第41話 侍医

 この季節の王都は日が長く、あたりはまだ明るい。お父様が雇った自警団たちは少しずつ帰路について、屋敷の周りは人がまばらになっていく。


 お父様はソフィがロンベルクにいることを知らない。絶対にお父様には居場所を言うなと頼まれているから言わないけれど、こうしてお父様が急にいなくなった愛娘を自警団まで雇って必死になって探しているのを見ると、何とも言えない気持ちになる。

 もし私が急にいなくなっても、多分お父様はこんなに必死には探してくれなかったんじゃないかなと想像してしまうから。



 先生と二人で屋上に登ってテーブルに付くと、初夏の生ぬるい風が私の菫色の髪を揺らした。髪を耳にかける私をじっと見つめていた先生が、神妙な面持ちで口を開く。



「さて伯爵夫人の病の原因ですが、血液検査の結果、ドルンスミレの毒が検出されました」



 話し始めた先生の言葉を聞き、自分の喉がゴクリと鳴るのが分かった。お母様の部屋に入ることができる人間は限られているし、誰が出入りしたのかはグレースがチェックしてくれていた。その中の誰かが関わっているはずだ。



「おそらく、主治医が点滴に混ぜて継続的に毒を盛っていたと思われます」

「…………主治医の先生が!」

「残されていた点滴の中身を確認して分析しました。私が点滴の中身を入れ替えたところ、二週間程で伯爵夫人は目を覚ましました」



 やはりそうだった。私も数日間意識を失ったあのスミレの毒を継続的に点滴させられていたから、お母様はずっと目を覚まさなかったのだ。しかも、主治医の先生がそんなことをするなんて。

 思い返してみれば、確かにお母様が倒れた前後で主治医が変わったように記憶している。前の先生がご高齢で別の方を探していたところ、新しい先生を紹介してもらったと言ってお父様が連れてきたのだ。



「なぜですか? なぜ母が、主治医にそんなことをされないといけないのですか?」



 つい先生の腕をつかんで必死で聞いてしまったが、よく考えれば先生は医者だ。探偵でも自警団でもない。先生に聞いたところで、答えはない。



「主治医には逃げられましたが、ちゃんと真犯人を捕えて話は聞き出してあります。真相を聞きますか?」

「え……っと、ごめんなさい。先生はお医者様ですよね? 私が変なことを聞いたくせに申し訳ないのですが、まさか先生が真犯人を捕まえたのですか?」



 先生は何も言わずに、微笑みながら大きく頷いた。


 先ほどまでの紳士的で優しそうな表情が少しずつ変化していく。椅子の背もたれに思い切り背中を預けて腕を組んだ先生の顔は、まるでイタズラっ子が何かをたくらんでいるような表情に変わった。



「……先生?」

「国王陛下から急に侍医が派遣されるなんて、おかしな話だと思わなかった? 君がロンベルクで毒にやられたっていう報告がこっちにも上がってきたから、陛下に頼んでちょっと調べさせてもらってたんだ」

「陛下に……頼んだ?」

「そう! いやあ、ヴァレリー伯爵家は悪人の巣窟だね! 知らなかったとはいえ、こんな家から妻を娶らせるなんて陛下もひどいなあ。あ、ちなみに僕のこと誰か分かる?」



 そう言って先生は姿勢を起こし、私の顔を覗き込んだ。



 ……まさか。まさかとは思うけど。


 私より少し年上の二十代半ばくらいに見える、目の前の若い男。


 どこかしらユーリ様と面影が似ている。まさかこの人は……



「もしかして……リカルド・シャゼル様ですか?」

「正解!!」



 男はテーブルに両手をパンッと付いて立ち上がった。急にテンションが上がった彼について行けなくて、私は椅子から落ちそうになる。



「ちょっと……正解って……!」

「そんな顔しないでよ。ほら、君の夫です! よろしくね!」

「ええっ……?!」



 リカルド・シャゼル。

 一度も会ったことのなかった、私の旦那様。

 ユーリ様の従兄で、結婚式当日に失踪した男。



「リカルド様! なぜこんなところにいるんですか……?!」

「それはこっちのセリフでしょ。なぜユーリのこと置いて来たの?」

「置いて来るってなんですか? 何故そんなに開き直っているの? 状況が全然分かりません!」



 リカルド・シャゼル様は結婚式から逃げたことも、ユーリ様に仕事と私のことを押し付けたことも、全く悪びれる様子がない。ニヤニヤと笑いながら、さも当然かのように私の夫を名乗る。


 辺境伯に任命されたのが嫌でロンベルクから逃げた男が、なぜだかヴァレリー伯爵家でお母様の治療をしている。一体どう繋げれば、この点と点が結ばれるというの?


 私には何一つ想像がつかず、空いた口がふさがらなかった。


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