば捜査班が来る前に……。お嬢様が目を覚まされそうな時はこの『鎮静薬』を飲ませてください。それから、『癒眠術パランタスリープ』を使える方がいましたね?適宜掛けていただけると助かります」

「承知しました」


 シュティーペラン家当主の自室は血の生臭さで満ちていた。

 窓を開け放っておいたにもかかわらず、不快な臭いが鼻を衝く。白鱗石の滑らかな床には赤黒い液体が大きな水たまりを作っていて、全て拭きとって徹底的に掃除をしても容易には生々しい鉄臭さが消えることはないだろう。

 部屋の奥正面の巨大なベッドには、ヒュールカミンだったモノが俯せになって此方に頭を向けている。

 いや、頭はもう無い。

 砕かれた頭蓋からは脳が取り出されている。

 死因は出血か、それとも脳の損傷によるものか、などと考えるのも馬鹿馬鹿しい。頭部が破壊されれば人は死ぬ。

 わざわざ脳を抜き出し、床に大量の血をまき散らすなど、人のやる事ではない。

「……頭部を破壊されただけにしてはやけに綺麗に血が出ているな」

 私は血を踏まぬよう壁際から雇い主の遺体へ近づいた。

 捜査班に目を付けられるのは困る為触ることは出来ないが、可能な範囲で遺体の様子を探るとあることに気づいた。

「喉を掻き切られている……?」

 正確には頸動脈をか。ならば死因は以前の事件と同じ。最初に大量の血液を出して、その後に頭蓋を破壊したという事なのか?わざわざそんなことをする意味が?ただの怨恨とも思えない。

「そもそも脳の部分は何処に……」

 ふと、開け放たれた窓から風が吹く。

 なんとなく外を眺めると、中庭の白いイスとテーブル、そして小さな池が見える。窓の縁には血痕がついていた。

「まさかな」 

 中庭まで行き、池を覗き込む。色とりどりの小さな観賞魚達が一か所に集まって何かを啄んでいるのがわかった。

 

 間違いなく、それはヒュールカミンの脳髄であった。

 

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