第421話 人類から受けた屈辱は今もなお俺の胸の内で煮えたぎっている

 その名前に魔王を冠した二人でさえ身を強ばらせた。


 大魔王。魔界に存在する強大な魔王たち。それすら統べる魔王の中の王。


 悪魔の頂点。


 大魔王、ベルゼバブ。それが現れたのだ。


「馬鹿な、こんなことは」


 その強さ、風格は一目で分かる。彼は次元が違う。今まで会ってきたどの悪魔とも。これまでの上級悪魔や魔王ですら彼と比べればそれこそガイグンとポクくらいの差がある。


 だが、問題はそこではない。


 どうして、彼の出現を観測出来なかった?


「なぜーー」


 秋和の混乱も当然。これほどの脅威を見逃したなどあり得ない。


 口から疑問が漏れるが、瞬間ベルゼバブの背中、鎧の隙間からさきほどの触手が伸びる。それはカブトムシの手を思わせ黒く鞭のようにしなり、秋和の胸を突き刺した。


「ぐう!」

「!」


 触手は背中まで貫通し秋和も両手で掴むもびくともしない。


「人類が作った人形風情に答える口はない」


 触手が持ち上がることで足が床を離れる。秋和は悲鳴を上げヴァッサゴとは反対側の柱へと投げ捨てられた。


「うう!」


 胸からは大量の出血が流れ床を伝っていく。


「俺の、未来が」


 胸を押さえ、地面を這おうと力を入れるも手はこぼれた血を滑るだけ。


「ここで、終わるわけにはッ」


 それは明らかに致命傷であり、最早助かる傷ではなかった。

 そこへベルゼバブが近づく。


「未来を知ったくらいでいい気になるな、下等生物が」


 まるで虫のように、秋和の頭を踏み潰した。


「ああああああ!」


 秋和はもういない。死んだ。殺されたのだ、目の前で。


 友人を、家族を。たとえ殺されようとしていたとしても、それでも葛藤を覚えるほどに大事にしていたから。

 その人を、殺されたのだ。


「あああああ!」


 悲痛と憤怒を叫ぶ。壊れそうなくらい、膨大な感情が暴れている。


「止めてくれマスター!」


 相手は大魔王。悪魔にしてみれば神のような存在だ。そんな相手に対し不遜を行えばどうなるか。怒りを買うどころか目立つ行為すらして欲しくないのに。

 しかし駆の怒りと悲しみはベルゼバブへと向いている。


「ふん」


 睨みつける駆にベルゼバブも振り返る。それだけで凄まじい重圧だ。まるで彼の体内にいるかのような圧倒的な存在感がある。


「貴様が殺戮王か」


 その言葉にみなが反応する。 


「どれほどのものか。ここで試してみるか?」


 ベルゼバブの歩く先にはヴァッサゴが展開した黄色の障壁がある。ヲーが激突してもびくともしなかったものだ。


 それを、ベルゼバブは腕を一閃した余波だけで粉々に吹き飛ばす。


 まったく違う。比較するのもおこがましいほどに、格の違いというのを見せつける。


 ベルゼバブの背後からさらに手が伸びる。合計四本の手が持ち上がり駆を狙ってきた。


「待ってください、大魔王ベルゼバブ様!」


 大魔王は大の人類嫌いで有名だ。このままでは間違いなく駆は殺される。それだけは避けなければならないとヲーは畏まったまま声を上げる。


「誰が発言を許可した」

「無礼をお許しください。ですが、その方は我々にとって重要な方なのです。その者には一族が助けられた恩があります。私だけではありません。多くの悪魔が彼を頼りにしています。多くの者が救われたのです。確かに彼は人間ですが、この方だけは、何卒」


 下げる頭をさらに下げる。頼み込むしかない。これしか手段はないのだ。


「私からもお願い!」

「お願いしますヅラ!」


 リトリィとポクも駆け寄り頭を下げる。雲の上よりも遙かに高い存在に向けて、必死に頼み込む。


「人類から受けた屈辱は今もなお俺の胸の内で煮えたぎっている」

「は、当然のことかと」

「多くの罪なき同胞が、徒に殺められ、貶められてきた」

「存じています」

「それを知っておきながら見逃せと?」

「彼はそのような者ではありません」

「違うだと? なにが違う。こいつが今までどれだけの悪魔を亡き者にした」

「それは」


 言葉に詰まる。それは事実だが理由がある。


 だが、今の駆を見てそう言えるか。ここに来るまでの戦いには明らかに興奮が、愉悦があった。

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