第38話 屋敷への帰還 ※ユーリside
やっと森を出てシャゼルの屋敷の目の前まで戻ってきた。
背中の傷の応急処置をして上半身が包帯だらけだ。その包帯の上から上着を羽織った状態で、何とか一人で馬に揺られて座っている。馬が歩を進める度に傷にズキズキと響いて、騎士団が森を出るのに足手まといになってしまった。
カレンが俺のケガを気にして、隣にぴったりつけて馬を歩かせている。
ロンベルクの森の中で背後から魔獣に飛び掛かられたカレン。馬に乗った状態では背後からの攻撃はかわしづらい。たまたま振り向いていた俺の方が動きやすかったから応戦しただけなのに、カレンは俺に守られたと思っている。だからこうして俺の傷を心配して付いて来るのか。
そんな罪悪感を感じるくらいなら、「たまたま俺がカレンの前にいたからケガをした」くらいに思ってくれてもいいのに。今なら、第二王子を身を挺して守ったともてはやされたリカルドの気持ちが少し分かる気がする。別にカレンだから守ろうと思ったわけでもなく、ただ反射的に体が動いただけだった。
「ユーリ、大丈夫? もうシャゼルの屋敷の門が見えたわ。着いたらすぐに包帯を変えよう」
「……ああ」
ケガのせいで体力を消耗してしまっていることもあり、一言だけ返事をした。
街に魔獣が出ないように注意して進んだのにも関わらず数匹取りこぼしてしまい、街に残った騎士団たちも戦いに出たと聞いた。
リゼットは無事だろうか。
全員無事だという報せは受けているが、あの地下シェルターで何日も過ごすのは慣れた人でも大変だ。ここに来てまだ数か月のリゼットが問題なく過ごせているか、早く自分の目で確認したい。
それに、リゼットとはまだ大切な話が残っている。
「ユーリ、肩を貸すわ。あの救護所まで歩ける?」
「……ごめん、できれば別の騎士を連れて来てくれ」
力の入らない重い体を、女性のカレンに預けられるわけがない。そんなことカレンも分かるだろう。
「ユーリ、私があなたを助けたいの。体重をかけてくれても大丈夫だから」
「……やめてくれ、別に俺はカレンをかばってケガしたわけじゃない。冷静に考えろ。あそこにハンスがいるから呼んできてくれ」
数日前にロンベルクの森の中でカレンと言い合いになった。
カレンがリカルドを選んだ時にあんなに簡単に諦められたのは何故だったのか、遠回りしてやっと分かったんだ。
リゼットから祝ってもらった誕生日。体中が幸せで満たされて、自分が特別な存在になれた気がした。リゼットを守りたいという気持ちだけじゃなく、自分の存在自体も大切にしようと思えた。悩んでいた気持ちも、リゼットのことを考えると軽くなる。
だから俺も、リゼットの幸せを心から願った。
リゼットがリカルドの妻になることが、彼女の幸せなんだと思っていた。辺境伯夫人であれば、これまでのような貧しく苦しい暮らしをすることもない。由緒ある伯爵家の令嬢にふさわしい地位でいられる。
だけどこうして自分がケガをして、もしかして死ぬかもしれないという場面になって改めて考えた。今このまま死んで、俺は後悔しないのか? と。
子どもの頃に母が亡くなって、シャゼル家に引き取られた。平民から急に貴族になり、俺は幸せだったか? 身分や安定した生活は俺を幸せにしてくれたのか?
リゼットだってそうだ。伯爵家から虐げられて使用人と同様の苦しい生活の中、食堂アルヴィラで働く彼女は明るく朗らかで幸せそうだった。俺とロンベルクの街に出て食事をした時も、屋敷で食事を共にするときの何倍も楽しそうだった。
彼女の幸せは、地位や身分じゃないんだ。
俺は自分に自信がないあまりに、リゼットと共に生きたいなどと言えるはずがないと思っていた。カレンがリカルドを選んだ時と同じように、リゼットに俺を選んでもらえる自信がなかったんだ。
でも、今は違う。
カレンと言い合いになった時、怒りに任せて本心が口から飛び出てきた。リゼットをリカルドに渡したくないと。
彼女を、俺が幸せにしたい。そして、俺もその姿を見て幸せを感じたい。二人で互いに幸せを与えあいながら、どこまででも高みに登っていけるような感覚。
リゼットに早く会いたい。リゼットを誰にも渡したくない。
彼女と共に生きる道を探したい。二人で共に幸せになりたい。彼女に気持ちを伝えることすらできないまま、彼女の幸せを遠くから願うだけなんて、本当は耐えられない。
気付くのが遅かったのは分かっている。だから今はケガのことなんてどうでもよくて、一秒でも早く彼女に会いたいんだ。
救護所の中で寝かされたところに、俺を心配したウォルターが駆け付けた。
「ウォルター、みんな無事か?」
「無事です。街の人も含めて、誰一人ケガもありません」
「……リゼットは? リゼットはどこにいる?」
ウォルターは首を横に振る。
「ユーリぼっちゃま、今はそのケガを治すことに専念なさってください」
「そうよ、ユーリはもう休んで。ねえ、ウォルターさん。彼は私をかばってケガをしたの。お願いだから私に看病させて」
身代わりとは言え、俺は今この屋敷の主人だ。救護所で他の騎士たちと同じように治療させるわけにはいかないとウォルターは考えたんだろう。でも、俺はここでいい。
「ウォルター、リゼットを呼んでくれないのか?」
「ぼっちゃま、リゼット様は王都に戻られました」
「え……なぜ……」
背中の痛みを忘れて、つい体を起こした。リゼットが王都に戻っただって? しかもウォルターはなぜいつものように奥様と呼ばない? リゼット様とはなんだ? 彼女はまだリカルドと離縁していないはずだ。
「なぜ王都へ戻したんだ! あそこがリゼットにとってどんな場所か伝えただろ?」
「ユーリ、傷が開くから無理しないで!」
「……うるさい!!」
魔獣の角で引っかかれてパックリと開いた背中の傷から、流血する感覚が分かった。カレンが悲鳴を上げながら俺の腕を引く。
「ユーリ、落ち着いて! 傷が開く!」
俺は、ウォルターの胸元をつかんだまま、あまりの背中の痛みに気を失った。
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