第4話 貴族の屋敷にて
『執政区』で殺人事件が起きてから数日が経った頃、シュティーペラン家の屋敷には司法局長が訪れていた。
司法局長『ヴァンヘマン・イドティ』がヒュールカミンと話し合っているのは先日の事件についてだ。話し合いと言っても、二人の居る執務室では癇癪持ちの貴族が局長に小言を言っている場面しか映し出されていない。
「まだ犯人の手掛かりはみつからんのかヴァンヘマン!」
「はい侯爵様。今の所、唯一の手掛かりは見回りの衛兵の証言だけです」
「あんな奴らの証言など信用できるか!貴族の令嬢が深夜にうろついているなどと、身分の高い者への嫉妬から来る妄言に決まっている!それに犯行当日には見なかったのだろう!?」
「ええ、左様です。事件を目撃した者は皆無です。『執政区』担当の見回りが遺体を発見した時には随分時間が経っていたと」
「忌々しい殺人鬼め……!この都市の治安を脅かすのは許せん!」
「動機さえ分かればもう少しやりやすいのですが」
「殺されたのは裁判院の役人なのだろう?当事者に問題が無かったとしても、かつて犯罪を犯して刑に服した者の中に、法に携わる者全てを恨むような外道はいなかったのか?」
「手の施しようのない悪党は殆ど処刑されておりますゆえ……」
「処刑された奴らの家族や愛人かもしれん!」
「実は今まさにその方面の調査を行っております。既に結果の出たものもありますが、遠くへ追放されたか自ら都市を出た者ばかり」
「復讐の為に戻って来ているかもしれん!」
「であれば城門の衛兵が気づき、報告があるはずです。都市防衛部隊の門兵には危険分子の情報把握を徹底するように指導していますから」
「その調査はまだ完了はしておらんのだな?ならばまずはその結果を待つしかないか」
「そうなります。気休めではございますが、『白邸区』と『執政区』の夜間巡回は『狩猟者組合』にも協力を要請し厳重に致しますゆえ、なにとぞご安心ください」
「ほう……魔獣狩りの者達をか。よろしい。期待しているぞ局長」
「はっ。ではこれにて失礼……」
局長が屋敷の門を過ぎ去るのを窓から眺めるヒュールカミン。
期待しているとは言ったものの、不安はまだ残る。しかし今はそれよりも愛娘ベスレーレの体調が気がかりだ。執務室を出て足早に中庭へと向かう。
中庭の中央にある日傘付きの白いテーブル。ベスレーレはその脇にある白い椅子に腰かけている。離れた所にある小さな池を眺めながら愛犬と戯れている。
「ベスレ。体調はまだ優れないのかい?」
「お父様。いいえ、昨日よりは良くなったわ。身体は特にどうってことないの。ただちょっと、気だるい感じがするだけだから」
「それは体調がいいとは言えないのだよベスレ。無理はしちゃいけないからね。なにか欲しいものがあったら遠慮なく私にいいなさい」
「ありがとうお父様。特に今欲しいものはないわ。今日はお庭でロフケウスと遊んでいるから心配しないで」
ウォフン!と端正な顔立ちの中型犬が挨拶をする。賢く勇敢で愛らしさもあるこの金色の犬はベスレーレが小さい頃に都市の外で拾った犬だ。ヒュールカミンにとっても娘の心の拠り所となっているこの忠犬は頼もしく、金で買ったどんな高級品よりも大事にしていた。
「わかったよベスレ。私はこれから白邸会議があるからね。また夕方に会おう」
「行ってらっしゃいお父様」
「ロフケウス。娘を頼んだよ」
ヴォフ!と元気よく返事をするロフケウス。
ヒュールカミンは、物語の忠勇騎士から名付けられた犬を一撫でして中庭を去った。
ベスレは父の背中が見えなくなると大きく溜息を吐いた。近くに控えていた女中が膝元にしゃがみ込み手を握る。
「お嬢様……。よろしいのですか」
「いいの。いいのよ……。それに本当に体調は悪くないのよ。皆が良くしてくれるから……」
「私は……小官は何があってもお嬢様の近くにおります。いざとなればあなたを抱えて何処へでも行きます。苦しい事は全てこの身に吐き出してください」
「ありがとうスルア……。大丈夫……」
女中の柔らかくも逞しい手を力強く握るベスレ。
震えが治まるまで、二人はずっと手を繋いでいた。
翌日、ヴァンヘマンの遺体が司法局長室で発見された。
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