第30話 カレンとリゼット

 騎士団たちがロンベルクの森へ入る準備が整い、あとは旦那様の号令ひとつで出発というところまで来た。森へ入る騎士たちと、街に残る騎士たちに別れ、それぞれに声をかけあってお互いを鼓舞し合っている。


 王都で楽しく食堂で働いていた頃の世界とは違うのだ。ここは戦い一つで突然命を落とすこともある緊迫した世界。


 その世界から逃げたかったリカルド様の気持ち

 身代わりなのに責任を持って自ら森に突っ込んでいこうとしているユーリ様の気持ち


 一見ユーリ様が正義に見えてしまうけれど、裏を返せばユーリ様が自分のことを蔑ろにしているということと背中合わせなのかもしれない。


 実のお母様を亡くし、異母兄たちの中で遠慮しながら育ってきたユーリ様。誰も自分の誕生日など祝ってくれないと卑屈になりながら、リカルド様の存在に救われてきたユーリ様。自分の存在価値よりも、リカルド様への忠誠心のようなものが支えになって生きている気がする。だから、もしかしてこの戦いの中でも簡単に命を賭けてしまうのではないかと不安に思ってしまう。


 ユーリ様のことを大切に想っている人はたくさんいるのに。ユーリ様はそれを知らない。


 様々な気持ちが渦巻くこの辺境の地ロンベルクで、私の心の中も渦をまいている。



 しかし、まずは騎士団の皆様が無事に戻って来ることを願おう。そして、万が一の時に備える。ここに残る騎士たちは、有事の際には街の人々を避難させて守る。私は使用人たちと共に地下のシェルターへ。辺境伯夫人として、皆の命を預かる責任は重大だ。


 大きな掛け声を交わし合う騎士団を見つめながら、自然と私の手にも力が入る。



 ふと視線の先を変えると、私のことを遠くから見つめる目があった。


 視線の主はカレン様。目が合うと、彼女はまっすぐにこちらに歩いてくる。思わずユーリ様の目の届かない、建物の柱の陰にかくれてしまった。


 ユーリ様の正体のことももちろん衝撃を受けたけど、カレン様のことだって私の心にずっと引っかかっている。カレン様はリカルド・シャゼル様と恋仲だったのだと思っていたけど、本物のリカルド様じゃなくてユーリ様のことが好きだったのだ。そして、ユーリ様もカレン様のことを想っていた。


 私はきっと、二人の間にズケズケと入り込んでしまったのだ。そしてユーリ様も身代わりとしての役目を果たすため、私に優しく接した。カレン様という心に決めた方がいながらも。



「リゼットさん」

「……はい」



 カレン様は体の前で両手をそろえて頭を下げた。



「昨日は変なお話を聞かせてしまってごめんなさい!」

「……いいえ、私こそ立ち聞きのような真似をして申し訳ありません」



 突然頭を下げ、私への謝罪の言葉を口にする。でも、顔を上げた彼女の口は一文字に固く結ばれ、何かの意思に燃えているようだった。



「ユーリから全部聞いたと思う。私がリゼットさんと初めて会ったあの日に、私もユーリから真実を聞いていたの。それなのに、彼と一緒になってあなたに全て黙っていてごめんなさい」

「いいえ……」



 ユーリ様が身代わりだった話の当事者は、私とユーリ様だ。無関係なカレン様からの謝罪を受けたところで、何も言葉が出てこない。真実を黙っていたことに対して怒る気持ちもないし、カレン様が言っていたように、私とユーリ様が本物の夫婦じゃないことも、もう頭では理解している。


 謝られても、私もどうしたらいいのか分からない。



「どうか、ここからは私に彼を任せてください。彼を自責の念から解放してあげてください」


「自責の念……ですか?」


「ユーリはリカルドの尻拭いで身代わりをやらされていただけなんです。決してあなたを騙したくて騙したんじゃない。でもあなたが近くにいれば、ずっとユーリはあなたへの罪悪感で自分を責め続けると思うわ。私はユーリと幼馴染だし、彼のことはよく分かっているつもり。彼はもっと自分を大切にすべきなの」


「ええ、そうですね」


 元々のシャゼル家の希望は一つ。ヴァレリー家の嫁から離婚を言い渡し、ここから去ること。


 それをユーリ様がしなかったのは、きっと私がヴァレリーに戻れば、ソフィやお父様に嫌がらせをされる日々が待っていると知ってたから。このロンベルクでリカルド様の妻として暮らしていく方が幸せだと思ったから。


 ……だからと言ってこのままリカルド様の妻になるなんて、私がそんな気持ちになれるわけがない。


 まずは辺境伯夫人として屋敷のみんなを守ろう。そして、無事を見届けてからここを去るわ。



「カレン様。お気をつけて。皆さまの無事をお祈りしております」

「ありがとう。じゃあ行くわね」


 私はカレン様の背中を見送り、柱の陰から出て騎士団の姿をのぞいた。


 遠くにいるユーリ様と目が合う。

 しばらくそのまま私を見つめた後、ユーリ様は剣を高く振り上げて大声で号令をかけた。その声に合わせてロンベルク騎士団は森へ消えていった。

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