第422話 ねえマスター
「こいつがその身に宿す宿命の業、それが我ら悪魔に向かう前にこいつは消すべきだ」
それが今後起こらないと断言はできない。ベルゼバブの言う通り覚醒した殺戮王が魔界を蹂躙する可能性はある。
殺戮王は、あまりにも危険だ。
「だが」
ベルゼバブから伸びる手の動きが止まる。
「あの方はこいつを選ばれた」
「? あの方?」
大魔王ですら気に掛ける者。それほどの者が駆を選んだ。
それに、仲間たちは心当たりがある。
ベルゼバブはヲーに向けていた目を駆に戻す。駆は秋和を殺した張本人を今だ睨みつけている。そんな駆を庇うため他の三体もベルゼバブを懇願の眼差しで見上げていた。
「…………」
それらを見てベルゼバブが考え込む。
「ずいぶん好かれたようだが、いい気になるなよ。なぜお前が選ばれたのか。あの方の狙いがなんであるか。まあいい、お前で見定めてやろう」
そう言うと四つの手は鎧に収まっていった。踵返し別空間へと戻っていく。
その背中を呼び止めようと駆の体が前に出る。
「だが」
ベルゼバブは足を止め、顔半分を振り向ける。
「ここで俺とやり合うというのなら、それはあらゆるものへの裏切りだ。容赦なく貴様を八つ裂きにできる」
それは絶対的な警告だった。脅しでもなんでもない、必ずそうなるという神からの忠告に等しい。
「忘れるな。あの方の意向さえなければ、貴様はすでに肉片だ。この場の処置は俺の恩寵だということを覚えておけ」
「多大なる恩赦、感謝いたします」
駆の代わりにヲーがすかさず答えを返す。
そうしてベルゼバブはこの場から消えていった。一歩を踏み出すたびになる重い足音と鎧の擦れる音、それが遠のくまで緊張と高鳴る心臓の音は消えなかった。
ベルゼバブの気配が完全に消えてからようやく緊張から解放された。
「し、死ぬかと思ったヅラ~……」
「さすがに、肝を冷やすな……」
「これもどっかの馬鹿のせいなんだけど!?」
リトリィは駆に目線を向けるが当の本人はそれどころではなかった。
駆は立ち上がり秋和のもとへと歩み寄る。膝を付き、両手をその上に置く。
彼は、死んでしまった。自分のためではなく誰かのために頑張って。やり方は強引だったとしてもその心は正しくあろうとし、苦しみを取り除こうとするその姿勢は間違いなく優しさだったから。
そんな彼が、死んでしまった。
駆は頭を下げて彼の死を悼む。
秋和の体は塵となっていく。風に運ばれドトール湖に運ばれていった。
それはヴァッサゴと彼の道具も同じであり砂粒のように流れていく。
その一部が駆の中に入っていく。秋和がいた場所に残った魂も駆に引き込まれていった。
「ううう、うわああ!」
「マスター!」
不死王の時と同じ、相手の魂を取り込むことによる魔人融合。その苦しみが全身を襲う。
「大丈夫ヅラ!?」
「ねえマスター」
ベルゼバブが去った雰囲気が一変して緊張感に包まれる。駆は床に倒れ自身の体を抱いたり手足を振り回している。リトリィたちも駆け寄るがしかしどうすることもできない。
三度目の痛みでも慣れることはない。激痛に耐えて待つしかない。
「はあ、はあ」
苦しい時間が過ぎ去りなんとか収まった。脱力し疲れ切った息が聞こえる。
「マスター大丈夫?」
駆は立ち上がった。足がふらつく。その姿をみなが心配そうに見る。
リトリィはゆっくりと手を伸ばした。
「マスーー」
その手が止まる。
「ふ」
「え」
その声はそぐわないものだった。今まで激痛に苦しんでいたというのに。
リトリィが見つめる先にいる駆の横顔。その顔は上を向きながら口元を不気味に歪めている。
「ふ、ふふ」
なにがそんなに楽しいのか、駆は笑っていた。
「くっくっくっく」
明らかに違う。さきほどまでの駆とはまるで別人。うめき声をもらし苦悶していた駆はもういない。胸を掴むこともない。
あるのは暗い笑みを浮かべる横顔だ。
駆は振り返り歩き出した。仲間たちには目もくれず階段へ向かっていく。
醒めない興奮を漂わせ影の中を闊歩する。
「ぬうう……!」
「マスター?」
だが足を止め頭を抱える。しかしすぐに終わり再開した。
塔を下り湖の道を通っていく。対岸に到着するも足は止まらない。
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